【青春を詠む高校教師】 短歌を通して本当の姿が見える

【青春を詠む高校教師】 短歌を通して本当の姿が見える
【協賛企画】
広 告

 特別選考で横浜市の教員に採用された千葉聡さんだが、若い頃は仕事が思い通りにいかず、教員として苦しい日々が続いたという。そんな時、生徒と心をつないでくれたのも、学校生活を描いた短歌だったという。インタビューの最終回では、改めて短歌で学校生活や生徒たちの青春を詠むことの意味について聞いた。(全3回)

学級崩壊寸前も短歌に救われる

 ――日本では初めてとなる学校現場はどうでしたか。

 自分としては「短歌の実績が評価されて採用された」と思っているので、当然何かしら文芸的な活動が盛んな中学校や高校に着任するものと思っていました。ところが、実際にはそんな学校はほとんど市内になく、普通の学校に着任して、普通に教員の仕事をしなければいけませんでした。

 そうなると、面白い授業をやらないと子どもたちは満足してくれません。人気があるのは、昼休みに一緒に遊んだり、部活動を一緒に頑張っていたりする先生です。短歌が得意だからといって、別に何の得にもなりません。生徒もあまり寄ってこないし、寂しさを感じながら過ごしていました。

 一方で、「自分は作家なのだ」といったおごった気持ちで授業をしていたこともあり、面白いように子どもたちの心が離れていって、授業が成立しなくなりました。そうして精神的に病んでしまい、学校に行きたくなくなるなど、最初の1年は本当に最悪でした。

「短歌は本音を表現できる器」だという=撮影:市川五月
「短歌は本音を表現できる器」だという=撮影:市川五月

 ――やっと先生になれたのに、それはつらいですね。

 そんな日々の中で「自分はもう青春じゃないけれど、青春を記録することはできる。観察することはできる」と思って、学校のことを短歌に詠もうと思ったのです。それで、体育祭のことを詠みました。体育祭準備でこんな苦労をしたとか、得点ボードができたとか、本番当日を迎えたら曇りだったとか、みんなが頑張っている姿とか、一連の出来事を詠んだ短歌連作が雑誌に載ったのです。それを生徒たちに見せたら、とても喜んでくれました。

 初めて受け持ったクラスは学級崩壊寸前でしたが、短歌を詠むことで徐々に生徒たちが応援してくれるようになっていきました。今度も、短歌に救われた形です。それで調子に乗って「次は文化祭も詠むよ!」なんて言って、学級通信にも「新しい短歌ができました」と載せたりしました。

 今振り返れば、「ちばさとは駄目な教員だから、せめて良いところを応援してあげよう」と周囲のみんなが気遣ってくれたということだったと思いますが、みんなよく嫌がらずに読んでくれたなと思います。短歌には、自分は駄目な教員だとか、夜中に教材研究していて悲しいとかいうことも書いたし、もっと良い授業をしたいのにできないということも書きました。

 世の中には教壇に立ちながら詠んでいる歌人も多いし、学校を題材にしている方もいます。ただ、面談が生徒の一言で駄目になってしまったとか、窓ガラスが割れてそのままになっているとか、苦しくて教員をやめたいとか、割と厳しい場面を描いたものが多いのです。でも、私にはそうではない日常を詠みたいという気持ちがあります。

体育祭を短歌に詠むことで、生徒が応援してくれるようになったという=撮影:市川五月
体育祭を短歌に詠むことで、生徒が応援してくれるようになったという=撮影:市川五月

 ――短歌を通して、生徒たちには千葉さんのことが見えてきたのかもしれないですね。

 高校3年の「国語表現」で詩や短歌を書く授業をすると、短歌を書いてくれる生徒がいるのです。友達関係で悩んでいることを短歌に詠む子もいて、短歌に書くことでその悩みを乗り越えようとしたのかもしれません。その短歌は朝日歌壇に載り、共感してくれた読者の方がいたり、「これ分かるよ」と言ってくれる友達がいたりしたようです。生徒にとって短歌が、自分の気持ちを吐き出す手段となっている部分もあるようです。

