皆さんは、「メンター」となる人が周りにいますか。少しだけ経験が上になる「できる先輩」がメンターになりやすいです。あの人のように授業が上手になりたい。あの人のように子供たちから信頼される教師になりたい。あの技術を盗んでやる。会得してやる。そんなメンターがいて欲しいです。
私は、新任者として小学校に配属され、4年生の担任でスタートしました。大規模校で2年間クラス替えをせずに3年生で一番落ち着いていると言われた学級を4年生で担任しました。すぐに落ち着かない学級へと変貌していきました。後から思えば、指導のメリハリがつけられなかったことが反省させられます。先輩教師からのアドバイスを受けながら、学級集団の規律の再構築に必死に、その後を過ごしました。ほぼ学級崩壊の状況で、同じ学年の子供たちを、翌年からも続けて高学年を受け持ち、卒業させられたことは自信になりました。同僚だけでなく、上司の器の大きさにも助けられました。
5年目となり、中学校への異動となりました。中学生をしっかり指導しなければと肩に力が入り過ぎていたのでしょう。今度は、任せるべきところまで、強制して制限していたようです。特に女子指導には困りました。後期の女子学級委員が他の学級よりも1か月過ぎてようやく決まりました。学年集団や学年主任の導きもあって、学級経営の技術や個性ある生徒に自治力・自浄力を培い、集団として成長するすべを学ぶことができました。この中学校でも、先輩や同僚に支えられていました。また、生徒会担当者と生徒指導担当者の熱い討論の場に遭遇して驚きました。まさに殴り合うんじゃないかという勢いの言い合いに、立場の違いから、同じ子供たちの成長を願っての異見のバトルでした。先輩教師の熱い思い、魂を感じた時間でした。
失敗があり、支えられるの連続でした。中学校での指導に自信がついてきた10年目に、教務主任とTT指導を組むことになりました。数学科の指導もこれでやれると感じていましたが、この先輩と組むとまだまだ自分の未熟さ、多様な視点があることなど多くのことに気付かされました。まだまだ足りないな、学ぶ必要を感じました。
「将来、何になる?」と学生の頃に問われれば「教師になりたい」と答えていたでしょう。夢は教師、という答えです。初任者の時には、「一人前の教師に早くなりたい。育ちたい」と努力しました。5年目には、「できる教師になりたい。力量が高い教師になりたい」と目標を立て、先輩教師や同僚と切磋琢磨(せっさたくま)しました。10年目を超えると、「もっと魅力ある教師になりたい」と思うようになりました。常につまずきから、新たな課題が見つかり、周りの仲間と協働して、自分磨きをしてきたように思います。
よく「失敗から学ぶ」と言われますが、前向きになるためには、乗り越える体験が必要です。困難に立ち向かう勇気を持つには、似たような壁を越えてきた経験が大切です。今思い返すと、いつも自分の周りには、頼りになる先輩や相談できる同僚や後輩がいたんだと幸せを感じます。
縁あって、校長を務めることになりました。学校を経営する責任の重さを感じています。学級の様子や職員を見守りながら、任せつつ、次の一手を考えています。今は、学校全てがメンターです。
(羽根田修・豊田市立井郷中学校長)