子どもが多様な人と出会い、共存する経験を奪わない(野口晃菜)

子どもが多様な人と出会い、共存する経験を奪わない(野口晃菜)
【協賛企画】
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多様な人と出会う機会が失われていないか

 「障害のある人と接したことがないから、どうしたらよいか分からない」

 「マイノリティーは周りにいないから分からない」

 企業においてDEI(Diversity〈多様性〉, Equity〈公正〉 and Inclusion〈包摂〉)について研修をしてほしい、という依頼が年々増えている。このような言葉は研修の場に呼ばれた時に実際に言われた言葉だ。

 2024年4月に合理的配慮が全面的に義務化され、障害者雇用率は年々増加している。

 さらに、外国にルーツのある人、高齢者、子育てをしている人、介護をしている人……多様な人の働く権利の保障、そして人口減少も相まり、多様な人と働くことが当たり前になってきている。

 これからの子どもたちが生きる社会は、確実に、多様な人と共存する社会だ。

 障害のない子どもが大人になる頃には確実に、障害のある人と共に働き、障害のある顧客に合理的配慮の提供もする。

 一方で、公教育においては、子どもたちが多様な人と共存するどころか、出会う機会すら公教育で保障されていないこと、むしろ奪われてしまっていることを危惧している。さらには、出会っていたとしてもそこに「いないこと」にされてしまっているケースもある。

 例えば特別支援学級や特別支援学校に在籍する子どもは年々増加している。通常の学級、通常の学校との交流の場がほとんどないケースも少なくない。特に特別支援学校の子どもたちと通常の学校に通う子どもたちは、同じ地域に住んでいても、日常的に出会い、接する機会はほぼない。

 さらに、不登校状態の子どもたちは小中学校で30万人。学びの多様化学校や校内フリースクールという選択肢はできた一方で、「通常の学級でうまく行かなければ別の場に行ったらよい」という構造になってしまっていないだろうか。その結果、通常の学級はこれまで以上に「同質化」してしまっている可能性はないだろうか。

 前回の学習指導要領の改訂においては、「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」が柱となった。「協働的な学び」とは、「子ども同士で、あるいは地域の方々をはじめ多様な他者と協働しながら、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、さまざまな社会的な変化を乗り越え、持続可能な社会の創り手となることができるよう、必要な資質・能力を育成」することである。「多様な他者」と出会い協働することが前提になっているが、上述の通り、多様な他者と出会う機会すらなければ、協働的な学びの機会も保障できない。

 公教育の目的がいわゆる教科の知識や技能を身に着けることであれば、異なる属性の他者が出会い、共存する方法は学ばなくてよいのかもしれない。けれど、公教育の目的は当然それだけではない。多様な他者と共存する経験こそ、公教育で得るべきものなのではないだろうか。

別の場に行かないと支援を得られない構造

 多様な子どもが出会わなくなってしまっている背景には、今の学校の構造的な問題がある。現在の学校は、通常の学級が「合わない」子どもがいたら、別の学級や学校で学ぶことを選択せざるを得ない構造になってしまっている。つまり、子ども一人一人のニーズに基づく支援を実施するためには、柔軟な教育課程が編成できたり、先生一人あたりの子どもの数が少ない特別支援学級や特別支援学校に在籍したりする必要がある。

 当然、保護者からみたら、支援のための資源は多い方が良いし、学ぶカリキュラムは個々に応じて柔軟である方が良いであろう。先生の視点から見ても、通常の学級でなんとか多様な子どもたちが学べるような工夫をいくらしても、先生へのサポートは増えない。だからこそ、先生も「その子のために」そして、「他の子のため」に、さらには「自分のため」にも、今の通常の学級で「うまくいかない子」がいたら、別の場で学ぶことを推奨せざるを得ないのではないだろうか。不登校状態の子どもについても同様に、「学びの多様化学校」に行けば、柔軟な教育課程が編成できる。

 このように別の場の選択肢が用意されることは、子どもにとって良いことのように語られる。もちろん今、不登校状態にある子どもや、今の通常の学級が全く合わない子どもにとっては必要な場であるし、そのような場が廃止されるべきとは思わない。一方で、今の通常の学級のつくりがたまたま合っている子どもは当たり前に通常の学級に在籍できるにもかかわらず、通常の学級のつくりがたまたま合っていない子どもは別の場に在籍することを推奨(時には強要)されたり、在籍せざるを得なくなったりすることは、公正ではない。さらに、このような構造は分離を強化し、「多様な人と共存する経験」を子どもたちから奪ってしまっている。

子どもの多様性に合わせて学校を変えるインクルーシブ教育

 インクルーシブ教育は、分離を強化しているこのような構造を変革することを目指す。インクルーシブ教育は、「障害のある子どもとない子どもが共に学ぶこと」と説明がされやすいが、これはインテグレーション(統合)であり、インクルーシブ教育の十分な定義ではない。インクルーシブ教育は、「多様な子どもがいることを前提とし、多様な子どもたちが学ぶ権利を、地域の学校で保障する教育システムをつくるプロセス」である。

 より分かりやすくいうと、「今の学校に多様な子どもを合わせるのではなく、多様な子どもに合わせて学校を変えていく」ことである。「多様な子ども」の中には、障害のある子どものみでなく、外国にルーツのある子ども、性的マイノリティーの子ども、貧困状態にある子ども――なども含まれる。インクルーシブ教育は、多様な子どもの権利を当たり前に保障すること、そして、多様な人が共存するインクルーシブな社会をつくるためには必須である。

 インクルーシブ教育には「これをすれば解決する」という魔法はない。また、インクルーシブ教育を完全に実現できている国もない。多様な子どもたちに合わせて学校を変革していくことは容易ではない。「ここまでやったら完璧にインクルーシブな状態」はないからこそ、できることを一つずつ実践していく「プロセス」そのものがインクルーシブ教育である。学校現場でできること、自治体としてやるべきこと、国としてやるべきこと、それぞれの役割を整理し、できることを一つずつ進めていきたい。

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