概念を通して探究していく授業を展開する「概念型カリキュラム」は、国際バカロレア(IB)プログラムの理論的土台であるとともに、現行学習指導要領の考え方にも取り入れられるなど注目されている。公立学校を退職後に渡米して国際バカロレアプログラムについて学び、「概念型カリキュラム」公認トレーナーの資格を持つ秋吉梨恵子さんに、インタビューの第1回は概念型探究の概要や留学までの経緯を聞いた。(全3回)
「初めてお金を使ってモヤモヤを買った」「大人が子どもの力を借りて一生学ぶもの」「めちゃくちゃしんどいけれど、ワクワクしてやりがいがある」「出て来られるかどうか分からない迷宮」――。秋吉さんが講師を務める概念型探究のオンライン講座で、「『私にとっての概念型探究とは』という問いに参加者が語った言葉だ。参加者はほぼ全員が公立学校の教員。その多くは「「概念型探究について学びたい」という動機で参加しているという。
「概念型カリキュラム」のテキストによれば、概念とは「時と場所を超えるもの」と定義されている。「何のためにこの単元を学ぶのか」という学びの本質を子どもが自身で考え、理解するのが狙いだ。現行学習指導要領からカリキュラムマネジメントが導入されたが、このカリキュラムの土台にあるのも教科横断的な学び。学んだ知識を体系化してつなぐ「ハブ」のような役割をするのが「概念」だ。
取材をしたのは、全3回で実施される講座の3回目。秋吉さんは参加者のコメントに共感を伝えた上で、概念型探究を改めて説明した。
まずは「一斉型授業と探究型授業の違い」。例として用いたのはプール指導だ。指導者である教員の存在が大きく、子どもの自由度が低い段階では、子どもはプールのへりにつかまったまま、教員の指示に従っている。そこから子どもの自由度が上がるにつれ、子どもはビート板につかまって泳ぐようになる。その後、次第にビート板なしで泳ぐようになり、最終段階では教員が見守る中で、自由に泳いだり飛び込んだりするようになる。
同様に、一斉型授業では教員が問いを立て、方法を伝え、解を教える。そこから自由度が上がっていくと、教師が問いと方法だけを示すようになり、次第に問いだけを伝えるようになり、最終的には教員が何も設定しないという段階に至る。
秋吉さんは言う。「必ずしも全てが子どもから始まるとか、全て子どものやりたいようにやるとかいうわけではない。そこが一つの大きなポイント。どれぐらい教員がガイドをするのか、どれぐらい構成的にやるのかについては、皆さんがそれぞれの文脈で、いろいろな制約と照らし合わせながら考えていければよいと思います」
概念型探究についての説明を終えた後、秋吉さんはあるワークに取り組むよう促した。内容は「一斉型授業としてオーソドックスな授業を、どうやって探究的な学びや、概念型授業に変えていくか」だ。参加者に6時間分の学習指導案を示し、各自で考えるように伝える。「授業者あるいは設計者としての皆さんの意図は何ですか。それこそが、この単元で子どもたちに何を学んでほしいのか、何を獲得してほしいのかということです」と、秋吉さんは語り掛けた。
――私も「概念型カリキュラム」のテキストを読みましたが、書いてあることが脳を上滑りするようで、正直言って理解できませんでした。講座に参加された先生の「初めてお金を使ってモヤモヤを買った」という言葉に共感しました。
あの本は「難しい」と評判なんです。「読めない」と。「上滑りする」というのは、皆さんが口をそろえておっしゃっている言葉です。翻訳本の「あるある」でもあると思います。
だから、講座の初回に日本の学校における具体例を挙げながら説明すると、「あ、つながった」と言ってくださる方が多く、受講後にもう一度テキストを読むと理解度が違うようです。でも、1回テキストを読んだだけでは分からないという話はよく聞きます。
――最初は「分からない」という状況でも、講座を通して理解を深めて再チャレンジしていくのですね。「概念型カリキュラム」をすぐに学校で展開していくわけではなく、土台となる概念型探究をまずは自分の実践に取り入れていくのでしょうか。
そうですね。私も講座を始めた当初は、「概念型カリキュラム」が広まればいいと思っていたんです。でも、講座を開催する中で、今の日本の先生たちにとって「概念型カリキュラム」は、全部進めていくとなると「踏み出せない」という人が多いことが分かってきました。
それで、この1年ぐらいは「概念型カリキュラム」を実践するのではなく、「どうやったらその先生の学校、教科、学級という文脈の中で実施できるか」にフォーカスするようにしてきました。
