扶桑町教育長 澤木 貴美子
美しいランの鉢花をいただきました。説明書きに「さあ、来年あなたも花を咲かせましょう」とあり、花好きの私は、ぜひと思いました。ところが願いはかなわず、とんと花は咲きません。しかし、試行錯誤しながら世話を継続して7年目、突然花芽が膨らんで、わずか三輪のかれんな花が咲きました。このように性急に結果を望まず現状に折り合っていると、ふと霧が晴れて思いや願いがかなうことが時として私にはあります。
最近、こうした事象を言い当てた「ネガティブ・ケイパビリティー(答えの出ない事態に耐える力)」という言葉に出会いました。「解なき今を照らすために」という新聞の特集で、精神科医で小説家でもある帚木蓬生氏のインタビュー記事です。早速、書籍を手にすると、答えを急ぎ、速さや効率、そしてノウハウやマニュアルを求め、すぐに理解した気になる社会風潮への警鐘が心に快く響き、答えを先伸ばし、納得するまで自問自答する自分の姿勢を承認された気分になりました。世の中には解決できないことの方が多いものです。宙ぶらりんにいら立たず、もやもやしながら耐え抜く底力が必要のようです。これは一つの能力であり、そのことを認識すると不透明な時代でも生きやすいとし、人づくりである学校教育でも育てたい大切な能力であると述べられていました。消極的に見えても、長期的には思いを手放さない底力と解釈しました。今は数多くの花を毎年咲かせるランの姿に、教育というすぐには答えがでない仕事は子供の未来を創る尊い営みであることを痛感します。
また、本紙面でAI研究者の小宮山利恵子氏の興味深い提言がありました。学校が求めてきたのは、正解が一つだけの問いに正確に速く答える能力で「知の深化」と言える。AIに代替されない非認知能力を伸ばす「知の探索」と前述の「知の深化」の『両利きの学び』が今後の教育の姿である。基礎の習熟はテクノロジーの力を借り、教師にしか導けない子供主体の「知の探索」を通して、持続可能な社会の創り手の育成が強く望まれると力説されています。
AIの出現によって教育の形は大きく変わろうとしています。どんな時代でも「生きる力」の育成が教育の不易です。先見の明ある時代の賢者たちの提言を傾聴しつつ、目前の現実を見ながら、熟考を重ね、学校を支援していくのが教育長の役割だと思っています。必ずその先に多様な花が開くこと信じて。