高校内居場所「ぴっかりカフェ」のほか、小中学生、若者支援と幅広い世代の居場所を同地域で展開するNPO法人パノラマ。さまざまな背景を持った子どもたちを受け止めるには、学校だけでは限界があると理事長の石井正宏さんは考える。では、教師は何をすればいいのか。学校の役割とは何か。インフラとしての教育・福祉はどうあるべきなのか。「マスター」の愛称で親しまれる石井さんの、子ども、若者、支援者に向き合うスタンスを聞いた。(全3回)
――小中学生の支援で大切にしていることは何ですか。
小中学校の居場所の運営はスタッフにやってもらっていて、僕自身が直接、子どもたちの支援に大きく時間を割いているわけではないんですが、過酷な人生をサバイブしているような背景を持つ子たちが、本当にニコニコと明るい笑顔をするわけです。でも、思春期になるにつれてその笑顔がだんだん失われていくんです。他の家庭と自分の家の違いを知ったり、自由なことができなくなったりしてくる中で、自分の限界設定をしていくわけです。勉強もできないしお金もないし、行きたいところに行けない。そんな子たちが「どうせ」と15歳で自分の人生を規定してしまっている。そういう姿を横で見ていると、親の人生から自分を切り離していく、その力を培うことが大事で、そのときに親でも先生でもない大人たちに愛されることが必要なんですよね。頼るに足る存在の大人がいることを知ってもらうことが、大きな支援なんだろうと思います。
――厳しいですね。
現実はかなり厳しいです。その厳しい現実の真っただ中にいる子たちに、学校の先生たちは対応していかなければならないんです。昔ほどではないにしろ、先生ってまだまだ「上の人」なんですよね。もっと言えば先生は、努力して学校に適応して、成績もよくて教師になった学校成功者で、困難を抱える子たちを見たときにエンパシーが働きにくいというか、「努力しない子」という見方や言い方をしてしまう部分があるんです。学校適応者である先生たちと、学校に不適応を起こしがちな子とのマッチングは、なかなか難しいものがあると思うんです。努力して勉強すれば幸せになれるという方程式が通じない子たちに、それ以外の形をどう見せていくのか。とても難しいことだと思っています。
高校が学力で生徒を選抜するということは、社会階層化と同じなんですよね。ある一定の学力に達しない子たちの割合が高い高校は、福祉的ニーズがあり、支援を必要としている生徒が大量にいる。そこに手当てをせず「高校は義務教育ではないのだから来なくてもいい」という形になると、子どもたちは社会から排除されていってしまいます。そうならないためにも、僕たちのようなNPOが入っていって、学校の福祉機能強化を担うことが必要な時代になっています。その形の理想を追求しているのが今の段階だと思っています。
――高校全入の時代になり、高校はもう社会インフラだといえます。
支援が必要な生徒が多い学校に勤務する先生方は、授業も、生徒のケアも、校内外との連携もと、ジェネラリストであることを求められていますが、それも苦しいと思うんです。先生たちには勉強を教えるスペシャリストとして集中してもらい、ジェネラリスト的な動きは僕たちNPOが担う、そういう形の分業が福祉機能強化につながるのではないでしょうか。
――とはいえ、それがなかなか進みません。
横浜市青葉区で作られた農産物や加工品を集めた「あおばを食べる収穫祭」というマルシェイベントを、地元のNPOが開催していて、 僕はそこで毎年レコードを回すDJをして地域に顔を売っているんです。去年からパノラマも出店し、地域の方たちと交流をして「ぴっかりカフェ」のボランティアに来てもらう、ということをしています。
学校の先生方がそういうことができるかっていうと、難しいですよね。いろいろな学校の先生方に「駅前に行きつけの飲み屋がある人はいますか?」と聞いたら誰もいないんですよ。先生たちが飲みに行ってワイワイしゃべっていたら地域から突き上げられるし、店に入ったとしても先生であることを隠して過ごしている。そんな肩身の狭い状況を作ったのは僕たち市民のせいでもあると思うんですよね。そんな状況に置かれた先生たちが、地域と協力して何かをすることはなかなか難しいものがあると思います。だから多くの先生たちは学校完結型になってしまうんです。するとさらに学校がブラックボックス化して、地域からさまざまなクレームがくるんです。
ぴっかりカフェには、今、年間のべ200人以上のボランティアが学校に入っています。普通に廊下を闊歩(かっぽ)して先生たちと立ち話をしています。こういう環境があれば、軽音部のドラムの音が外に漏れても、その子の姿が目に浮かぶから「ああ、頑張っているんだな」と思える。それが見えないと「騒音」になってしまうんです。学校がNPOというインターフェースを持ち、地域の人の役割がある校内居場所カフェがあることによって、地域の人たちが学校にどんどん入ってこられる、そういう学校が広がっていくモデルに僕らがなっていきたいんです。
――ぴっかりカフェのボランティアにはどんな人が来るのですか?
