文部科学省は今年3月にまとめた「博士人材活躍プラン」で「博士教諭」の名称を新設する方針を示し、特別免許の指針を改定するなどして、教員免許を持たない博士人材の登用を推進する考えを示している。現状、博士号を取得しても定職に就けない「博士余り」の問題は、大きく改善されていない。そうした中、秋田県は2008年度に「博士教員」の採用をスタートし、現在は7人が教壇に立っている。その1人、採用9年目の東海林拓郎教諭に、博士教員としてのこれまでの歩み、研究経験が現在に生きていることなどを聞いた。(全3回)
――勤務校は現在3校目とのことですが、もうすっかり慣れて教育現場の先生という感じでしょうか。
秋田県に「博士教員」として16年度に採用されて9年目を迎えていますが、「10年一区切り」まで年はたっていないので、まだまだだと思っています。
――生徒たちは、東海林教諭が博士号を持っていることを知っているのですか。
一応、年度の最初の授業で「博士教員」として採用されたという話はするのですが、生徒たち自身は秋田県の制度を詳しく知っているわけではないので、「生物の授業に来た先生が、そんな感じの先生なのだな」ぐらいの感触で捉えているように思います。
――生物の授業を担当されているとのことですが、博士号を取られた研究分野は何だったのでしょうか。
学位で言うと「生物資源科学」で、いわゆる農学です。主たる研究対象は「土」で、大学院時代は塩類土壌をどうやって栽培に適したものにしていくかを研究していました。
現在担当している授業は、教科科目名で言うと「生物」「生物基礎」「躍進(いわゆる課題研究)」です。校務分掌としては、本校はSSH(スーパーサイエンスハイスクール)に指定されているので、研修を企画したり授業のアンケートを取ったりする分掌の主任をしています。
――秋田県の「博士教員」は、一般選考で採用された教員と、業務内容という点で異なる部分はあるのでしょうか。
例えば、他の高校や小・中学校から依頼があれば、出張授業に行くことになっています。そのためには教材を作ったりする必要があるので、以前は担当する授業数を少し減らすなどの配慮もあったようですが、現在は教職員が多忙なため、そういう配慮も難しい面があるようです。ただ、各校ごとに博士教員の負担を減らし、専門性を生かせるような工夫はしていると思います。
出張授業は、年度当初に博士教員が授業計画を提出して、それを見た各学校が必要に応じて申し込むという形です。その後、授業を受ける子どもの数や授業を実施する場所、必要な実験器具などを打ち合わせて調整します。ちなみに、コロナ禍前は私も、年に10回前後は出張授業に行っていました。
――出張授業はもちろんですが、普段の授業で大学や大学院で研究してきたことが生きる場面はありますか。あるいはより積極的に自分の専門性を生かしていこうというスタンスで授業されているのですか。
前提として学習指導要領があるので、それに準じてしっかりと教えなければなりません。教科書の中で自分が取り組んできた専門分野と関係のある部分は本当に限られていて、授業の回数でいうと1年のうち1~2回だと思います。博士教員によっても差があり、遺伝子を研究していた人はもっと関連する場面があると思いますが、私の場合は土の研究なので、生物の教科書にはほとんど出てきません。
――探究活動などで、生かせることはあるのでしょうか
探究活動を始めるときに、私が「こういった分野の指導ができるよ」と専門分野を出してしまうと、生徒が主体的に自分のやりたい内容に取り組むのではなく、「先生に聞けば答えてくれるから」という理由でテーマを選んでしまいかねません。なので、あえて自分から言わないようにしています。
それでも、農業作物を育てること、土について調べることに興味を持った生徒がいた場合は詳しく教えますし、知り合いの研究者を紹介することもできると伝えています。生徒のやりたいことを邪魔してまで自分の専門分野を出していくというのは、少し違うかなと思うのです。
むしろ、研究内容よりもアプローチの仕方の部分で、生きてくる点は多いと思います。例えば、平均値を統計学的に比較しようとすると、最低でも3回以上の実験を繰り返す必要がありますが、学校では時間が限られているし、実験の規模や予算なども考慮する必要があります。そうした部分で、大学院で培ったノウハウは生かせます。
――実際に高校現場に入って驚いたことはありますか。
一つは授業スタイルが、自分が高校生だった頃とは大きく違っていることです。現在はファシリテーターのような役割が求められているように感じています。同僚や先輩の授業を見ても、やはり昔とは全然違います。「教える」より「ファシリテート」するような授業がこれからは必要なのだということは、採用1年目の研修で模範授業を見たときにも感じました。
一方、現状の高校でそうした時代的要請に応えられているかというと、必ずしもそうではない部分もあります。昔のスタイルで「教える」授業をしている教員もいます。もちろん、それが全て駄目なわけではありませんが、もう少しファシリテーター寄りの授業展開を心掛けていく必要があるのかもしれません。
――「博士教員」の視点から、驚いたことや不思議に思ったことはありますか。
これは「博士教員」の間でも話していることですが、実験計画を立てる場面では、やはり研究の経験がものを言います。一方で、同じ理系の教員でも、大学で卒業論文を書かなかった人もいます。
そうした経験がない教員が、課題研究の指導をやっていかなければならないことに、少し驚きがありました。研究経験がないのに、どうやって生徒たちに研究計画を立てさせたりするのか…と。例えば、研究に必要な文献を探す場合でも、教える側にそうした経験があるからこそ、指導できると思うのです。今後、探究的な学習を進める上では、教員の研究経験不足に対応していくことも課題だと思っています。
【プロフィール】
東海林拓郎(しょうじ・たくろう) 1981年生まれ。幼い頃から研究者に憧れ、秋田県立大学で修士、博士と土壌科学を研究。博士課程修了後、NPO法人に就職し、環境教育に取り組む。秋田県教育委員会が教員免許を持たない博士号取得者を教員に採用する特別選考を知り、「次世代への環境教育ができる」と考え応募。3校目の現任校では、1~3年の生物の授業を担当。探究活動を担当する同僚への助言や、他校に出向いての出張授業なども担当している。