「対話的な学び」について研究を進めてきた東京都日野市立滝合小学校では、「対話」の研究を進めることで、教職員に変化が起き始めたという。「対話」の実践を推進してきた加藤敏行校長に、インタビューの最終回では「対話」による教員の変化が、授業や子どもへの対応にもどのような影響を及ぼしたのか、現任校の日野市立豊田小学校で今後どのような研究を進めていくのかを聞いた。(全3回)
――「対話」の良さを実感するほど加速度的に「対話」が進むとの話ですが、具体的にどういうことですか。
「対話」することの心地よさを少しでも体感することができれば、「言いにくい」とか、「言っても無駄」というような前段の話が必要なくなるので、「対話」が加速度的に進むのです。
例えば、A先生は何かを投げ掛けると、必ず「でも」で言い返してきます。しかし、A先生の「でも」は「しかし」の意味ではなく、慎重に受け止めたい思いの「でも」だということが、「対話」をしてくるうちに分かってきます。すると、「でも」で返されても反発されたと思うことなく受け止めることができるので、余計な気遣いは必要なくなってくる。相手のロジックを理解しているのですから、当然、省力化や働き方改革にもつながっていくのです。
――研究の場以外の面での変化も、感じているのですね。
私の感覚から言うと、全ての場所が「対話」の場みたいな感じで、登下校の時でさえ、子どもと「対話」するチャンスと捉えています。
例えば出勤するとき、「今日は誰と会えるかな?」と思いながら、時間を変えたりルート変えたりして、他愛のない会話を交わします。傘を持っている子に「今日は雨が降るの?」と、天気予報は知っていてもあえて聞いてみる。するとニコッと笑って「先生、今日降るんだよ!」「なんで知っているの?」「毎朝ニュースを見てくるから」などと、言葉を交わすほどに会話が弾んでいきます。初めは会釈さえぎこちなかった子が、「先生に相談したいことがあるので、今日、中休みに校長室に行ってもいいですか」などと、「対話」のチャンネルさえも開いてくる。
そういう接点をあえて自分からつくっていく熱意が大切だと思うのです。そうした熱意が心にともった教員は、子どもや他の教員などとの関係性がどんどん深まり、それと呼応するかのように、学級の雰囲気や人間関係が見違えるほど良くなっていきます。
ある日、対話力が高い教員の授業を見たときのことです。6年生のこのクラスに、考えは深いけれど、普段から発言が少ない物静かな子がいました。担任が発問したとき、その子の手がわずかに動いたのを近くにいた子が見逃さなかったのです。そして「○○さんが何か言いたいみたいだよ」と、優しい口調でみんなに伝えたのです。すると全員がそっとその子に意識を向けるような感じになり、それからどれくらいの時間が経過したでしょうか、その子が静寂を破ってポツリと小さな声で発言したのです。すると今度は反対側に座っている子が、それを周りに伝えてくれて、「なるほど」とか「◯◯さんはそういうふうに感じていたんだね」など、◯◯さんの思いをそれぞれが受け止め、さまざまな反応が自然に生まれていました。
こんなふうに、「対話」が学級に浸透していった結果、それぞれの人間の存在を優しく温かく受け入れていくようなクラス、それでいて考えを率直に言い合えるクラスへと生まれ変わっていくのを、この目で幾つも見てきました。
――教員の変化が、子どもたちの変化にもつながったのですね。
最初の研修会で出て行ってしまった教員は、すごく慎重なタイプですが、一方では温かくて優しく、子どもたちからはすごく好かれています。そのような素晴らしい素質を持っているだけに、もっと自分の本音をさらけ出していくことで、成長していくに違いないと思っていました。
その後、その教員の様子を見守っていったところ、対話の素晴らしさが自分の中でふに落ちたのでしょう。翌年は研究推進委員になって、みんなを引っ張る立場にまでになったのです。「対話を経験することで、相手の心をくみ取ろうという意識が強くなりました」とその教員は話していました。興味深いのは「1秒あるかないかですが、自分の中で時間を持てるようになりました」と語っている部分です。子どもが反発しているときの声掛けも、1秒あるかないかの内省的な対話の時間を持てれば、「そうやって反発するのは、反発するだけの思いがあるからだ」と心に余裕が出てきます。頭ごなしに指導するのではなく、「なるほど」「私の考えとは異なるけれど、少し考えてみるね」といった優しい投げ掛けの言葉に変わります。以前は「なんでそんなことを言うんだ」とモヤモヤしていた自分が劇的に変わることで、「対話はすごい」と実感していったわけです。
――とはいえ、「対話」を学校の文化として根付かせていくのは大変な苦労があります。校長が代わるとそれまでの取り組みがなくなってしまうこともあるでしょう。
「校長先生が異動してから、その後学校はどうなりましたか?」との問いに、前任校の教員たちは「何も変わっていません」と答えたそうです。「対話でつかんだものがあるので、自分から子どもの気持ちをくみ取りに行こうという気持ちは、今も変わっていません」と述べていました。また、「新しく異動して来た先生はどうなのか?」との問いには、「学校全体が、そういう雰囲気になっているので、新しく来た先生も、自然に同じようになっていきます」と答えたそうです。素晴らしいですね。
結局のところ、教職員が「対話」によって自分自身も良い方に変わったという実感を持てれば、さらに良い効果を生んでいくということなのでしょう。教職員の心理的安全性にもつながっていくということですね。
――現在校長をしている豊田小学校でも「対話」の文化、「対話」のある組織・学校をつくっている最中だと思います。これからの目標を聞かせてください。
1つ目に、これまで私自身が学んだことや実践したことを生かして、日常的に「対話」がある学校にしていきたいと思っています。保護者に接するときにも実践を生かしていきたいですね。例えば、保護者会もせっかくお忙しい中おいでくださっているのですから、教員が一方的に話すだけでなく、保護者と「対話」していきたい。保護者に司会をしてもらったり話題を提供してもらったりなどのことも、どんどんやっていくといいと思っています。学校で出す宿題も、保護者との「対話」によって、子ども一人一人オーダーメードの内容にすることが可能です。個別最適化を「対話」によって成し遂げていくという視点です。
2つ目に、「対話」の尺度や基準を明らかにできたらいいと考えています。学校全体として「対話」の力が伸びているのは感覚的に明らかですが、その効果測定が極めて難しい。子どもの発達段階との相関も含めて、これから明らかにしていきたい部分であります。
3つ目に、子どもや教職員のメンタルヘルスについて、「対話」という切り口で実践研究に取り組んでいきたいと思っています。学校に行きたいけれど行けないという子どもたちとの「対話」、「困った」がなかなか言い出せずに悩んでいる教職員との「対話」、「対話」を子どもの指導に生かしきれないで悩んでいる教員など、まだまだできることはたくさんありそうです。
最後に4つ目ですが、同じく「対話」を研究する皆さんとつながり、互いの経験や学びを共有し、皆で研鑽(けんさん)をより深めていけたらと思っています。
【プロフィール】
加藤敏行(かとう・としゆき) 1962年、東京生まれ。東京学芸大学大学院修士課程修了。公立小学校教諭を務めたのち、教育委員会指導主事を経て、2013年から校長職を歴任。「対話」による「みんなに居場所や出番のある学校づくり」を目標に実践を重ねている。