【未来につながる探究をプロデュース】 学習意欲向上のエンジンに

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 探究学習のプログラム開発と支援を手掛ける㈱ミエタの創業者である村松知明さんは、大企業での国際的なキャリアを経て教育分野に転身した。動機は日本企業の世界的なビジョンの希薄さや、学生時代からの社会参画の必要性を痛感したことにあるという。村松さんは、中高生との関わりを通じて、これからの探究学習は社会で活躍できる資質・能力の育成から、教科の学習意欲を向上させる原動力になると確信している。自身が受けてきた学校教育の課題を乗り越える、新たな教育の可能性を聞いた。(全2回)

東大の社会人交流プロジェクトに関わる

――創業の経緯を教えてください。大企業に就職し、アジアで不動産事業を手掛けるという、国際的な道を歩んできた村松さんが、なぜ市場規模の小さな教育分野に飛び込んだのでしょうか。

 三菱商事を退社するとき、同じことを多くの先輩から言われました。「教育はもうかるか分からないけれど、大丈夫?」と。創業した2016年当時は、受験に関連しない企業が中学校・高校に関与していく余地は少なかったと思います。放課後学習ではプログラミング教育事業のライフイズテックさんなどが知られるようになり、大学ではインターンシップが盛んになっていましたけれど、中学・高校は空白地帯というイメージでしたから。

――学生時代に今につながるような活動をしていたのですか。

 私が東京大学に通っていたのは、現在、三菱総合研究所の小宮山宏理事長が、総長を務められた時期と重なります。国立大学法人化して間もない頃で、さまざまなプロジェクトが始まっていました。

 そのうちの一つに「アルムナイ(alumni)」強化策がありました。卒業生を大学に招き、在校生と交流するプログラム「知の創造的摩擦プロジェクト」を創設しようというのです。私はその運営代表者を務めました。アルムナイとは「卒業生」や「同窓生」という意味で、卒業後も大学や学生との関わりを維持するネットワークのことです。

 米国の有名大学は巨額の研究費で知られています。これは大学が知的財産を産業にきちんと転換し、経済的価値を生み出すことで寄付を呼び込むという好循環によって成り立っています。当時の東大もこの循環を生み出し、世界レベルの大学になるために社会人を巻き込んでいこうというミッションが掲げられました。このプロジェクトの運営を通して、素晴らしい先輩方に出会いました。対話や交流だけでなく、学生の指導にも関わってもらう形にして2000人規模のイベントにまで成長させることができたので、それなりにインパクトのある活動ができたと思っています。

 大学卒業後は三菱商事に入り、8年間、中国やフィリピンを中心に不動産事業に関わりました。当時、中国は北京オリンピックや上海万博を機に経済成長が著しく、日本の停滞ぶりとの落差に大きなショックを受けました。また、日本のリーディングカンパニーといわれる会社で働いていても、自分が思い描いていることを表明し、新たなチャレンジをするマインドや行動力が欠けていることに危機感を覚えました。

世界との落差に危機感を覚え、教育の道へ

世界に出て、日本企業の弱みと教育の関連性を感じたと話す村松さん撮影:市川五月
世界に出て、日本企業の弱みと教育の関連性を感じたと話す村松さん撮影:市川五月

――大企業に入る人でも、自分の考えや希望がないという意味ですか。

 自分が何をしたいか、自分がどういう社会を作りたいとかを考える機会なく、小学校の頃から勉強をし続けてきたことと、今の日本企業が世界に対する新しいビジョンを持てず、大きく踏み出す力が持てないのはイコールだと思っています。「世界の大企業と組んで一部利益を共有していくのが、日本企業の在り方だ」などと言う人にも出会ったりして、がっかりしました。日本人の謙虚でいい部分が行き過ぎてしまっているのです。トップ企業に勤めているならもっと自覚的な社会貢献の精神や、世界の中での公益精神を発揮すべきです。

 中国や米国のビジネスパーソンは、世界をどう作っていくかを起点にしたビジネスプランがあり、その先に自分たちがどう動くかを考えています。日本は発想も事業も一まわり小粒なのを痛感して、それが私が会社を辞めようと思ったきっかけになりました。

 大学卒業後も「知の創造的摩擦プロジェクト」に関わり、10年間、大学生を見ている中で、大学では遅いと感じました。もっと若いときから実社会の中に立ち、自分が何をしたいかを考え、社会に対する営みをしていく働き掛けをする機会を提供しなければと思いました。実社会で何かをしたいと考えることは、これまで社会人になってからすることと思われてきましたが、違います。インターネットを使ったソフトウェア「SaaS(サース)」の開発や、SNSやポータルサイトなどのオンラインプラットフォームを作るといったことは、中高生も十分にできます。それで中学、高校を対象にした事業で起業しました。

