教師力・人間力―若き教師への伝言(88)私の原点

教師力・人間力―若き教師への伝言(88)私の原点
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 小学校の頃からの憧れの職業が教師でした。その夢の職業に就き、大好きな子供たちに囲まれながらの生活は、今も昔も幸せな時間に変わりはありません。

 新任のときの私は、カチカチの完璧主義で自分のミスが許せないことが多かったように思います。そんな様子を見かねた先輩は、「完璧を目指さなくてもいいよ。授業も全員に分からせたい。全員の保護者に好かれたい。それは当然のことだ。でも、まずは3割でいい。プロ野球選手だって、3割打者ならすごい人だ」と助言してくれたのです。その言葉を胸に「まずは3割。3割を目指そう」と決め、ここまで辿り着きました。

 とはいえ、与えられた仕事に手を抜いていいわけがありません。学校教育の根幹は授業です。「授業で勝負できる教師になりたい」という気持ちは、ずっともち続けてきました。

 当時の教務主任からは、「若いときは、子供たちの年齢に一番近い存在である。思いっきり遊べ。そこから授業が見えてくる」と教わり、「遊ぶこと」と「真似ること」という2つの言葉をいただきました。

 それからというもの大放課も昼放課も運動場へ出て、子供たちとがむしゃらに遊びました。そうすると、教室では見られない子供たちの笑顔や表情が見えてきました。それが、授業へとつながっていきました。

 また、「真似る」ために、憧れの先輩の授業をたくさん参観しました。憧れの先輩は、いつも笑顔で子供たちに話します。教室には褒め言葉が溢れていました。学習課題が明確で、子供たちが生き生きと活動しているのです。私は、空き時間を見つけては、「どこを真似るべきなのか」を見極め、憧れの先輩の姿を追い続けていたように思います。このようにして、「真似る」ことで長い年月をかけて「自分流」が生まれてきました。

 それから、私が担任の時にこだわっていたのは、ノート点検の時間でした。次の授業を考えるときに、子供たちのつまずきがどこにあるのかを知っておくことは、とても重要なことです。毎時間、ノートやプリントを集めては、一人一人の学びの確認と朱書きを入れる作業には時間を要しました。そのため、いつも教卓やロッカーの上はいっぱいでした。でも、当時の私にとっては、それは当たり前で、一人一人の子供たちに寄り添える大切な時間であり、幸せな時間であったのです。

 令和の時代になり、ICT機器がめまぐるしく進化しています。授業の形態や方法は、時代と共に変わってもよいと思っています。でも、子供たちの心に寄り添い、目の前の子供たちを置き去りにしない授業づくりのために努力できる教師であってほしいと願います。

 今、こうして若き日の自分を振り返ると、無駄なことが多かったのかもしれません。でも、それが今の私をつくっていますし、私の原点です。先生方、やりたいことを見つけ、とことん時間をかけてみてください。無駄と思えることの中に、省いてはいけない大切なものがあるように思います。大切なものを自分で見つけ、授業のプロを目指してください。

 「先生は太陽だった」という言葉は、卒業式が終わった後に、ある児童から贈られた言葉です。あの頃の私は、厳しいこともずいぶんと言っていたように思いますが、そんなふうに思っていてくれた児童が一人でもいたことを嬉しく思います。どうか教師という仕事を楽しみ、子供たちの心を照らし続けてください。

 (松尾由美・美浜町立河和中学校長)

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