前回のオピニオン欄では、大空小学校で最も対応に苦慮した「不登校の子」から私たちが学んだことについて述べた。今回は、子どもが「不登校」になる背景に何があるのか、そして全ての子どもの学びを保障する学校はどうあるべきかについて、私の考えをお伝えする。
まず断っておくが、障害や不登校といった言葉を、私は社会が使ってよい表現として認めたくない。記事の中で便宜上使わざるを得ない場合は、「障害」「不登校」とかぎかっこ付きで記す。
さて、前回も伝えたように私たち大空小の教職員は、最も対応に苦慮した「不登校の子」から多くを学んだ。中でも意義があったのは、子どもも教職員も、そして保護者や地域などのサポーターたちも、子どもが主語になっていて、子どもが自分で考えて決める空気が自然と生まれる環境がよいと気付き、結果として学校の環境が豊かになったことだ。
大空小の子どもたちに、かつて通っていた学校と大空小とで何が一番違うのかを聞くと、ほとんどの子が「空気が違う」と話す。かつて通っていた学校を表現させると、「刑務所」「収容所」「病院」「監獄」などと、私たちにも突き刺さるような声を漏らす。
授業中に先生が投げ掛けた質問に対してつぶやくと「黙れ」「勝手にしゃべるな」。手を挙げて、先生に指名されたら返事をして立ち上がり、椅子を入れる。そうしなければしゃべってはいけない。でも、そんなふうにしていたら何を話そうと思ったのか忘れてしまう。そこで「忘れた」と言うと、「分からないのに手を挙げるな」と怒られる。そんなことを言われながら椅子に座っているうちに、息ができなくなってしんどくなる。それで教室を飛び出すと「迷惑を掛けた」「謝りなさい」と言われる――。
勝手に動くな、勝手にしゃべるな、勝手に逃げるな。それを子どもたちは「監獄」などと表現していた。それに対して、大空小の空気は「普通」と言う。「普通だから息ができる」と。
今、「子どもを主語に」という言葉が広がっている。しかし学校は、「不登校」の子どもたちからどれほど学べているのだろうか。「不登校」とは逃げではなく、学校に行かないと決めて主体的に生きているということの表れだ。だから学校や教職員は自身をアップデートして、主体的に生きている子が「行きたい」と思える環境をつくっていく必要がある。
その環境とは、学校に通えないでいる子も安心できる居場所があるところだ。それを他の子どもたちが「あの子だけ特別扱いする」と捉えたとしたら、それはそういう空気が学校にはびこっているということになる。みんなができることをできない「発達障害」などのレッテルを、大人たちが貼っているということでもある。学ぶ権利を侵害するこうした空気が、残念ながら少なからず学校にあるために、主体的に生きる子が苦しみ、保護者も不安を抱える社会を生み出しているのだ。
もし学校がスーツケースに子どもを押し込めようとするのではなく、多様な大人で風呂敷をつくり、多様な子どもたちを包み込めるようになったら、子どもたちを取り巻く環境に豊かな空気が自然と流れるだろう。子ども同士の関わりもおのずと豊かになり、みんなが幸せになっていく。
大空小に全国から転入してきた五十数人の子の多くは、「この子がいるとトラブルが起こる」と言われ、他の保護者からのクレームなどもあって幼稚園や保育所で排除されてきた子でもあった。「みんなと同じことをやれ」と言われて、困っていた子たちだ。しかし現実には、みんなと同じことを素直に「はい」と言って指示通りにやる子は、大人になって社会に出るまでに必ずどこかで壁にぶつかるだろう。だから見方を変えれば、子どもの頃に排除されていたというのは、早く成長したということでもある。みんな違っていることが当たり前で、その子は自分のペースでその子らしく育てばいいというのが「誰一人取り残さない教育」の神髄ではないか。
ところが今、文部科学省などが進めているのは、学校に行けない子に向けて「学びの多様化学校」やフリースクール、オンライン登校の仕組みを整えるという流れだ。先日も、校長・教頭を対象とした研修会で講師を務めた際、「誰一人取り残さない学校づくり」というテーマでグループワークをしたところ、その中の一人が発表で「学校に来ることをゴールだと思っていない。つらい思いを無理にさせるのはかわいそうだから、学校以外のところを選択するようどんどん勧める方がその子のためになる」と語ったのだ。
この発表に私は「公立小の管理職が『無理して来なくていい』と言ったらおしまいだ」と強く抗議した。「保護者やフリースクールの先生が『無理に学校に行かなくていい』と言うなら分かる。しかし、義務教育で全ての子の学びを保障する公立小は、誰もが安心して通える環境をつくっていくべきで、それをどうにかするのが管理職の仕事だ」と伝えた。
安易に「受け皿だ」などと、学校に通う以外の選択肢を子どもが選ぶことを当たり前にしないでほしい。誰もが安心して通える学校は絶対につくれる。どの子も息ができる環境をつくり、社会を変えていこう。