公立学校教員を退職し、概念型探究について学ぼうと渡米した秋吉梨恵子さんは、帰国後に「概念型カリキュラムと指導」の公認トレーナーの資格を得て、現在は研修講師などとして活躍している。概念型探究を「公立校に広めたい」と話す秋吉さんに、インタビューの最終回では、探究的な学びの具体的な進め方や今後の展望を聞いた。(全3回)
――帰国後、日本初のPYP認定校のプログラム開発に携わったとのことですが、苦労も多かったのではないですか。
最初のうちはどの教員もよく分からない状態で、「一緒に何とかしよう」との思いで必死に頑張っていました。でも2~3年ほど過ぎると、そのサイクルから抜け出せて、自分なりのやり方ができるようになりました。
一方、そのタイミングで新しく入ってきた先生たちは、しんどい思いをすることになりました。学校としてプログラムが固まり始めた段階で赴任して「こうやるんだよ」と言われても、それまでの経験と結び付かないからです。
私はスーパーバイザーとして関わっていましたが、概念型探究はやはり簡単ではないんだと再認識しました。それで、概念型カリキュラムのワークショップを受けようと思っていたところに、公認トレーナーの養成講座があるのを知ったんです。公認トレーナーは、概念型カリキュラムをどう進めていいか分からない人をガイドするための資格なので、ワークショップよりこちらの方が役に立つと思い、取得を目指すことにしました。
でも、そのためには7月初旬から2週間ほど、オランダに滞在しなければなりません。学級担任をしている間はとても無理でしたが、担任を外れてコーディネーターに専念することになった年に、「講座に行かせてほしい」と学校に交渉しました。
――では、その年の夏にオランダへ行ったのですね。
ところがそれが、2020年だったんです。コロナ禍で渡欧できなくなりました。それでオンラインに切り替わったのですが、対面なら2週間で終わるところ、10カ月ほど要することになりました。
――その年度から学校内ではコーディネーターになったとのことですが、どんな仕事なのでしょうか。
IBでは、プログラムコーディネーターを必ず1人は配置することがガイドラインで定められています。コーディネーターの役割は、学校のカリキュラムがきちんと機能するようガイドすることと、各教員がプログラムを遂行できるようサポートすることの2つです。教務主任に近いイメージですが、場合によっては副校長的な役回りをすることもあります。
――授業は担当しないのでしょうか。
学校によります。コーディネーターは各クラスの授業を参観してフィードバックする必要があるので、学級数が多い学校では授業が持てなくなります。私の前任のコーディネーターは音楽専科だったので週に8時間くらいは教えていましたが、私は基本的に授業の持ちコマがありませんでした。
――探究的な学びが日本で本格的にスタートしましたが、どう進めたらいいか苦慮する声が上がっているようです。「オープンエンドということでいいのか」「学びの終着点が定まっていないだけではないか」という悩みもあるとのことですが、どのように見ていますか。
そういった悩みはよく耳にします。概念型探究というのは、実はとても構成的なんです。探究というと、「子どもが自分の好きなことを起点に好きなようにやる」「オープンエンド」といったイメージが強いかもしれませんが、そういうやり方では子どもが好きなことをただやるだけになり、全ての教育課程を終えられずに年度が終わってしまいます。
そのため、PYP校ではカリキュラムとして事前にしっかりと組みます。その上で、6年間で子どもたちが自分で理解を作り出すような学びに切り替えます。場合によっては、大きな発想の転換を必要とし、やり方が大きく変わるところです。
例えば、小3の4月に、学びを子どもたちに捉え直してもらうために設定している単元があります。今まで普通にやってきた授業や勉強に対する概念を拡張して形成していくんです。「学びは私たちの道を切り拓く」という「セントラルアイデア」を掲げ、そこに立ち返りながら学びについて、私たちの道について考えていきます。
――どんな授業をするのですか。
