【フィールドワークで探究を】 会話が苦手な人ほど向いている

【フィールドワークで探究を】 会話が苦手な人ほど向いている
【協賛企画】
広 告

 高校の「総合的な探究の時間」が2022年度からスタートしたが、学習を進める上で「フィールドワーク」を導入する例も少なくない。社会学者の金菱清・関西学院大学教授は、東日本大震災や熊本地震の被災地などで、学生と共にフィールドワークを数多く実施してきた。これまでの経験を踏まえ、昨年10月にはフィールドワークそのものに焦点を当てた『フィールドワークってなんだろう』(ちくまプリマー新書)を出版。金菱教授に、フィールドワークの進め方などについて聞いた。(全3回)

大事なのはコミュ力ではなく「よく聞く」こと

 ――東日本大震災の被災地などでのフィールドワークの内容を、編著にまとめてこられました。フィールドワークそのものに焦点をあてたきっかけは。

 実は、高校で「総合的な探究の時間」が始まったことを踏まえて、中学、高校で生徒さんが初めてフィールドワークに取り組むことを念頭に置いてまとめることを、編集者に勧められたのがきっかけでした。本書の中にも書きましたが、大阪府立四條畷高校を訪問して、「総合的な探究の時間」の中間報告会と成果発表会に参加したことがあります。その際に、生徒を捕まえて感想を聞いてみると、素直に「すごく楽しい」と言っていました。楽しいことが具体的に何か学ぶことにつながっていることを、とても肯定的に捉えていると感じました。ただ、同校はスーパー・サイエンス・ハイスクールとして学校規模で探究に取り組んでいるからこそ回していけるところもあるようで、探究活動をゼロから初めて作るのはおそらく大変だと思います。

 いわゆるフィールドワークの専門書などを見ると、例えばアポイントメントの取り方やノートの書き方などハウツーみたいなものが多いと感じていて、そういうものは書きたくありませんでした。冒頭に「私は人に話を聞くことが苦手なのですが、フィールドワークができますか」という学生に対して、「そういう人こそ、フィールドワークに向いている」と答えたエピソードを紹介しました。

 また、他の先生と共同で現地に行った時に「よくしゃべるな」と感じると書きました。それは「少し話し過ぎる」というニュアンスです。どちらかというと、フィールドワークは積極的な、コミュニケーション能力が高くて話し上手な人が向いているというイメージがあるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。フィールドワークは「よく聞くこと」が大事だと伝えています。

「話し過ぎる」大学の先生は少なくないという=撮影:大川原通之
「話し過ぎる」大学の先生は少なくないという=撮影:大川原通之

 ――社会学にもいろいろな研究の手法があると思いますが、その中でフィールドワークを自分の研究手法にしようと思ったのはなぜですか。

 私の親が書店をやっていて、それ自体がフィールドワークをずっとやっているみたいな感じだったのです。小さい頃から店の手伝いをさせられている中で、お客さんとの会話なども、すごく面白いものでした。

 その後、大学で社会学の分野に進むのですが、そこで学んだ市民社会学はきっちりと議論をするような感じで、違和感を抱くこともありました。そんな中で、環境社会学の先生が、本当に地道なフィールドワークでデータをあげていくということをしていて、フィールドワークで小さい頃の、書店での「面白い」という感覚を再発見したのです。

 ですから私の場合は、親がサラリーマンだったら、フィールドワークを「面白い」と感じなかったのかもしれません。実家は大阪の、本当に小さな、道路にまで並べた本がはみ出しているような、昔、よくあった書店でした。私が中学生ぐらいまではすごく本も売れ行きがよかったのですが、高校生・大学生になる頃には大手書店やネット書店が広がって、下火になってきました。でも、どこか本に携わる部分では今とつながっているのかもしれません。

聞いたことは全て文字起こしする

 ――フィールドワークでは自分の生活範囲とは違う場所に調査に入って、いきなり「話を聞かせてください」と言わなければなりません。なかなかできないと思いますし、学生にとってはかなり高いハードルなのでは。

