【戦後80年×教育】 被爆者と若者が「核兵器廃絶」を目指し対話

【戦後80年×教育】 被爆者と若者が「核兵器廃絶」を目指し対話
被爆者の和田さん(写真前方左から3人目)を囲み、参加者は活発に意見を交わした=撮影:徳住亜希
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 被爆者と平和活動を行う若者たちが交流し、核兵器廃絶や平和の意味を考えるイベントがこのほど、生活協同組合パルシステム神奈川(横浜市)の主催で開かれた。イベントには「高校生平和大使」を含む、6人の学生が参加。学生たちは2024年にノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)・事務局次長の和田征子さんの話に聞き入り、それぞれが「自分事」として捉え、学びを深めていた。

 イベントはパルシステム神奈川の事務所とオンラインによるハイブリッド形式で実施され、核を巡る問題や、戦争体験の継承などに関心を寄せる29人が参加。「核兵器がなくなったら世界は平和になるのか」「核兵器をなくすという壮大な目標のために、何が必要なのか」といったテーマについて、多世代で対話を行った。

 登壇した和田さんは長崎で被爆した自身の体験について、「1歳10カ月のときの被爆で、何の記憶もない。直接見ていないという点では、若い方も私も一緒。ただ、母が繰り返し語ってくれた」と言い、その上で「話を作らない、今の言葉で言えば、話を盛らないということを心掛けている」と強調した。

 他の被爆者の証言を何度も聞いているため、被爆について知識として分かってはいるが、「私の経験したことしか話さないよう、厳しく自分に課している。母は私が書いた被爆の証言を『こげんもんじゃなか(こんなものではない)』と言っていた。インパクトがないのは分かっているが、そうしている」と話し、多くの被爆証言を聞き、自身も証言活動を行う中で、核廃絶と平和への「思いが強くなってきているというのが実感」と力を込めた。

 和田さんら被爆者の思いを受け止め、核兵器廃絶に向け政策提言などを行う(一社)「かたわら」代表理事の高橋悠太さんは、広島県出身の00年生まれ。国連で採択された持続可能な開発目標(SDGs)に、核兵器廃絶を加えることを目指していると話す。

 高橋さんは「被爆者や市民の声を政策決定の場に届けることで、被爆者の記憶を世界の記憶にすることはできると思っている」と言い、教育の問題として「どうしたら核兵器をなくせるのか、どうすれば核兵器の使用を止められるのかということを学ぶ場が、日本は決して多くない」と指摘。そのため中高生向けに平和学習プログラムの制作を行っていると、自身の取り組みを語った。

 さらに同イベントでは、核兵器を巡る問題や平和に関するテーマについて、登壇者と参加者で意見交換を行った。

 00年生まれで、大学時代から核兵器廃絶を呼び掛ける取り組みを行ってきたNPO法人「ボーダレス・ファウンデーション」理事の中村涼香さんは、「核兵器がなくなったら世界は平和になるのか」という問い掛けに「2度と使われてはいけないということだけは、揺るがない事実。あると使われる可能性が常にある。だからアクションを起こしてきた」と強調。

 さらに「人権や人の命や尊厳が尊重されたときに、核兵器をなくす選択ができる。そうした世界は、今よりもっと平和で幸せな世界ではないかと思っている」と続けた。

 「核兵器をなくすために何が必要なのか」という問い掛けには、パルシステム神奈川常任理事の楊直子さんが、核兵器禁止条約の署名批准を求める意見書の提出が、陳情によって神奈川県藤沢市議会で採択された経験を紹介。

 楊さんは「政治を動かすのは大変なんだなと実感した」と打ち明けながらも、「18歳以上には選挙権があって、核兵器をなくす主張をしている議員に投票することは簡単。まずは自分ができるところから1歩踏み出してみることが、大切ではないか」と提案した。

 会場参加者の高校生からは「同い年ぐらいの人たちで、こんなに考えている人がいるんだと知れたのが良かった」「被爆体験を直接聞くことは、かなり意味のあることだと分かった。あらためて恐ろしい爆弾だと感じた」などの声が上がった。

 また「高校生平和大使」の萩有彩さん(高3)は修学旅行で広島を訪れた際、被爆者が体調を崩し証言を聞くことができなかった経験から、「記憶の継承」について危機感を持つようになったと説明。「最近はAIを使った兵器も使用されている。人はどういう存在なのか問われていて、人間性や良心、倫理観という観点が、今だからこそ大切ではないか」と思いを語った。

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