文部科学省が昨年8月に発表した「外国人の子供の就学状況等調査」の結果によると、2023年5月の調査時点で、不就学の可能性があると考えられるのは全国で8601人に上った。後編では、東京外国語大多言語多文化センター長の小島祥美准教授に、不就学を巡る課題と国や教員が取るべき方策などについて聞いた。
――岐阜県可児市で不就学ゼロを達成した06年から13年後、19年度になって、ようやく文科省主導による外国籍の子どもの就学実態調査が全国で開始されました。
この実態調査によって、現在は徐々に外国籍の子どもの不就学の状況は改善されつつあります。とてもうれしいことではありますが、この大きな契機をつくってくれた可児市の子どもたち、つまり調査時に私が出会った不就学児を救済できなかったことへの申し訳ない気持ちも込み上がってきます。
その子どもたちは、学齢期にたまたま日本で暮らしていたことで、貴重な学びの時間を奪われてしまった。途上国で暮らしていたら、日本の援助を受けることができたかもしれない。実際、学校からはじき出されてしまって言葉を育てる機会を得られず、犯罪に巻き込まれ、少年院送りになってしまった子どももいました。
その1人と後に再会した際、彼から「少年院が学校だった」と言われたときは、胸が締め付けられるような思いがして、涙が止まりませんでした。彼は少年院で初めて言葉を学び、考えることができるようになったと言います。そして、ラップを通じて「自分の気持ちを初めて言語化できて、すっきりした」と話し、何よりも「仲間ができた」そうです。だから「少年院が学校だった」と、私に説明してくれました。
彼のような子どもたちが協力してくれたからこそ、国をも動かすことになったにもかかわらず、その子たちに学びの機会をつくることを当時の私はしてあげられなかった。その悔しさが、ずっと胸の中にあるのです。
――24年8月に発表された文科省の「外国陣の子供の就学状況調査」の結果では、不就学の可能性のある子どもの数が8601人となり、調査が始まった19年度の1万9420人から大幅に減っているように見えます。この結果をどう評価していますか。
これにはトリックがあります。調査結果をよく見ると、「就学者数」の中で「義務教育諸学校」に通う子は全体の8割と変化はないものの、「外国人学校」に通う子どもの数は5023人から1万993人と約2倍になっています。国は外国人学校を普通教育の学校(一条校)と見なしていないにもかかわらず、就学者が増えているように見せかけているのです。また、「不就学」が確定している子の数は、630人から970人に増えています。
19年度の初回調査では、市町村の教育委員会から報告がなく、調査できていない子が1万人超もいました。その子たちも「不就学状態」にあるのです。つまり、全体の母数から「就学者数」を引いた数を比較すると、2回目から今回の4回目の調査までの数はさほど変わらず、実態として「不就学状態」の数は減っていないと言えるでしょう。
なお、母体となっている住民基本台帳上の学齢期の子どもの数を見ると、19年度の12万3830人から23年度の15万695人と増えていることが分かります。
――不就学の問題をどのように解決したらよいのでしょうか。
やはり外国籍の子どもは義務教育の対象ではない、というのが一番の問題だと思います。外国籍の子どもであっても、日本に住んでいるならば、就学義務の対象とするべきです。国が解釈を変えないと行政が動けないし、学校現場も動けない。現状は各自治体の関心度や財政に任されてしまっています。
また、外国人学校も一条校と同等とするべきです。なぜならば、外国人学校は学校保健安全法の対象外のために、外国人学校に通う子どもは健康さえも守られていません。フリースクールやオルタナティブスクールに通う子どもとも重なる問題なので、一緒に考えていくべきです。
――学校での「日本語指導」については、どう思われますか。
元不就学児など、たくさんの外国につながる子どもと私はこれまで出会ってきましたが、子どもにとっての言葉とは、家族や友達とつながるためでもあり、自己実現に向けての情報収集するための言葉でもあります。アイデンティティー形成のためであり、思考するための言葉でもあることを強く考えるようになりました。「少年院が学校」などと子どもに言わせない社会にするため、私に何ができるか。外国につながる子どもが言葉を獲得できるために、どのような教育環境が必要なのか、考えるようになりました。
