【働き方改革の伴走者】 「隣の先生は幸せですか?」

【働き方改革の伴走者】 「隣の先生は幸せですか?」
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​ 全国の学校を1日に1校以上訪問し、学校改革を支援している大野大輔氏。改革がうまく進む学校の3つの共通点として「ゴールが共有されている」「全員でキックオフしている」「ミドルアップダウン」を挙げた。一方で、うまく進まない学校にも共通点はあるのか。インタビュー2回目では改革が進まない要因と、大野氏が教員を辞めて学校改革の伴走者になった経緯を聞いた。(全3回)

「変わりたくない」と言った校長先生は一人もいない

 ――前回の最後に、改革が進む学校の共通点を挙げていました。逆になかなか改革が進まない学校の共通点はあるのでしょうか。

「間違いなくこれ」とは言いにくいのですが、前回「改革がうまく進む学校」の共通点として示した3つの条件の逆がそうだとは言えるでしょう。どこを目指しているのかが分からない、一部の人だけで改革を進めようとしているような状態が挙げられます。ただ、それ自体は誰も悪くないからつらいのです。賛成の人も反対の人も、学校を守りたい、問題を解決したいとは思っている。誰も悪くないのに対立してしまうことは結構珍しくありません。悪いのはその問題事象を引き起こす仕組みなのです。つまり、「ヒト」ではなく、「コト」の問題ということで考えています。

 ――改革しなければならないことには、皆さん気付いているのですね。

 全国の学校を回って気付いたことがあります。それは「変わりたくない」と言った校長先生は一人もいないということです。もちろん、表面上はそう言う場合もあります。しかし、対話と傾聴をしていくと、どの校長先生も「変わりたい」という思いがあふれてきます。ただ、改革には「リスクがある」と言います。つまり、リスクさえ取り除けば変われるということなのです。例えば、「保護者からクレームが来る」というリスクがある場合、現状はそれが怖いからやらないだけで、やりたいという願いはあるのです。

 ――では、どんなリスクがあるのかを把握することが大事になりますね。

 リスクとして挙がるのは、①保護者・地域との関係②学校内の人間関係③子どもたちとの関係④他校との関係――です。校長会による同調圧力みたいな感じもあるかもしれません。

 そして、⑤制度です。校長や学校の裁量権がどこまであるのか分からないが故に、「これをやったら違法なんじゃないか」という怖さがあります。文部科学省としては許容しているのに、教育委員会が駄目だとストップをかけることもあります。

 災害用語に「自助・共助・公助」がありますが、「公助」として教育委員会でやってもらった方がいいものもあれば、教員が個人でできる「自助」の部分もあります。また、「共助」として学校全体でコンセンサスを取って変えていけるものもあります。「公助」ばかりに目がいってしまって「働き方改革は文科省や教育委員会がやるもの」と考えてしまう人もいますが、学校内でできる「共助」もたくさんあるし一人でできる「自助」もたくさんあるわけです。「それぞれができることをやっていこう」という当事者意識を引き出し、改善のサイクルが回りだすように持っていくことを心掛けています。

「教職員は誰も悪くない」と強調する大野さん=撮影:市川五月
​「教職員は誰も悪くない」と強調する大野さん=撮影:市川五月

教員時代の失敗経験を糧に

 ――大野さんが学校に伴走する仕事を始められたきっかけを教えてください。

 もともとは東京都の公立小学校の教員でした。教員5年目の時に、ある研究会で僕の今の師匠に当たる方から「隣の先生は幸せですか」と聞かれたのです。その時、「幸せじゃないかも」と思いました。僕は楽しかったけど、周りに意識が向いていなかったのです。

 その頃から「先生方が幸せになることが、結果的に良い教育をつくっていくのではないか」ということに気付き始めました。それまでは、僕が職員会議で改革案を提案して呼び掛けても、他の先生と対立して争ってしまうことがあったのです。「隣の先生は幸せですか」と聞かれて、自分自身がむしろ周囲を苦しめているのではないかと思い、そこから「どうやったら組織全体で幸せになれるか」を考えるようになりました。それがきっかけの一つです。

 もう一つ、同じ頃に母親が肝臓の病気になり、僕の肝臓の一部を移植したのです。やはり命について考えましたし、2カ月ぐらい休まなければいけなくなって、働き方について考えだしたのです。