 毎日、小さな黒板に短歌を書いていると、自ら短歌を書く生徒も出てきますし、「五七五七七」というリズムも自然に頭に入ってきます。放課後、黒板の隅に私が五七五で何かを書いておくと、翌日に誰かが七七を書き足して短歌一首が完成していたりすることもあります。

 短歌を書くところまでいかなくても、小さな黒板に恋の歌を書くと生徒たちの食いつきが違います。例えば、柴田瞳さんの「つないだ手いつか手錠に変わってもいいと思っている月の下」なんてちょっと怖い歌をあえて書くと、じっくり眺める生徒がいます。高校生はやはり、いろいろあるのですよね。

 恋の歌で一番反響があったのは千原こはぎさんの「距離を置く作戦実行中ですが月がきれいで話がしたい」という歌で、男子にも女子にも共感を呼びました。日頃、生徒たちに「恋愛の話をしよう」と言っても絶対にしませんが、こうした歌を詠んで感想を話すことはできるのです。

生徒に寄り添い、黒板の短歌を書き直す

 ――小さな黒板が、生徒とのコミュニケーションツールになっているのですね。

 実はこの小さな黒板で、駄目出しを食らったことが3回あるのです。生徒たちはみんなすごく優秀ですが、中には学校生活や家庭のことで悩んだり苦しんだりしている生徒もいます。ある先生から「今日の黒板の歌はやめてほしい」と言われたことがあって、その歌が特定の生徒につらい現実を突き付けることになるのではないかと言うのです。一瞬、文学の自由を侵害されたように思いましたが、その先生が生徒への愛情から言ってくれたことが分かったから応えようと思い、その場で全く別の歌に書き換えました。

 学校はやはり、つらいことも多い場所だと思うのです。朝早く起きて登校しなくてはいけないし、友達関係もあるし、成績で比べられてしまうこともある。そうした苦難を乗り越えるためには、やはり人と触れ合うことや自分の意見を聞いてもらえることが大切なのです。

 私は教員として授業が上手なわけでもないし、かっこ悪い姿を見せることもあります。でも、短歌を通じていろんな人とやりとりができるし、声を掛けることができる。だから幸せになれた。そうしたことは、生徒たちにも伝え続けていきたいと思っています。

 「居場所」とは、自分を表現できる場所だと私は思うのです。子どもたちにとってみれば、自分の好きな世界について話せることは、とても大切です。ひょっとしたら、小さな黒板が誰かにとっての「居場所」づくりのきっかけになるかもしれません。

 ――これからのキャリアをどのようにしていきたいと考えていますか。

 卒業生とも約束をしているので、ベストセラーを出したいですね。そうして印税が入ってきたら、学校のグラウンドに陸上競技用のタータン(トラックの合成ゴム)を敷いてあげたいと思っています。また、学校図書館にいろんな本を入れたり、研究費として高校に寄付をしたり、みんなのために役立つものを残せたらいいなと考えています。

 私が担任したクラスでも、半ば冗談ですが「10万部売れたらみんなで焼肉に行こう」とか「100万部売れたらディズニーランドへ行こう」とか言ってきました。いずれにせよ、みんなに何か還元できたらいいなと思っています。

 生徒たちには常々、もっと欲張って生きてほしいと思っています。それなのに私自身が現状に満足しきって「もうこれでいい」みたいな顔をしていては失礼だと思うのです。自分も「これからもっと良くなろう」という気持ちを持ち続けたいと思います。

「生徒との約束でもあり、ベストセラーを出したい」と話す千葉さん=撮影:市川五月
「生徒との約束でもあり、ベストセラーを出したい」と話す千葉さん=撮影:市川五月

【プロフィール】

千葉聡(ちば・さとし) 1968年、横浜市生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。國學院大學大学院文学研究科(博士課程後期)単位取得退学。98年、第41回短歌研究新人賞受賞。現在、横浜市立横浜サイエンスフロンティア高校教諭。歌集に『微熱体』『今日の放課後、短歌部へ!』『短歌は最強アイテム』『グラウンドを駆けるモーツァルト』など、編著に『短歌研究ジュニア はじめて出会う短歌100』などがある。今年7月に『飛び跳ねる教室・リターンズ』(時事通信社)が刊行された。

広 告
広 告