ある授業では、『世界の果ての通学路』というドキュメンタリー映画をみんなで見ました。その映画では4つの国の子どもたちが学校に通う様子が映し出されます。インドでは、下肢が不自由なお兄ちゃんがボロボロの車いすに乗り、弟2人が押しながら学校に行きます。ケニアでは、野生動物に襲われそうになりながら通い、中東では「女の子に教育なんか必要ない」という空気の中で女の子たちが通います。そうして、日本とは全く違う状況の中で、子どもたちが学校に通う姿を見るんです。
その上で、「なんでこんな思いをしてまで学校に行くんだろう」と話し合います。すると、「学校に行くことと学ぶことが密接につながっている」「学ぶことによって自分の将来が広がったり、やりたいことができたりするようになる」ことが、改めて言語化されていきます。
そして、「歩いたり話したりできるのも学んだ結果だ」と気付くなど、「学ぶ」ことに対する概念が拡張していきます。そうやって、授業や教科書だけが学びではないということを早い時期に学級で共有します。すると、「学ぶ」ことへの意欲が変わります。
――そこからさらに、新たな授業へ発展していくのですね。
例えば、イチローさんの文章を道徳の教材から引っ張り出してきてみんなで読んだり、お家の人にインタビューしたりして、「振り返ったらあの時がターニングポイントだった」ということを話し合って分析していくような授業もしました。それから、漢字の練習方法を考えて、「ひたすら書く」「絶対書かないで見て覚える」「ショートストーリーを作って、その中で漢字を使う」「絵文字みたいにして覚える」などいろいろな方法を試してみて、どれが一番自分に合っているかを探るといった授業もしました。
大事なのは、この単元にしっかりと時間をかけることです。そうでなければ、子どもたちが試行錯誤する余白がありません。最初は難しいと思っても、単元が6週間ほどあるので、次第に自分で分かるようになる。そうやって自信がつくと、自己効力感も高まります。
なかなか一足跳びにはいかなくて、子どもも教師もしんどい時期はあります。でも、そこをどう楽しみながら越えていけるかが鍵になります。
PYP校には「全てが学びのプロセスの中にある」という理念があり、評価は〇か×かではなく、「今あなたはここにいて、ここを目指しているんだね。じゃあ、こんなふうにやってみようか」などとフィードバックをします。そのため、子どもたちは自分を否定される感じがしないようで、何事もやってみようと考えられるのだと思います。
――そのPYP校を21年度末で退職して、現在はフリーの講師として活躍されているのですね。
私にはもともと公立校へのこだわりがあったんです。でも、一条校で日本初のPYP校を開設するというのが、ちょうど帰国するタイミングというのはご縁だなと思い、私学で働かせていただくことにしました。
でも、私立学校に通う子の多くは、経済的に恵まれた家庭の子です。本来こういう教育を受けるべきなのは、公立校に通う子どもたちだという思いが私にはありました。
公立校に戻ることも考えましたが、学校によっては自由がきかないケースもあって、「周囲と足並みをそろえましょう」と言われたり、管理職の意向で認められなかったりすることも考えられます。自分がいいと思っている実践を外的要因で制限されることに私自身が耐えられる自信がなかったんです。
加えて、公立校の教員になれば、原則として副業ができません。そうして迷っていたところに、とあるオルタナティブスクールから探究を進める上でのカリキュラムデザインのお話をいただきました。そこには公立校に適応できなかった子どもたちもいるので、その子たちに向けて概念型探究が持つパワーを実証したいと考え、引き受けることにしました。
実際に今、手応えを感じています。東京都練馬区の国立小がPYPの認定を受けたこともあり、最近は公立校の先生たちの興味も高まってきています。そうした状況もあり、当面の間はフリーの立場で、オルタナティブスクールのスタッフと研修やセミナー講師の両立を続けて、概念型探究を広めていきたいと考えています。
【プロフィール】
秋吉梨恵子(あきよし・りえこ) 「概念型のカリキュラムと指導」公認トレーナー、IB Workshop Leader、マイクロスクールGIFT Schoolスタッフ。公立小学校退職後、欧米の学校を訪問しながら、大学院で国際バカロレア(IB)について研究。日本初の初等教育プログラム(PYP)認定校で、PYPコーディネーターとして探究のカリキュラムをデザイン・実践する。現在は複数の学校で、探究を中心としたカリキュラムデザインや教員研修を実施している。