教師になって20年が過ぎた頃、A先生が、私の勤める中学校に赴任された。A先生は、初任校で教師に成り立ての私が担任した生徒であった。
A先生から、久しぶりに授業を見せて欲しいと願われ、私も快諾した。
「生徒たちがみんな活発で、楽しい授業でした。でも、先生の授業って、こんなに丁寧でしたっけ」
授業後、A先生は私に駆け寄ってきてそう言われた。この教え子の授業評価は、今の授業は20年前より少しはましになったかと、心密かにうれしくさせた。と同時に、まだ若かった私に衝撃を与えたB先生の教えを思い出させた。
中学校教師となって2年目の春。私は、待望の学級担任になれたことがうれしく、はりきっていた。教科担当も、1年生4学級のうち、1~3組の国語を私が担当し、4組は教頭のB先生が担当されると決まった。
1年生の子たちは素直で、授業はうまく進んでいるように思えた。
ところが、1学期の中間テストの結果に驚いた。4組の平均点が1~3組より10点ほど高いのだ。しかも、それは国語だけで、他教科の平均点は4学級とも変わらない。
一学期末のテストも、同様の結果だった。たまらずB先生のところに教えを請いに伺った。
「平均点は結果でしかないですが」
そう言ってB先生は、笑顔で授業を見せてくださった。
子供の楽しそうな笑顔が印象的だった。B先生の解説に、生き生きとつぶやきを発する子たち。先生の問い掛けは分かりやすく、ほとんどの子が手を挙げた。どの子の意見も、みんなが頷きながら聞いている。発言内容もよく考えているものが多かった。
大差の理由も分かった。授業が分からない子、やる気を失くしている子がいないからだ。お聞きすると、やはり全員が40点以上であった。
「『分かる』『楽しい』と言ってもらえる授業は一朝一夕にはできません。これでいいということもないです。でも、教師になったからには、やらなきゃならないですね」
言葉こそ厳しかったが、A先生は、落ち込む私に、子供を中心とした授業づくりを丁寧に教えてくださった。
この子たちに、この教材で、この内容をつかませたいと願いをかけること、子供の興味関心をもとに手だてを考えること、また、問いは子供がすっと理解できるようにしておくことなどを、それこそかんで含めるように。
あれから長い年月が過ぎた。私なりに経験を積んでもきた。
小学校に勤めたときには、得意な教科と苦手な教科とで子供の表情がまるで違うことに気付き、丸ごとその子を理解する大切さを知った。
特別支援学校に勤めたときには、やりたいことやできること以外には見向きもしない子供たちに出会った。一緒に遊ぶ中で、彼らが動きたくなる教材や環境を探り、的確な手だてに、彼らの瞳が光を帯び、夢中になって取り組む姿に感動した。
こうした経験が私の授業力を向上させたことは間違いない。ただ、どんなときも子供たちと向き合えたのは、B先生の教えがあったからだ。
教えた子に「丁寧な授業」と評価してもらえるまでに、20年かかった。それも私らしいと思っている。
若い先生方には無理なくたゆまず授業に取り組まれることを願いたい。
教師は「授業で勝負する」と言われるが、それは当たり前の毎日の営みの中にあるのだから。
(半田憲生・西尾市立鶴城中学校長)