教員による不祥事が後を絶たない。県内公立学校教員の過去5年間の懲戒処分件数は減少傾向にあるが根絶には至っていない。不祥事の中でもとりわけ児童生徒を傷つける行為は、いかなる状況であっても絶対に許されるものではない。
3年ほど前、県内の小学校で児童にわいせつ行為をしたとして男性講師が実刑判決を受けたことがあった。この講師は以前他県で児童ポルノ禁止法違反で懲戒処分となり依願退職していた。その後処分歴を隠して採用され、再び行為に及んだ。情報の公開や共有ができていれば防げた可能性があった。
昨年4月文部科学省は、教員による児童生徒へのわいせつ行為をなくすため、わいせつ事案で教員免許を失った人の情報をまとめたデータベースの運用を始めた。加えてこれまで懲戒免職になっても3年が経過すれば再び教員免許を取得できたものを、改めて免許を交付するかどうかを教育委員会が審査会を経て判断できるようになった。遅きに失した感はある。
ところで教員の不祥事は時代を経て今増えているのだろうか。数十年前を振り返ってみると、当時は不祥事に対する意識も低く、今なら不祥事となる事柄も平然とまかり通っていたように思う。しかも教師は親からも子供たちからも信頼され、大事にされる存在であったので、世間にはできるだけ明るみにされなかったのかもしれない。
それでは他の職種に比べて多いのだろうか。否、警察庁「職業別検挙人員」によると、教員の犯行はむしろ少ないのである。ではなぜ昨今、これほど教師の不祥事がクローズアップされるのであろうか。その要因は、「情報化社会の到来」である。相手がいる不祥事を隠すことは不可能な時代である。
不祥事によって教師への信頼が希薄になることはもちろんのこと、教師自身が誇りを失うことになる。自信を失った教師の姿は見るに忍びない。ただ救いはある。一生懸命に教師の道をまい進している立派な先生が圧倒的に多いことである。