休日出勤手当を電子マネーで ただ働きからの脱却を(庄子寛之)

休日出勤手当を電子マネーで ただ働きからの脱却を(庄子寛之)
【協賛企画】
広 告

行事を縮小することが働き方改革ではない

 息子の学芸会を見に行った。全国的に見て、学芸会は廃止され、学習発表会になっている地域も多い。「学芸会って何?」という自治体もある。そんな中、子どもたちが主役になり、演じる素晴らしさを守り続けている息子の学校の先生方には、頭が下がる思いである。

 どれだけ準備をしてくださったのだろうと思う。背景の絵、大道具や小道具、衣装まで手が込んでいる。6年生が照明などをしてくれながら、すてきな演出をしてくれている。先生方の日々のご努力には心から敬意を表したい。

 しかし、一般的には学校行事はどんどん縮小する方向にある。理由はたくさんあるが、主にこの2つだろう。

 1つ目は、行事時数は授業時数にカウントされないことである。標準授業時数を満たしつつ、先生方の負担を減らすためには、行事時数を少なくしなくてはならない。その結果、行事にかける時間はなくなり、行事自体も簡素化していく。子どもたちにとって行事は大きな成長の場だと分かっているのにもかかわらず、である。

 2つ目は、教員の人数が足りないことである。2学期のこの時期はどこの学校でも、産休や病休などで人が足りていない。昔の学芸会は、自分が演技する時だけ登校し、その後すぐ帰るスタイルであった。行事の時に動ける教員が多かったのである。

 今は違う。授業時数の関係で、演技をしていない時間は授業をしなくてはならない。学芸会当日に教科書通りの学習をしても身が入るわけがない。さらに教員が足りないとなれば、行事が縮小することは仕方ないだろう。

 しかし、保護者や地域はそんなことは分かっていない。なぜ行事を減らすのか。なぜ教員は地域の行事に参加しないのか。昔はたくさん参加してくれていたのに。保護者・地域と学校の溝は、どんどん深まるばかり。そして厄介なことに、行事を縮小したからといって、教員の負担感や多忙感が解消されるわけではないのである。

財務省案 vs. 文科省案 私たちはしっかり情報を取っているか

 そんな中で、先日、教員の働き方や処遇を巡って財務省案が出た。ここの記事を読んでくださる皆さまは、内容を把握されていると思うので、ここでは割愛する。財務省案を読まれて、さまざまな思いを感じている先生方と話してきた。

 「本当に教員のことを考えているのだろうか」

 「給料を上げたって、教員離れは止まらない」

 「どこの企業も残業代が付くのに、教員には残業代が付かないなんておかしい」

 「いやいや、残業代なんて付けたら、在校時間が長くなる人が増えるだけで、意味がない」

 財務省案に対して、文科省が反論しているという情報は入ってくる。しかし、私たちはちゃんと情報源を見て、その意見に賛成、反対を言っているだろうか。

 今ではインターネット上にさまざまな資料が公開されている。財務省案もウェブサイトで読める。

 しっかり読んで、自分なりの考え方を持つことが大切だ。いろいろな考え方があるが、財務省案にも納得できるところはある。国の財源だって限られている。財務省案もしっかり読んだ上で、若輩者ながら改めて持論を述べたい。

 参考記事:財務省案の意図を土居教授に聞く 「勤務実態と給与を近づける」

給与アップや業務削減より、人を増やす議論を

 大前提として、毎月の給与が少ないから教員離れが進んでいるのではない。膨大な事務作業、多様化する保護者への対応、プログラミング教育などの新しい教育への対応……、要因はたくさんある。

 ただ、働き方改革の大号令のおかげで、教員のやるべきことが減ってきているのは明らかだ。子どもの下校時間は全国的にも早まっているし、行事の簡素化も進む。「数年前より仕事量は減った」「これ以上、何を減らせばいいのか分からない」「それなのに、楽になっている感じがしない。なぜだろう」などという声もよく聞く。