そうなってくると、大事なのは子どもが理解をつくり出す部分をどう担保していくかです。子どもの理解をつくり出すためには、まず私たちがその単元の本質を考えていなければなりません。意図をしっかり持っていないと駄目なのです。
その部分については、講座参加者の方から「教材観、研究観が変わった」「普段の授業でも『子どもが理解をつくる』ことを重視するようになった」などと言っていただけます。カリキュラムをどうつくるかということではなく、その背後にある「学びをどうつくるのか」というエッセンスの部分が伝わっていると感じられて、やりがいを感じます。
「概念型カリキュラム」と違う形でも、その先生が子どもたちに伝えたいこととか、授業をつくるときに大事にしていることが「概念型カリキュラム」が目指していることと一致していると、子どもたちにとってより意味のある学びが、各教室で展開されていくのだと感じています。
――秋吉さんは公立小学校の教員を辞めて海外に留学したとのことで、大きな決断だったと思います。
教員になって2年目の冬ごろ、勤務地の近くにあったオルタナティブスクールで面白いことをやっているという話を聞きました。そこで実践されていたのが、国際バカロレア(IB)の初等教育プログラム(PYP)に刺激を受けた探究でした。その学校は『探究する力』などの著書がある市川力さんが勤務していた学校で、ワークショップをやっていました。そこに参加したのが、私のIBとの出合いでした。
ワークショップを通じ、「まねできることは教室でやってみよう」と思いました。当時、私は5年生の担任をしていて、次年度にそのまま持ち上がった学級で実践してみましたが、まねごとでも探究的な学びを実践すると、子どもたちの食い付きが全然違いました。
その様子を見て、「これが私のやりたいと思っていたことだ」「大事だと思っていたことをIBが言語化してくれていた」と思い、その後も実践し続けていました。
その翌年に異動があり、新しい学校に行きました。そこでも探究的な学びを実践し続けていたところ、次第に周りの先生も興味を示してくれました。とはいえ、バックグラウンドがよく分かっていないので、我流なんです。学年単位、あるいは学校単位で取り組めればいいとは思っていましたが、当時の私にはそれだけの力がありませんでした。
――それで、「もっと勉強したい」と思ったのでしょうか。
そうですね。大きな決断ではありましたが、「公立学校にIBのエッセンスが入ったら、もっと良くなる」という確信めいた実感があったので、退職を決意しました。
――不安やためらいもありましたか。
あまりそういうのはありませんでした。他の人に話す頃にはもう心が決まっていました。また、私自身はかつて米国の大学に通っていた経験があり、学生生活の想像はできていました。
――どちらの大学だったのでしょうか。
モンタナ州にあるモンタナ大学という州立大学でした。人の数より牛の数が多いと言われるようなのどかな州で、大学のすぐそばの川ではラフティングをやれるような所もありました。そんな場所で学生時代を満喫していました。
――では、高校生の時にはすでに米国の大学に行こうと思っていたんですね。
そうですね。ネーティブアメリカンのことをもっと知りたかったんです。日本の国内だと学科もコースもなく、学期に1クラスの講義を開いている大学があるかないかという程度でした。それで卒業後に渡米し、「ネーティブアメリカンスタディーズ」という学部に入学しました。
――ネーティブアメリカンに興味を持ったきっかけは、何だったのでしょうか。
きっかけが何だったのかは分からないんです。気が付いたときには、とても興味を引かれていました。高校生の頃、民族共生も含めて「平和な世の中や争いがない世の中って、どうしたらできるんだろう」と考えていました。特に小さい頃に見た湾岸戦争のショックがすごかったんです。「戦争って歴史上の過去のことだ」と思っていたのに、実際に爆撃している様子がテレビに映っていたのが衝撃的で、「紛争はどうしたらなくなるんだろう」と考えました。
ネーティブアメリカンにも迫害の歴史があり、白人との共生は茨の道でした。彼らについて知ることが、平和な世の中をつくることにつながるかもしれない。そんな思いでした。
【プロフィール】
秋吉梨恵子(あきよし・りえこ) 「概念型のカリキュラムと指導」公認トレーナー、IB Workshop Leader、マイクロスクールGIFT Schoolスタッフ。公立小学校退職後、欧米の学校を訪問しながら、大学院で国際バカロレア(IB)について研究。日本初の初等教育プログラム(PYP)認定校で、PYPコーディネーターとして探究のカリキュラムをデザイン・実践する。現在は複数の学校で、探究を中心としたカリキュラムデザインや教員研修を実施している。