高校の国語教師と手話通訳者の2つの顔を持ち、フットワーク軽く活躍する水野冬馬さん。「環境が合わなければ変えて、そこからまたスタートすればいい」と思いながらたどり着いたのが,今の生き方だったという。インタビューの第2回では、水野さんが教師を目指した10代の頃について聞いた。(全3回)
――教員と手話関係の活動を掛け持ちしていて,周りからはどんなふうに受け止められていますか。
よく「非常勤ですよね?」と聞かれますが専任です。新聞などに活動が載ると、懐かしい人からSNSで連絡をいただくこともあってうれしいですね。
――これまで教員としてどんなキャリアを歩んでこられたのですか。
初任時は都内の公立中学校でした。ある生徒に「先生、私立の高校ってどんなところなんですか?」と聞かれ、いろいろと調べてみたのが私立に移ったきっかけです。私はずっと公立で育ってきたので、私立の状況がよく分からなかったこともあり、「だったら自分が体験してみよう」と、2年目に都内の私立男子校に転職しました。
その後、1500人規模の共学校に移り、特進コースを担当しました。その子たちにもっと自分に自信を持って大学受験に挑んでほしいと思い、「自分も一緒に受験するから頑張ろう」と励ましたんです。ちょうど大学院で日本文学を学び直したいと思っていたところだったので、学部でもよいかと進路変更をし、本当に高校生と一緒に願書を出して受験しました。
大学に合格してから考えたのが、学生生活と教員生活を両立させることでした。大学と自宅の経路の途中にある今の高校で非常勤講師の募集があったので、応募して採用されました。当時は学生生活と並行するつもりでしたから、非常勤の方が好都合だと思ったのです。
履歴書には「学生生活を優先するため、1年契約でお願いします」と書いた記憶があります。でも、AO入試(総合型選抜)や推薦入試(学校推薦型選抜)対応の放課後講座を受け持ったところ50人ぐらいの申し込みがあったりして、2年目もいてみようと思いました。3年目で講座の受講者が100人を超すようになり、翌年から専任になりました。
――子どもの頃から教員を目指していたのですか。
家庭の事情で施設で育ったので、将来は幼稚園教諭や保育士、教員の免許を取って子どもに関わる仕事がしたいと思っていました。中学時代にはいろいろな先生を困らせている中で、特に衝突を繰り返してばかりの先生がいたんです。その先生と「対等に張り合えるようになりたい」という思いから、いつしか教師を目指そうと思うようになりました。
数年前、地域の中学校を回った時に偶然、その先生にお会いしました。「え~っ!!」と、お互いにびっくりです。でも、先生は当時の私の心境を察してくれていて、「あの時は仕方がなかったよな」と温かい言葉を掛けてくれました。さらには、その先生の教え子を私が高校で担任するという偶然も重なり、それもまた喜んでくれました。
でも、正直に言うと、いまだに教師という存在に対する疑念のようなものは残っているんです。職員会議では、他の先生と対立することもあります。若い頃は退学処分が決定しそうになった生徒を「彼は早生まれなんだから、もっと成長を待ってあげてください!」なんて青くさいことを言って、会議を長引かせることもありました。その生徒とはいまだにつながっていて、生徒はすでに社会に出て所帯も持っています。生徒の側に立っていたいという気持ちはいつもあります。
――台湾で日本語教師をされた経験もあるそうですね。
最初に通った大学では教員免許の他に日本語教師の資格も取得したので、台湾の大学で1年間、日本語教師をしていました。台湾はとても過ごしやすく、楽しかったのですが、学生が日本語で話し掛けてくるので逆に自分の中国語は上達しませんでした。そうした状況もあってあまり自分にプラスになっていない気がして、1年で帰国し、その後に教員採用試験を受けて、国語の教員になりました。
――決断が速いですね。職場や働き方を変えながら、いろいろな経験をされているのに驚きます。
実は高校進学では家庭の事情で人より何年も遅く入学したんです。そんな経験もあり、一度決めたことでも違和感があったらやり直せばいいし、新しく始めたことでも「何とでもなる」と思っているところがあります。環境が合わなければ変えればいいし、そこから再スタートすればいい。教え子の高校生と一緒に受験して入学した大学も、推薦入試の対策講座が忙しくなってきたので途中までは通っていましたが、修了はしませんでした。
今思えば、台湾での経験は「言語習得の失敗体験」でした。帰国後は徐々に忘れてしまい、今では簡単な単語を聞き取れるだけになってしまいました。だから、手話に出合ったときは「毎日使おう」「実際にろう者と話そう」と思ったんです。過去の失敗があったからこそ、そう切り替えられました。
――現在、学校ではどんな授業を受け持っていますか。
だいたい毎年度、「国語演習」を受け持っています。そこでは総合型選抜で大学進学を目指す生徒のために、小論文の書き方や面接に役立つコミュニケーションの練習、手紙の書き方なども取り入れています。こうした活動は、社会に出たときに役立つものだとも思っています。
その他に、「現代文」も担当しています。以前は古文、漢文も含め全て教えていたのですが、現在は手話部で指導する際は言語の指導なので授業準備と同じように時間がかかるため、主に現代文としてもらえています。
【プロフィール】
水野冬馬(みずの・とうま) 1979年生まれ。豊南高校教諭(国語科)。生徒の声に応じて「手話部」顧問となり、活動を盛り上げる。自身も手話を習得し、手話通訳資格を取得。手話通訳ユニット「ケーマトーマ」としてさまざまな番組、ライブやイベントで活躍中。