これは、教職8年目、初任から2校目の勤務校で、先輩教師から言われた言葉です。教師という仕事に慣れ、良くも悪くも自分なりのパターンができ、自分自身への厳しさを忘れかけていたことを先輩は見抜いていたのでした。先輩の言葉を具体的に考えていくと、「なぜ、研修しなければならないのか」にもつながります。教える内容や方法がすでに完璧なら、授業研究会や講習会等に参加する必要はありません。授業が、学級や担当する全ての子どもに対応できるのなら、研究授業を実施して自分の指導力をより高める必要もありません。先輩は、「教師は完璧ではない。だから、謙虚に学び続けなさい。つまり、自分が不完全であることに気付きなさい」と、教えてくださったのだと思います。自分のやっていることに自信を持ち始めていた私にとって、その言葉は大きな衝撃であり、自分の考えの甘さに気付かせてくれた一言でした。
それでは何を学び続けるのか。
私は、一つは専門性、もう一つは人間性を高めていくことだと考えます。両者が関連し合いながら、互いを高め、深まっていくものだと思っています。
まず、専門性については、研修会や研究授業等には、しっかりと目的を持って参加することが大切です。目的を持つことで、専門性は確実に向上していきます。若手教員が多い本校では、校内で研究授業が行われる時は、子どもの姿で授業を語り合えることを目的としています。発問や板書といった「教師の技術の視点」も大切ですが、子どもの表情や学びの深まりといった「子どもの変化の視点」で授業を参観するようにしています。また、研究授業を積極的に行うことも重要です。「授業はなるべく見てもらえ、見せてもらえ」とよく言われました。それをしない教師は、まあいいかと妥協した授業を子どもに対して行いますから、授業はうまくなりませんし、子どもは期待を裏切られることになります。いつだって子どもは楽しい授業を受けたいですし、分かるようになりたい、できるようになりたいと願っているからです。教師は授業のプロでなければなりません。専門性を高めていくのは当然のことだと思っています。
次に、人間性を高めることについてです。「教師として」の前に「人として」があります。子どもたちに「豊かな心」の育成を求めるのであれば、まず教師自身が人間性を高めようとしていることが大切だと思います。思いやりや感謝の気持ちを忘れない教師の周りには、自然と温かい人間関係が広がっていくことをこれまで数多く経験しました。もしかすると、人間性は磨いていくものなのかもしれません。人間性を磨こうとしている教師の姿が、子どもたちを感化していくのだと思います。また、「失敗から学ぶ」ことも大切です。人は失敗して初めて自分の間違いや至らなさに気付きます。そして、「どうして失敗したのか」と反省し、「どうすればうまくいくのか」と、真剣に考えることで人間性を高めていけると思います。
先輩から、「学び続ける教師のみ教える資格あり」、そして「不完全さの認識」を教えていただいてから30年近くがたちます。「完全」にはなれませんが、「不完全」から「完全」に、少しでも近づこうとしていく努力は、今も続けているつもりです。教師としての原点を示していただいた先輩からのアドバイスを忘れず、今後も学び続けていこうと思っています。
(近藤智彦・田原市立東部中学校長)