愛知県教育委員会義務教育課長 尾本 国博
教師として働いていて、教え子が同僚として勤めることになった。年をとったものだと寂しい思いをもった。あるとき、彼女に「なぜ教師になったのか」聞いてみた。彼女は、「当時の先生たちが、楽しそうに働いているのを見ていたから」と言った。自分たちの姿を、そのように見ていてくれた子がいるんだと、うれしさを感じた。
そんな彼女をはじめ、若手教師の前向きな働きぶりと、若い頃の自分を比較すると、恥ずかしくなる。新任の頃、私は、研究授業を行うため、指導案を作った。他にもやることがたまっており、内心「まあ、これでいいや」と上司に提出した。すると、上司に呼ばれた。自分の心の中を見透かされているような上司の言葉に、何も言えず、ひたすら自分のいい加減さに腹が立った。今思い返せば、甘い気持ちでやり過ごそうとした私のことを、真剣に指導してくれた上司に感謝する。あの時間があったからこそ、今の自分があるのではないかと思う。
今の学校に目を向けると、昔と変わったと感じる。私が若い頃は、勉強が苦手な子、やんちゃな子、さまざまな悩みを抱えた子、みんな学校に来ていた。いろんな子がいる集団をいかに前向きに導くか、多くの先輩・同僚と相談し、対策を考えてきた。いつ頃からか、子供たちが学校と距離を取るようになり、子供の抱えている悩みを教師が把握できなくなってきていると感じる。不登校児童生徒数は、年々増加しており、ここ数年は、毎年、過去最多を更新しており、その対応は喫緊(きっきん)の課題となっている。
児童生徒の変化だけでなく、教師の働き方にも注目が集まっている。在校等時間がメディアで取り上げられ、教師として、やるべきことの見直しが求められている。
学校は変わらなくてはいけない。しかし、変えてはいけないこともあると思う。それは、教師が、子供と向き合い、その子供の成長を願い、日々、知恵を出すこと、汗をかくことだと思っている。子供たちは、教師の言うこと・やることをよく見ている。冷静であり、的確だと驚かされることがある。今、目の前にいる子供たちに、「先生、やっぱりすごいね。私もあんなふうになってみたい」と言ってもらえる教師の姿を見せられているか、今一度、確認する必要がある。