高校無償化には「公平」の視点が欠けている(喜名朝博)

高校無償化には「公平」の視点が欠けている(喜名朝博)
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「平等」と「公平」は違う

 背の高さの違う3人の子どもたちが高いフェンスの向こうで行われている野球の試合を見たがっている。どの子にも同じ高さの踏み台を準備することが「平等」、それぞれの背の高さに応じて適切な数の踏み台を用意するのが「公平」である。平等と公平の違いを概念的に説明するこのイラストは、一度は目にしたことがあるだろう

 公私や保護者の所得に関係なく、高校の授業料を一律に無償化することは「平等」である。ここにきてさまざまな懸念が出てきているのは、「公平」の視点が欠けているからではないだろうか。

平等は格差を拡大する方向にも動く

 「持つ者はますます豊かになり、持たざる者はますます貧しくなる」というマタイ効果は、子どもたちの教育環境としての保護者の経済状況にも当てはまる。無償化により進学の可能性が広がることで効果の抑制につながることもあるが、浮いたお金を他の教育費に充てる家庭もでてくるだろう。授業料や他の経費の値上げも予想され、ますます私学は持つ者のための学校になっていく。

 それぞれの状況を全く考慮しない「平等」は、格差を拡大する方向にも動くのだ。今、必要なのは個々の家庭や子どもたちの状況に合わせて支援していく「公平」の視点だ。既に子どもたちのスタートラインも同じではなく、きめ細かい対応が求められる。さらに、都市部と地方では公私の割合も大きく異なり、状況の違いを無視した施策は公平性に欠ける。

 教育の在り方が、全ての子どもに同じようにといった「平等」ではなく、どの子にも個別最適な学びを保障しようという「公平」の方向に動いているのに、今回の施策はそれに逆行している。

子どもたちに関わる問題は、優先順位で決められるものではない

 OECD加盟国の中でも、公財政教育支出の対GDP比が低いと言われる日本。教育費に多くの予算が投じられることは歓迎すべきことである。しかし、その分の文部科学省予算が削られるようなことがあれば、文部科学行政の後退でしかない。また、高校無償化よりも教員の処遇改善や多様な学びの機会の保障などを優先すべきではないかという声もある。

 子どもたちに関わる問題は、優先順位で決められるものではなく、公平性が担保できるよう全て同時にできるところから始めていくことが必要だ。社会の目を引くような施策ではなく、理想の姿に向け、計画的に改善を積み重ねていく、継続性のある制度改革が求められる。それは、社会の変化に対応できるだけでなく、未来を見誤ることも回避できる。

後期中等教育の「フェンス」はどう在るべきか

 高校無償化の恩恵を受けるのは、子どもたちでなければならない。前期中等教育から後期中等教育へ、子どもたちが学ぶ意義を見いだしながら、安心して将来につながる学びが実現できることが重要だ。そのためにも、幼児教育や義務教育の重要性を再認識しておきたい。

 家庭の経済格差は学力格差につながる。幼児教育から始まる小さな教育格差は学年進行とともに拡大していく。さらに、自分で学習に取り組める子はどんどん先に進み、それが難しい子との学力格差は広がっていく。これが教育におけるマタイ効果である。それを止めるためには、幼児教育や義務教育の質の向上が必須であり、教員の処遇改善はここにも貢献することになる。

 冒頭のイラストには続きがあり、最後に、フェンスが外されている絵が出てくる。フェンスを取り除けば踏み台は不要であるという考え方は「平等」や「公平」とは次元が異なる「公正」である。基本的に義務教育にはフェンスはないはずだが、国連から何度も指摘されているように、現在の特別支援教育はフェンスになっている。では、義務教育ではない後期中等教育のフェンスはどう在るべきか、学びの多様性の視点での整理も必要だ。

学校教育のダウンサイジングも避けて通れない

 幼児教育や義務教育の質の向上とともに、避けて通れない問題が学校教育のダウンサイジングである。人口減少社会にあって既存の学校教育システムを維持することが難しくなっている。小・中学校の統廃合や義務教育学校化が進んでおり、大学の統合・再編も求められている。その手前の後期中等教育についても議論を始めなければならない。

 学校の数を減らせば通学区域は拡大する。定員を減らせば経営が成り立たたない私学も出てくる。学校教育のダウンサイジングの問題も、全国一律ではなく、その地域にあった最適解と支援策が必要になる。行政や政治家は、目先の問題や選挙ばかりに目を向けるのではなく、人口減少社会における学校教育の在り方についての議論を喚起すべきである。

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