教師力・人間力―若き教師への伝言(85)生徒指導とは

教師力・人間力―若き教師への伝言(85)生徒指導とは
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 成人式で出会った教え子は、社会人となり、夢に向かって突き進んでいた。中学生の頃の話をすると、「叱られたこと、褒められたこと」に対して感謝の言葉を言ってくれた。私は、生徒の心と体の成長に大きな喜びを感じた。

 私がまだ青年教師の頃、勤務先の中学校で、1年生の2人の生徒が大喧嘩をしていた。すぐさま仲裁に入り、見た目や小学校からの申し送り事項を踏まえ、うわべだけの聞き取りで指導をしてしまった。一人の生徒は、「どうしていつも俺ばかり厳しく叱られるの」と涙を流した。その時の情景や言葉は、数十年たった今でもまざまざと目に浮かぶ。もっと、生徒と向き合い、じっくりと話を聞くべきだったと猛省した。自分の指導の未熟さを痛感し、戒めとなっている。

 後日、叱った生徒の部活動顧問の先生とじっくりと話をする機会があった。その先生は、「彼は、部活動に対しとても一生懸命に取り組んでいる。委員会活動も真面目にやっている。これからが楽しみだよ」という話であった。今まで、小学校からの申し送りや先入観で指導をしていた自分が恥ずかしくなった。

 その後、生徒にしっかりと向き合い、話をとことんまで聞くことにした。また、人格は否定せずに、行為に対して理解できるように指導することを心掛けた。それ以上に、褒めることは具体的に、心に響くように褒めるようにした。学年全体には、学期、学年の節目に「今までのあなたたちではなく、今からのあなたたちの姿、行動を見ていく」ことを常に伝えていった。1年生の時に叱った生徒は、3年生になる頃には、委員会の委員長を務め、学年のリーダー格に成長した。そして、現在も社会人として活躍していることを耳にする。

 長い教員人生で、どちらかというと生徒指導畑だった私は、子供たちを叱ること、指導することの難しさを感じていた。生徒指導の目的は、教員と児童生徒との「共感的関係」をベースに、「自己存在感」と「自己決定」の場を与え、やる気を引き出し、自己指導能力の育成を図ることにある。若い頃から先輩の先生に、「攻めの生徒指導が大切」と言われ続けてきた。当時は、攻めの生徒指導とは、問題行動に対して厳しく指導することや対症療法のことであると考えていた。しかし、さまざまな経験を重ねるにつれ、攻めの生徒指導とは、子供たちが社会に出たときに、自分らしく生きることができるように働き掛け、支援していくことだと感じるようになってきた。たとえ相手が幼い子供でも、その子なりの背景があり、がんばっていることはたくさんある。本気で児童生徒に向き合うこと、良さを認め、リスペクトすることが大切である。私たち教員にとっては、何百人もいる子供であるが、その子や保護者にとっては、大切なオンリーワンの存在であるから。

 まちで、以前教えた子供たちと話す機会があると、「あの時の先生の一言で進路が変わった」「卒業アルバムに書いてくれた言葉が、今も忘れられない」という話を聞くことがある。とてもうれしいことである。それほど、私たちの一言や支援は、子供たちに影響を与えているかを痛感する。

 子供たちは、誰もが、「がんばりたい」「幸せになりたい」と願っている。生徒指導とは、その願いをかなえ、社会に出てよりよく生きていくために、どのように言葉を掛け、支援をしていくかである。これからも謙虚な気持ちで子供たちと向き合い、声を掛け続けていきたい。

 (廣濵俊伸・蒲郡市立形原北小学校長)

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