【次期指導要領㊦】柱にすべきはインクルーシブ教育(木村泰子)

【次期指導要領㊦】柱にすべきはインクルーシブ教育(木村泰子)
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「知・徳・体」を捨てる

 前回のオピニオン欄で私は、子どもの自殺をゼロにするための学習指導要領を、子どもの事実と子どもの声を出発点につくり上げていくべきだと述べた。では、そのために学習指導要領が最重要事項として言語化すべきは何か。

 OECD教育2030では「生き延びる力」を次の3つに分類している。「新しい価値を創造する力」「緊張とジレンマの調整力」「責任をとる力」。「創造・対話・自律」と言い換えてもいい。これを3つの柱に置くべきだ。そうすればおのずと、学びの主語は子どもに変わる。

 これまでの学習指導要領では「知・徳・体」が基本とされてきたが、これらを全部捨てる。私はその水面下に、隠された優生思想と能力主義があると思っている。学校現場にいて国や自治体から下りてくる通達・通知などを見ていれば、日本の教育が「世界との勝負」のために、この2つを諦めきれていないのは明らかだ。

 しかしその結果が、子どもが自殺してしまうという事実と、子どもが学校に行かないという事実だ。「公教育の危機」などという局面はとっくに通り越している。すでに遅いが、今やり直さなければ、公教育は崩壊する。

「特別支援教育」でインクルーシブな社会にはならない

 子どもがなぜ死んでしまい、なぜ学校に行けないのか。私はその根源に、日本固有の「特別支援教育」があると思っている。この「特別支援教育」は、目的を「インクルーシブな社会をつくるため」などとしているが、「特別支援教育」は画一的な教育、インクルーシブ教育は多様な環境をつくり出す教育。両者は全く違うものだ。

 これまでにもこのオピニオン欄で伝えてきたとおり、「特別支援教育」はスーツケース、インクルーシブ教育は風呂敷だ。前者の主語は大人や先生で、後者の主語は子ども。まず、この「特別支援教育」を抜本的になくして捨てる必要がある。柱にすべきはインクルーシブ教育だ。

 これまでの「特別支援教育」がどんな不幸せにつながっているか、国は知るべきだ。例えば車椅子ユーザーで、大人になってインクルーシブ教育を広める活動をしている人たちがいる。この人たちは地域の学校へは行けず、特別支援学校でしか学ばせてもらえなかったり、地域の学校へは行けても他の子どもたちと一緒に遊ばせてもらえなかったり、あるいは特別支援教室から一歩外へ出たらいじめられたりした。そういった過去を経て訴えているのは、「障害があってもみんなと一緒にしゃべりたかったし、みんなと一緒に遊びたかった。みんなと一緒にいられる場所で、みんなと一緒に学びたかった」ということだ。

 その中の一人の言葉が、痛切に私の中に突き刺さっている。それは、「障害があるから違う学校に行かせたり、違うクラスに分けたりするということは、子どもたちに『障害があったら分けていい』と教えているということだ」というものだ。この言葉から感じ取れるのは、学校に行けなくなった子どもや、いじめを受けて死んでしまった子どもたちは共通して、「周りとちょっと違う」ということで区別され、本当に苦しい思いをして、ズタズタになってしまったのではないかということであり、今までの学習指導要領が目を背けてきたことだ。

学校現場に裁量を委ねる

 学習指導要領を「改訂」しているのは、現場にいた私から見ればいわゆる「偉い人たち」だ。だから学校現場に位置付かない。しかし、真の改訂がなされ、本当に大事なことが書かれるようになるならば、学校現場の人間は誰もが知らなければならない。

 それなら、現場の人間が全員分かるような形で示す必要がある。そうなったらもちろん、分量は少なくしなければならない。大事なことだけが書いてある。後は何もいらない。

 私は、学習指導要領は2~3ページで十分だと思っている。その中に、現場の人間が絶対に知らなければならないことを、分かりやすく簡潔にまとめる。その際に大事なのは、校長に裁量権を100%、委ねることだ。残念ながら中には、それに値しないと思われている校長もいるかもしれないが、その場合にはその校長がやり直しをすればいい。

 今は「校長に裁量権を」と言われながら、実際には全て教育委員会にお伺いを立てながら進めているという現状がある。しかし、学校現場のトップである校長が自律していないのに、子どもが自律できるわけがない。校長が自分で決められないのに、教職員が自分で決められるか。子どもが自分で決められるか。

 学校のことは校長が決める。それでうまくいけないことがあったら、またやり直したらいい。このやり直しは学校にとって大きな学びになる。それなのに、やり直すこともできない学校を校長自らつくってしまっているというのが今の実態なのだ。校長に学習指導要領の裁量権を委ねるというのがこれからは必要になる。「学習指導要領」という名称も、過去を捨て去るためには変えていくべきだろう。

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