小学4年生の児童が1年間かけて1000人の大人と出会い、自分の生き方を考える探究学習という一大プロジェクトに取り組んできた東京都板橋区立板橋第十小学校(冨田和己校長、児童595人)の小泉志信教諭。このプロジェクトのみならず、小泉教諭は学級経営や教科の学びでもさまざまな仕掛けを取り入れている。それは、もともと教職員がさまざまなチャレンジをしていた学校風土ともマッチして、同小全体が活気づいている。下では、小泉教諭の普段の実践に着目しながら、教師が生き生きと働けるヒントを探る。
にぎやかな声に導かれるように廊下をたどっていくと、オープンスペースにあるテーブルで、友達同士で和気あいあいと教科書の練習問題に取り組む子どもたちの姿が目に飛び込んできた。ある子が「分からない」と手を挙げると、すぐに近くにいる子が教えに行く。一方で、学習者用端末で解説動画をおさらいする子や、教室に集まって教師の説明を聞いている子もいる。
板橋第十小の4年生では、学年で時間を合わせて取り組んでいる算数の授業の中で、それぞれの子どもが自分のペースで課題に取り組む自由進度学習を取り入れている。特徴的なのは、どこでも好きな場所で学習できる自由進度学習に加えて、教室で教師から教えてもらう一斉授業も併存させている点だ。
「自由進度学習が合う子もいれば、一斉授業が合う子もいる。自由進度学習には自由進度学習の、一斉授業には一斉授業のよさがそれぞれある。大事なのは、子どもが今の自分にとってどんな学び方が合っているかを理解して、選べるかということだ。学びのコントローラーをどうやって子どもたちに渡すかを常に意識している」と小泉教諭はその意図を説明する。
取材に訪れた日の算数の課題は分数の足し算・引き算の総まとめ。課題は大きく分けて2種類あり、最初は教科書に沿った基本的な内容の問題に取り組む。丸つけは同級生にやってもらってもいいが、メルクマールとなるチェック問題は教師が採点することで、この単元で習得しなければいけない学力を担保する。その上で用意されているのが「チャレンジワーク」で、今度は自分で条件に沿った問題をつくったり、計算力を上げたり、思考力を問うような文章題に挑戦したりできる。一部の課題にはQRコードが示されていて、関連する解説動画を見ることもできる。
リアルな授業であるが、Meetを使って授業のめあてが示され、教室にある電子黒板や子どもたちの学習者用端末とつないでいるのも面白い。「以前は黒板にめあてなどを書いていたが、そうするとどこで学んでいいと言っても、どうしても黒板が見える場所に子どもが集まってしまった。このやり方であれば、そうした物理的な制約を取り払って、自分に合った場所で学ぶ自由が実現できる」と小泉教諭。ICTの活用は当たり前の光景になっていて、授業の終わりに設けられた振り返りの時間では、各自の学習者用端末からスプレッドシートにできたことや難しかったことを文章で入力していた。その際は「どんな学び方をしたのか」「友達にどんな教え方をしたら分かってもらえたのか」といった観点を意識させることで、自分に合った学習の方法を見つけられるようにしているそうだ。
ところで、小泉教諭が担任する4年2組には、座席表がない。座席はフリーアドレスだ。「1学期に毎朝トランプを配って、引いたカードの席に座ることから始めて、慣れてきた2学期から完全なフリーアドレスにした。最初、子どもたちの間からは『自分の席がほしい』と不満の声も出たけれど、自分の座席という概念がなくなってしまうと誰も文句を言わなくなった」と振り返る。座席を自由にすることはこれまで担任した学級でも行ってきたが、完全にフリーアドレスにしたのは今回が初めてだという。
なぜそんな一見面倒なことをしているのか。その狙いは対話にある。
座席が毎日入れ替わるということは、隣に座る同級生も日によって変わるということだ。4年2組では毎朝、その日の席に座ると2~3分の雑談の時間が設けられる。仲の良い子とも、そうでない子とも、何かを話さなければいけない。これは大人でもかなり難しいことだ。机の隅には机ごとに異なる雑談のテーマになりそうなカードが貼られていて、それをヒントに話題を広げるなどして、子どもたちはトークスキルを磨いていく。
そして、雑談が終わると一緒にちょっとしたクイズやゲームをする。こうした対話や遊びを繰り返していくうちに、自然と仲が良くなっていく。
こうした仕掛けは、小泉教諭がこの学年で「1000人の大人と出会う授業」をやろうとしたもう一つの理由とも通じる。
「自殺がとても多いこの国で、この子たちがこの先も生きていく中で追い詰められないようにしなければいけないと強く思った。人生は決して一本道じゃない。生きていればいろいろな選択肢があって、今の道が違うと思ったら別の道に変えていい。そうやって、この子たちには生きていってほしい」(小泉教諭)
フリーアドレスの座席や多様な大人とコミュニケーションを重ねる中で、子どもたちは臆することなく誰とでも話せるようになった。1年間で子どもたちが出会った大人は、いつの間にか1000人を超えていたそうだ。
「『誰とでもそこそこうまくやりなさい』『学校に来るのは当たり前じゃない』。この2つを子どもたちにはいつも言っている。ちょっとずつ友達のいろいろなところが見えてきて、子どもたちは周りを信頼して、安心して自分らしくいられる。それを楽しいと心から感じられるようになった。子どもたちにとって学校が行きたい場所になるためには、それが一番大事。この経験があれば、この子たちはこれからもきっと大丈夫」と、小泉教諭も子どもたちの未来に太鼓判を押す。
現在、自由進度学習と一斉授業を組み合わせた算数の指導は、他の学年にも広がりを見せている。新しい学びに挑戦しているのは、決して4年生だけではなく、学校全体がそうした風土を持っているというのが、板橋第十小の良さでもある。
もともと同小はコミュニティ・スクールとして地域との連携が活発に行われてきたこともあり、「1000人の大人と出会う授業」はこれらの板橋第十小の文化がなければ実現が難しかったと小泉教諭は指摘する。
この4年生のプロジェクトが始まる前から、校内では有志の教師たちによる「板橋第十小学校の研究を面白くする会」が立ち上がり、探究学習の可能性を模索し始めた。
そして早くも、この面白くする会の活動は学校の外に飛び出した。
起業家や研究者など、さまざまなイノベーターが集まり、交流する会員制共創施設「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」が3カ月ごとに公募している未知の価値に挑戦するプロジェクト「QWSチャレンジ」に応じ、昨年8~10月の第16期プロジェクトとして採択された。2学期が始まる9月1日には、始業式を終えた後に同小の教員が渋谷キューズに移動し、職員会議をした後に、会員が取り組んでいるプロジェクトを取り入れた授業を提案するという研修も行われた。
「外部と交流して気付いたのは、その人や団体がどんなにすごくて、いい教育コンテンツを持っていたとしても、目の前の子どもの実態に合わせて学びに落とし込む教師の専門性がなければ、授業にならないということだ。教師がいろいろな人と一緒になって、目の前の子どもたちと面白いことにどんどん挑戦できる。学校がそんな空間であれば、みんな働きたくなるんじゃないだろうか」
そう語る小泉教諭の目は、まるで10歳の子どものように輝いていた。