 今の学生はメールやラインは得意ですが、電話が非常に苦手なようですね。この間も学生が「しどろもどろになりました」と言っていました。私が学生の時は最初からわりと飛び込みで、呼び鈴をピンポンピンポンと鳴らしていました。そういったことは結構、平気でした。相手も昔はそこで応対してくれましたが、今は詐欺などいろんな問題がありますから、断られるケースがほとんどではないかと思います。また、昔は人が家に来て話をしている光景が、今よりも普通にあったかもしれません。今はインターホン越しで終わってしまう。そういう意味で言うと、私がフィールドワークを始めた頃は、まだ見ず知らずの人から話を聞くことのハードルが、今よりは低かったと思います。

 学生は2、3人のグループでフィールドワークに行くのですが、取材先へのアクセス手順などは全く説明しません。その一方で、聞き取りを「全部」文字起こしさせます。その文章を見ると、「もっとこういう部分が聞けたんじゃないか」とか、「文字起こしの際に省略しているな」とか、こちらからすると分かるのですね。そこを指摘したりしながら、バージョンアップしていきます。ですから、話の聞き方も学生が自分で編み出しています。それこそ別に要らないと思うのですが、手土産の渡し方も自分たちなりに考えたりして、その辺もお任せです。そもそもフィールドワークのやり方に正解はないのです。

 指導する先生によっても手法が違いますね。例えば東日本大震災よりも前に、宮城県の気仙沼などでフィールドワークをしていたのですが、ある先生はかっちりアポイントメントを取って行かないと駄目、というスタンスで、もう一人は問題が起こった時に謝る役割を担えばいい、というスタンスでした。

学生に聞き取り方などは教えずに、現場に放り出すという=撮影:大川原通之
学生に聞き取り方などは教えずに、現場に放り出すという=撮影:大川原通之

染まっていない学生だからこそ聞けることがある

 ――とはいえ実際、学生さんたちはいきなり放り出されて、戸惑いもあるのではないですか。

 あると思いますね。もちろん他人と話をするのが苦手な学生もいますが、グループで取り組むので、引っ張っていく人もいて、役割分担ができてうまく回っていくようです。

 研究者は、自分の研究の枠組みで何かを捉えようとする人が多く、自分の枠組みにピンセットでそれを当てはめるみたいなところがあるので、「研究材料にされているみたいだ」という感覚は、聞き取りさせていただいた相手は、多分どこかしら持ってらっしゃるのかもしれません。

 ところが学生に対しては「心理学みたいに分析されるなら嫌だけれど、学生さんは皆さん姿勢が素直なので話してあげる」ということがあります。学生は変に染まっていないこともあって、相手の面白いところを聞き取ってくれることが多い。そこを大切にしながら、さらに膨らましていけるようにしていきたいと思っています。学生が持っている、こういう素直なことを引き出してくれる力が、私自身ものすごく、勉強になります。おそらく高校生にもそういう面があるだろうと思います。

 震災後に、被災者がどういう体験をしたか、手記を集めて一冊の本にまとめました(『3.11慟哭の記録』)。当時勤務していた東北学院大学のプロジェクトでしたが、被災地もローカライゼーションというか、宮城県は宮城県、岩手県は岩手県と分かれている感覚がさまざまな部分であり、それをつなぐようなことが難しい部分もあったのです。

 ところが、被災3県に出身校がある学生がいて、いろんなネットワークを持っており、「こういう人がいます」という形で教えてくれることも多くありました。こういう面で能力を発揮する学生がいて、学生と大学の力を利用すれば簡単に乗り越えて、被災地をつなげることができるということに改めて気付かされました。

「学生だからと話してくれる人も多い」と語る=撮影:大川原通之
「学生だからと話してくれる人も多い」と語る=撮影:大川原通之

【プロフィール】

金菱清(かねびし・きよし) 1975年大阪府池田市生まれ。関西学院大学社会学部卒。関西学院大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。東北学院大学教養学部地域構想学科教授などを経て、現在、関西学院大学社会学部教授。専門は、社会学・災害社会学。著書に『生ける死者の震災霊性論――災害の不条理のただなかで』『震災メメントモリ』『3.11慟哭の記録』『呼び覚まされる霊性の震災学』(単編著。以上、全て新曜社)、『震災学入門――死生観からの社会構想』(ちくま新書)など。

広 告
広 告