西尾市教育長 稲垣 寿
そこかしこでSDGsが言挙げされている。また一方で、乗用車の馬力は上がり、グルメ飽食の時世でもある。少し首をかしげたくなるが、国際競争に生き残り、経済を回さないと現代社会を維持できない故だろうか。未来への心配は募るものの、当面は容認せざるを得ないことなのかもしれない。
しかしながら、この経済最優先の風潮が義務教育にまで浸潤するとなると、看過できない深刻な問題が起きてくる。
テレビゲームの発売当時、子どもたちが電子機器を操作することに、最先端の教育的価値を感じた大人たちの誤解によって、その急激な普及が後押しされた観は否めないと思っている。またスマホに至っては、子どもたちへの悪影響について、十分な検討がされる間もなく、普及してしまった。やっと最近になって安全性や使用制限が取り沙汰されているものの、後手に回ったという他はない。
昨今、スマホを媒体とした生徒指導上の問題や児童生徒が犯罪に巻き込まれる事案も多く、いまだに増加し続けているのは周知のことである。
先日、片付けをしていたら、道具箱の底から肥後守(和製の折りたたみ小刀)が出てきた。60年ほど前に祖父からもらったものだ。明治生まれの祖父は、この小刀を使って竹とんぼや、時にはクルミの鈴を作ってくれた。クルミの固い殻に、小刀で細い溝をうがつのは、練達の手技である。小学校に上がったばかりの私がその小刀をねだったので、祖父は、孫がけがをしないように、その切っ先を落として与えた。
しかし、その刃の恰好に不満だった私は、ためた小遣いで、ひそかに近所の文具屋で新品の肥後守を買い求め、その結果、幾度となく手指に刺し傷を負う羽目となった。
「子どもは国の宝」は、しばしば聞かれる言葉だが、これを実践するのであれば、国のための人材育成以上に、子どものための国づくりに注力していくべきと思う。学校教育もまた、近年の教育改革、働き方改革の対応に追われる中で、その礎を揺らがされていると感じる。
教育に携わる私たちこそ、今一度、子どもの未来のためにどうあるべきか、すなわち「はじめに子どもありき」の理念に立ち返って姿勢を確かめるべきと考える。