義務教育段階の学校現場において、私は「日本語指導」「日本語教育」という用語がふさわしくないと思っています。なぜならば、小中学校は語学学校ではないからです。日本の学校では「日本にいるのだから、全て日本語でなくてはならない」とし、それを子どもに強く求める場合が多い。そのために、例えば日本語で九九を九の段まで全てを言えない小3の外国につながる児童がいたとすると、大半の学校現場では「九九が分からない児童」と判断してしまい、九九を全て日本語で言えるようになるための指導が強化されます。
つまり、日本語を母語とする同級生と同様の「日本語での九九」を獲得することが目標とされ、その「差」にだけに注視された指導が当然のごとく行われてしまうのです。
そこで、私たちが現在チームとなって取り組む文科省の委託研究の中では、全人的発達を目指すことを前提とし、表面的な日本語のみならず、外国につながる子どもの複数言語能力の見極めを通して、思考力などの内面の力の把握を特に重要視した研究に取り組んでいます。
22年度の「高等学校等における日本語能力評価に関する予備的調査研究」では、トランスランゲージング教育論などの理論を基盤にしながら研究に取り組んだ結果、実践協力校であった公立高校では、外国につながる生徒の複数言語「を」評価するのではなく、複数言語「で」評価して生徒が持つ母語力を生かした日本語指導・教科指導を行うことで、生徒の言語能力が向上しました。
これは、外国につながる生徒を複数言語で評価する経験が、教員のビリーフ(個人の経験などにより作り上げられた個人的な意見や信念)の変容を促し、教師の気付きが具体的な行動変化となって、外国につながる生徒への日本語指導・教科指導を変容させたからです。
さらに、そうした指導の変容が生徒自身の自己理解の変容をも促し、自らの言語資源を肯定的に評価する経験の積み重ねが、子どもたちの学びへ向かうモチベーションを高めていくことにつながっていきました。なぜならば、子どもが本来持っているはずの学びの喜びを取り戻していく様子を見ることが、さらなる教師のモチベーションにつながり、ここにエンパワーメントのサイクルが生み出されていったからです。
今回の研究の目玉は、「日本語も〇〇語もできる子」として捉えた、子どもの持つ全ての言葉に光をあてることです。外国につながる子どもを公正に評価できるための「言葉の物差し」を、学校の先生たちに届けできるように現在、取り組んでいます。
――その学校教員に、外国につながる子どもの教育について、何かアドバイスはありますか。
外国につながる児童生徒の「指導と評価の一体化」においては、教師用指導書等に準じた授業ではなく、目の前にいる子どもを中心に据えないとできません。そのためか、実際に外国につながる児童生徒の指導に携わる先生方からは「教育の本質だから」と、子どもの成長を熱く語る方が多いですね。
外国につながる子どもがいるからこそできる教育があることを、ぜひ知っていただきたいです。例えば、関西地域にある公立小学校の校長先生は「さまざまな『違い』を持った子どもたちは、学校やクラスに大きな教育効果をもたらしてくれる」と話します。その理由をうかがったところ、「誰もが持つ『違い』は、全ての子どもたちを豊かにしてくれるもの。そのことに気付かせてくれるチャンスと捉えることで、教職員の人権意識の向上や組織力の向上にもつながる」と、確かな実績に基づいて説明してくださいました。
均一化を求めていると、不登校の問題も起きやすくなる。全ての子どもが輝ける教育への糸口は、外国につながる子どもの指導にたくさんのヒントがあるのではないかと私は思います。
【プロフィール】
小島祥美(こじま・よしみ) 東京外国語大学多言語多文化共生センター長、准教授。専門は教育社会学で、外国籍児の不就学、教育への権利、多文化多言語の子ども、多文化共生などについて研究。編著に『Q&Aでわかる外国につながる子どもの就学支援』(明石書店)など。文科省の「外国人児童生徒等教育アドバイザー」を務める。
【お詫びと訂正】プロフィールの肩書きは、正しくは「多言語多文化共生センター長」でした。訂正して、お詫びします。