 教員離れが進んでいるのは、お金の問題ではないし、かといって単に仕事を減らせばよいという問題でもない。先に述べた学校行事の例からも分かるように、子どもへの影響や授業との兼ね合い、保護者や地域など多くの関係者に配慮しなければならない負担感、多忙感を解決するためには、正規の教員を増やすしかない。特に小学校は、中学校並みでよいので増やすべきである。

休日出勤手当を電子マネーでスマホに

 次にすべきことは、休日出勤に対する手当である。「お金の問題ではない」と述べたが、仕事に正当な対価が支払われず、教員のモチベーションを下げている点は、大きな問題だ。休日出勤についても、部活動に対する微々たる手当を除けば、ほとんど手当は発生しない。代休が与えられることはあるが、有給休暇ですら使いきれないのに、代休が与えられてもうれしくない。

 私は、教員は休日の地域の行事などに積極的に参加し、地域とのつながりをつくるべきだと思っている。しかし、こうした地域の行事はボランティアであり、「参加しろ」とは言いづらい時代である。教員にボランティアを強制するのは限界がある。教員がブラックと言われる原因にもなっていると感じる。

 というわけで私の提案は、休日出勤には、給与の1日分に当たるだけの手当を発生させようという提案である。そうすれば、休日も「ただ働き」とはならず、納得した上で休日出勤しようという教員も出てくる。

 さらに休日出勤の手当は、できるだけ特別な演出ができればよい。現金支給でもよいだろうが、今の時代にそぐわない。しかし、休日出勤の手当が銀行口座に入っても、価値を実感しづらい。そこで、別口座に電子マネーで配布するのはどうだろうか。休日出勤をした時に、電子マネーとしてスマホに入る。同じ金額でも電子マネーの方が働いた実感を得やすいのではないだろうか。

 給与管理の工夫は「心理的効果」によって満足感を向上させる。「副収入」のような感覚が得られることから、労働の価値を再認識しやすくなる。教員のモチベーション向上に寄与するのではないだろうか。そして、その日の手当で教職員同士、外食する人も増え、職員室のコミュニケーションが豊かになる――なんて効果も、副産物として考えられるのではないか。

「教頭・副校長だから、働かせ放題でよい」ということはない

 最後に、管理職でも仕事に見合った手当が発生する仕組みを作るべきだ。「管理職だから働いて当たり前。その分の管理職手当があるではないか」という考えもある。しかし、休日出勤で疲弊している管理職は多い。特に教頭・副校長は、休日こそ忙しい実態がある。管理職にも適正な労働時間管理が必要であり、「業務量の無限拡大」を防ぐ仕組みをつくることが急務である。

 管理職が楽しそうにしていることが、「こんな校長先生、教頭先生になりたい」「教育委員会に入って自治体をよくしたい」という気持ちにつながる。管理職や教育委員会と、現場の教員がぶつかっている自治体は、改革が進まない。全国の自治体にうかがっていると、雰囲気の違いはすぐ分かる。管理職にも休日手当を支払うことは、管理職になりたい教員を増やす意味でも重要である。

現場の教員だからこそ声を上げて

 働き方改革は、働かない改革ではない。文科省案がいい、財務省案がいいではなく、改めて両者の見方を多くの現場の教員が読んで、自分の意見を持ち、声を上げるべきだ。

 仕事が減る、給与が増える、どちらも望ましいことだ。しかし、この議論は教員のことばかりを見ていないか。教員が笑顔になり、子どもも笑顔になり、保護者や地域、ましてや教育委員会までみんなが幸せになる改善を考えて、現場の教員の声を拾ってほしいと思う。

 財源には限りがあるが、どちらの案も、教員の処遇を改善しようとしてくれていることに変わりはない。その財源を使って、現場の教員としては何をしてほしいのか。その声が反映され、多くの教員が望む案に向かっていくことを願う。自分も現場に出向き、考えを伝えていきたい。

広 告
広 告