 そして、僕自身はあまり自分の現場で良い改革ができなかったことも理由の一つです。小さな改革はしましたが、メディアで取り上げられるような改革はできなかったし、自分自身は成功者ではありません。だからこそ、「改革の難しさやリスク」が分かります。改革したことで保護者や地域からクレームがきたこともあるし、職員間でハレーションが起きたこともある。僕の提案によって、他の教員とそのクラスの子どもとの関係が難しくなったこともあるなど、いろいろな失敗があったのです。そうした経験を通じ、「外部に客観的に見てくれる人がいたら、うまく進めることができたのに」と感じることがありました。そこに親の入院などがあったこともあり、退職を決意して今の仕事に至ったわけです。

 実は、「成功者ではないことこそが、僕の強み」なのかもしれません。自分がすごい人ではないからこそ、現場の方々に対して感動できるのです。自分にはできなかったことを目の前で改革する姿に、心から拍手ができる。自分はうまく進められなかったからこそ、リスクが事前に見える。それを生かして伴走すると現場はさらに動きだすことが多いのです。僕が現場に行くときに必ず「感謝と承認」「解放と伴走」という言葉を心の中で唱えるようにしていますが、今たくさんの学校が変容し、感謝されるようになったのは、自分が成功者ではないからかもしれません。

「教員時代に行った改革が周囲を苦しめた」と語る=撮影:市川五月
​「教員時代に行った改革が周囲を苦しめた」と語る=撮影:市川五月

 ――学校を改革したいという思いは、教員になった当初からあったのですか。

 そうですね。それこそ教員になる前からそういう思いはありました。クラスに一人ぐらい先生に反抗する子どもがいるじゃないですか。僕はそういう子だったのです。学校が好きになれなかったというか…。

 ただ、小学校5、 6年の担任の先生に人生を救ってもらったのです。その2年間は夢のような時間で、とても楽しいし、全然荒れていませんでした。でも、それ以外は「学校は苦しい場所」という感覚で、「学校には僕みたいな子がたくさんいるわけだから、そういう子が楽しいと思える学校をつくりたい」と思ったのです。

 ――学校がすごく嫌だったとのことですが、それでも学校の先生になろうと思ったのですね。

 学校が嫌だったからこそ、学校を楽しい場にしたいと思ったのです。鮮明に覚えているわけではありませんが、高校3年生で野球部を引退した頃、小学校時代のその担任の先生に会いに行きました。そして、母校に行き、当時の担任の先生に小学校の教室に入れてもらった瞬間、教員になりたいと思いました。先生が僕を救ったみたいに、僕も子どもたちを救いたいと思いました。

 ――小さい頃から学校に反発するというのは、一方で学校に対する何かしらの思い入れのようなものがあったのでしょうか。

 僕は子どもの頃、先生との関係で苦しんでいたのですが、教員として学校現場に入ってみたら先生方は誰も悪くないことが分かったのです。先生には悪い人が一人もいないし、みんな一生懸命、子どものことを思っているのです。でも、学校という仕組みがあるじゃないですか。文化だったり制度だったり…。その仕組みを変えることが課題だということに気付いてからは、改革のスタンスが変わりました。それ以前は問題の解決策として「ヒト」に目が行っていたのですが、今は「仕組み(コト)」に目が行くようになりました。怒鳴っている先生がいるのも何かしらの仕組みによるものだし、子どもが苦しむような授業をしなければいけないのも、多忙や関係性などの仕組みによるものであることが多いのです。

 かつては、優秀教員のような道を目指していて、カリスマになりたいといった認識を持っていました。そんな時期に言われたのが「隣の先生は幸せですか」という問いでした。自分がカリスマを目指せば目指すほど、僕の在り方では、苦しい先生がより苦しくなることに気付いて、自分は一体何をやっているのだろうと反省したのを覚えています。

子どもの頃は、教員に反発ばかりしていたという=撮影:市川五月
​子どもの頃は、教員に反発ばかりしていたという=撮影:市川五月

【プロフィール】

大野大輔(おおの・だいすけ) 2023年3月まで10年間、東京都内の公立小学校で教員を務めた後、現在は先生の幸せ研究所のコンサルタントとして、全国の学校の組織開発に携わる。そのほかに神奈川県鎌倉市教育アドバイザー、社会教育士、Podcast「ほぼ教育最前線」のパーソナリティーなども務める。25年1月に『研修リデザイン』(教育開発研究所)を刊行予定。

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