【生徒指導から生徒支援へ】 教師のパラレルキャリア

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 高校教員であると同時に、ワークショップデザイナー、ルールメイキングアンバサダー、NPO法人理事などの顔を持つ逸見峻介教諭。こうした働き方をするのは教師としての判断軸を磨くためで、「生徒を誤った方向に向かわせたくない」という不安が原動力だと話す。パラレルキャリアを歩むことで、実際にその不安は解消されたのだろうか。(全3回)

目指すは教員。でも危機感はあった

――教師を目指したきっかけは、何だったのですか。

 両親が中学校教員だったことから、学校教員に対してもともとポジティブなイメージがありました。父の部屋にはクラスの集合写真が飾ってあり、学級通信をまとめたファイルが並んでいました。それらを目にして育ったことは、教員を目指したきっかけの一つだと感じています。進学先の明治大学では教職課程で齋藤孝先生のゼミに所属してゼミ長を務めました。何か自分で学びをつくってみたいというタイプでした。

 齋藤ゼミでは実際に子どもたちに対して、出前授業で自分の好きなテーマを扱ったり、演劇を見せたり、サマーキャンプを企画したりと、ユニークな学びを経験できました。日々の授業では全員でエッセーを書いて持ち寄って共有をしていましたね。とにかく楽しかったですし、個性的な仲間たちと切磋琢磨(せっさたくま)したことは、今でも私にとって大きな財産です。

――学生時代からワークショップの理論を学んでいたそうですね。

 教員として生きる上で、学校以外の教育にも目を向けないと視野が狭くなりそうだと危機感を持っていました。「世間知らずな教員にはなりたくない」と思っていましたね。そこで大学時代はネットで知ったカタリバの活動に参加し、学生のボランティアスタッフが高校生と語り合う「カタリ場」のキャストとして、さまざまな高校生と交流しました。

 その後、先輩の授業をきっかけにワークショップの面白さを知りました。すっかりハマってしまって、今ではワークショップデザイナーとして、継続的に学びの場もつくるようになりました。

 実は最近も、久しぶりにカタリバに関わっていて、みんなのルールメイキングプロジェクトの教員アンバサダーとしても活動しています。生徒指導や校則の見直し、対話の重要性を広める立場に任命してもらいました。そのほかにNPO法人「School Voice Project」の理事も務めています。教職員の声を集め、ボトムアップで学校を良くしようと発信している団体で、イベントの企画運営などに関わっています。

 大学時代にちょうどSNSが広まっていたタイミングだったので、いろいろな人と組織の枠を超えてつながることができました。情報発信や交流を続けてきたことが、巡り巡って今につながっています。本当にありがたいご縁でしかないですね。

学生時代にワークショップの面白さに目覚めたと話す逸見教諭=撮影:市川五月
学生時代にワークショップの面白さに目覚めたと話す逸見教諭=撮影:市川五月

生徒の手に委ねることの学び

――企画したイベントで、特に盛り上がったものは何ですか。

 前任校での取り組みですが、生徒が主体となった「放課後のキャリア教育セミナー」はとても印象に残っています。以前は大学の先生などを招いて、校内の希望者向けに講演してもらっていたのですが、実際のところは「大人都合の人選」で進めていました。だんだんと疑問を持つようになり、思い切って生徒に「話を聞いてみたいと思う人物はいる?」「セミナーの運営をやってみたい人は?」と持ち掛け、アポ取りから打ち合わせ、当日の司会進行まで委ねてみたんです。企画者から伴走者へとシフトチェンジした感じですね。

 例えば「小さい頃から通っていた水族館の憧れのシャチのトレーナーさんの話が聞きたい」と立候補してきた生徒には、職員室で教員への連絡から当日の企画までをどんどん任せました。結果、大成功に終わりました。その生徒は幼い頃からの夢をかなえることができたし、周りの生徒たちも、夢を叶えている仲間の姿を間近で見たことは、大きな刺激になったようです。

 著名人も高校生が話を聞きたいと直接依頼すると、引き受けてくれるケースは多いと思います。だから生徒には「失敗したらネタにすればいいじゃない。やってみなよ」と励ましながら、一緒に準備をしました。実際、ほとんどの依頼でOKをもらうことができました。高校時代に何かの作り手になる経験は、その後の人生に間違いなくプラスに働きます。立候補してくれた生徒たちには、感謝の気持ちでいっぱいですね。

学校と社会をつなぐ橋渡し役になりたい

――それは逸見さん自身が学生時代に何かをつくり出す経験、喜びを知っているからではないでしょうか。教員をしながら地域やオンライン上で活動を続ける理由は何ですか。

 根本は「不安」です。生徒は素直なので「右向け右」と言うと、だいたいは右を向きます。でも、本当にそれでいいのかという、どうしようもない不安が私自身の中にあるんです。教員という職業は、子どもたちに向き合うときの判断基準を磨いておかないと、誤った方向に向かわせてしまうリスクがあると思っています。学校の外でいろいろな人と対話することは判断基準を磨くことにもつながるので、意識的に取り組んでいます。

 最近では、自分が企画したイベントの情報を校内で共有することもあります。以前は、周囲からどう思われるか気掛かりでやっていなかったんですが、今はあまり気にしなくなりました。その方が自分の立ち位置が明確になって、自分のことを分かってもらえると思っています。

 そういえば、育休中はワークショップ系の人脈とは別に、地域でパパやママとして友人ができたのも大きかったですね。育児を通じて社会の見方も大きく変わりました。育児の世界では男性はまだマイノリティーな立場なので、発見も多くありました。とても良い経験になりましたね。職場の人たちには取得に際して、感謝しかないです。

――最後にこれからの目標を聞かせてください。

 これから先は70歳まで働く時代になるでしょうから、私自身は今、年齢的にその折り返し地点にいると考えています。「生徒支援に関する勉強会を開きたい」「地元埼玉の教育を元気にするような活動をしたい」など構想はつきません。

 校則に限らず、今の学校は変わってきています。知られていないだけで、ものすごい力を持った先生もたくさんいます。副業で学校に関わりたい人も増えてきました。これからは「学校と社会の橋渡し役」の重要性がより高まってきているのではないでしょうか。

 そうした意味で、これからも周囲の人への感謝の気持ちを忘れずに、自分らしくパラレルなキャリアを歩んでいきたいと考えています。

「学校と社会の橋渡し役」を目指して活動をしている=撮影:市川五月
「学校と社会の橋渡し役」を目指して活動をしている=撮影:市川五月

【プロフィール】

逸見峻介(へんみ・しゅんすけ) 埼玉県立新座高校教諭。1988年、埼玉県秩父市生まれ。東京学芸大学大学院教育学研究科を修了後、埼玉県立高校の教員(地理歴史)に。ワークショップデザイナー、NPO法人「School Voice Project」理事、みんなのルールメイキング教員アンバサダーの顔も持つ。新座高校では校則や生徒指導の見直しに着手し、生徒指導部を「生徒支援部」に改称することに携わる。

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