成績は良くても葛藤がずっとあった

――自身の中高、大学時代はどのように過ごしていたのですか。

 中学入試で進学塾に通い、高校時代も大学入試に向けて予備校に通いました。まさに偏差値教育に漬かってきたのです。中学受験は自分の意思で決めたのですが、高校、大学と進むにつれ、点数を取るゲームに踊らされているような感覚になっていました。大学でもいわゆる「就職偏差値」があり、就職するならこの企業と決まったレールが見えていました。

 行動を起こす転機になったのは、冒頭にお話しした「知の創造的摩擦プロジェクト」ですが、その前に米国に短期留学したこともタイミングとしては影響しました。学生時代に、このまま何もせずに終わるとまずいと思い、米国に取りあえず行ってみようと数カ月、語学留学したのです。そこでNPOを立ち上げた学生やソーシャルな活動をしている同世代に出会い、感動して帰国したタイミングで「知の創造的摩擦プロジェクト」が始まったのです。

 それから、これは個人的な好みになりますが、私は進歩的でも実態は封建的な「白い巨塔感」のある場所が好きではないのです。中学や高校では、クラスの中でうまく立ち回り、声が大きいと意見が通る、みたいな空気は楽しいと思えなかったです。大学でも歴代の先輩方と上手に付き合うことが評価されるサークルは息苦しかったですし、会社でも社内政治的な動きが苦手でした。もうちょっと人って自分らしく生きたいものですし、やりたいことは、それぞれバラバラでいいと思います。

前例主義ではなく、ゼロから作ることにやりがいを感じるという=撮影:市川五月
前例主義ではなく、ゼロから作ることにやりがいを感じるという=撮影:市川五月

なぜ学ぶかの答えが探究の中にある

――葛藤が長くあったということですね。ところで、海外で仕事をしていて学校教育を見る機会はありましたか?

 教育そのものに触れる機会はありませんでしたが、国民性の違いにより感じるところは大きかったです。物事を世界基準で見る精神は米国や中国の人たちに顕著でしたし、フィリピンのような大家族主義的な価値観を大切にする人たちは効率優先ではないウェルビーイングに時間を使おうとします。また、日本人の勤勉さや利他性の高さは世界に誇るべきことだと思います。日本はビジョンを定めて始めるところまでは遅くても、いざ始めると一気に達成できる。日本の停滞は今が「底」で、将来、必ず立ち直ると思っています。

――その未来を支える中高生と関わっていて、探究学習の在り方で思うところはありますか。

 16年ごろまでは、社会に出たときに困らないような資質・能力や姿勢を身に付けることが探究学習の目的と言われていました。しかし、今は学ぶ意欲や目的を見いだし、学習意欲をかき立てるエンジンとして探究学習が重要な役割を果たす。そのように意義が大きく変化していると思うのです。

 ある中学生の例から、それをご紹介したいと思います。その生徒は化学実験が大好きで、家でも実験するぐらい熱中していました。われわれの探究学習プログラムの一環で、千葉県柏市にある東京大学物性研究所を訪問したのです。そこで研究者と交流する機会を得たことで、大きな変化が起こりました。研究者の世界では、英語力や線形代数などの数学が必要不可欠であること、超電導の研究のように物理と化学の境界がなくなりつつあることを知って学習意欲が湧き、夏休み後の2学期には成績が大幅に向上したのです。

 探究活動は単なる研究活動ではなく、教科学習と密接に関連しています。探究学習で面白いと思ったこと、興味を持ったことが、今ある勉強の目的や学校生活のよりどころになることが重要だと思います。「良い学校に行くため」という動機付けは効果が薄くなっています。代わりに、社会の中で自分がやりたいことや興味のあることを見つけ、それを実現するために現在の学習に取り組むという姿勢が、ダイレクトに学習意欲の向上につながると考えています。

近年は専門高校や、自治体との協業にも力を入れる=撮影:市川五月
近年は専門高校や、自治体との協業にも力を入れる=撮影:市川五月

【プロフィール】

村松知明(むらまつ・ともあき)  2004年に開成高校、08年に東京大学工学部を卒業。 在学中、卒業生と在校生が交流する大学公式プログラム「知の創造的摩擦プロジェクト」の創設に携わり、運営代表者として2000人規模に育てる。新卒で三菱商事に入社し、中国やフィリピンでの不動産事業などに8年間従事した後、16年に㈱ミエタを創業。

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