いろいろです。近所の年配の方が来てくれたり、遠くから来る若い人もいたりします。僕の講演を聞いて参加してみたいと来る人も多いです。ボランティアがボランティアを連れてきてくれることもよくあります。この前、初めてぴっかりカフェに来た人に「今日、どうでしたか」と感想を聞いたら「3日ぶりに人と話しました」と言ってくれたんです。その方は60代、一人暮らしで、地域に友達がいるわけでもないと、何日も声も出さなくなってしまう。カフェに来ればいろいろ話が聞けるし「話せてよかった」と。こういった同じような感度を持つ人が地域から集まって定着するから、今までは他人同士だった人がカフェを介して友達になっているんです。僕らがいなくても勝手に飲みにいったりしていますし、心配な子を見かけたら「どうしたの」と町でも声を掛ける、ボランティアもぴっかりカフェで「信頼貯金」をためているからそれができるんです。ぴっかりカフェで人と人が皆つながって、親でも先生でもない、ましてや支援者でもない人がその子の人生を心配している。そういった意味で地域の活性化もできているんじゃないでしょうか。
――ぴっかりカフェをはじめ子ども・若者支援をする中で、対応しきれなかったケースや、壁にぶつかることもあるのではないですか。どうやって乗り越えてきたのでしょうか。
僕たちがオールマイティーに何でもできるわけではありません。子どもたちに支援を受ける心の準備が整ってないときには、何もできないこともあります。正当化に聞こえるかもしれませんが「今ではないのだな」と納得しているところはありますね。ですので、つながり続けることが大切なんだと思っています。それから、子どもが在学している限り、イニシアチブは学校にあります。一方、学校を卒業したり、中退したりしたことによって踏み込んだ支援ができる場合もありますので、支援できるタイミングはまちまちです。
――支援のタイミングを待つには、ある種の楽観さがないとできないことのように思います。そういうときはどんな心持ち、モチベーションでいるのですか。
僕はずっと音楽をやっていたっていうのもありますけれど、相談の仕事が終わって電車や車に乗って音楽をかけ始めたらもう忘れてしまう、みたいなところがあります。家に帰れば家族がいますし、うちのスタッフにも自分や家族を大切にすることが基本、と言っています。それから全能感みたいなものに浸らないというか、自分でできることなんかたかが知れているという感覚も結構ありますね。
うちのボランティア養成講座では、来てくれる人たちに「3(さん)がり屋はお断り」って伝えるのです。「知りたがり屋」「関わりたがり屋」「教えたがり屋」の3つです。ぴっかりカフェに初めてボランティアに来る人で爪痕を残したがる人がたまにいるんですけれど、僕はそういう「3がり屋」はいらない、爪痕はいらないと言うんです。ボランティアは子どもたちをもてなす人でもないし、支える人でもない。あなたもカフェの住人の一人としてカフェで過ごしてくださいねと。そうすると子どもたちと大人がフラットに付き合っていけるんです。
ある卒業生が言っていたのが「間違えちゃいけないんだと思って、親にも先生にもずっとおびえて生きてきた。でもマスターに出会って、間違ってもいいんだってことが分かった」って。ここでは当たり前の日常を提供しているし、僕自身もありのままでいるから「ぴっかりカフェはホッとする」と言われるのかなと思います。
【プロフィール】
石井正宏(いしい・まさひろ) 2000年、ひきこもり支援に取り組む。ひきこもる前からの予防型支援の必要性を痛感し、11年から神奈川県立高校内の図書館を居場所にした支援を開始して、14年に校内居場所カフェへと発展させる。横浜北部エリアで小学生から、老齢の親とひきこもりの子が孤立してしまう「8050問題」まで、途切れのない支援の構築をミッションに活動。NPO法人パノラマ理事長。フジロックNGO VILLAGE幹事。