有望でやる気のある30代を校長に 担任に戻る選択肢も(庄子寛之)

有望でやる気のある30代を校長に 担任に戻る選択肢も(庄子寛之)
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「校長になるまで待てない」と独立していく若者たち

 最近は毎年、退職者の知らせを聞く。学校がしんどい先生ではなく30代、40代の意欲のある教員である。誰が名付けたか分からないが「ふきこぼれ教員」などとも言われている。

 「ふきこぼれ教員」になる理由の一つに、「校長になりたいけれど、いつまで待てばいいのか分からない」という声がある。学級や学年でいろいろなチャレンジができた。その後、能力を期待され、教育委員会勤務や教務主任などになり、担任から外れる。多くの教員はここで、これからの人生を改めて考えるという。

 より良い教育をしたいと思っても、校長や教育委員会に止められてしまう。自分より仕事をしていない人が自分より給料をもらっているという年功序列のシステム。同級生は民間企業で、自分の権限でいろいろなことをしているといううわさ……。20代から自分の会社を持ったり、生き生きと自由な生活をしているスタートアップに挑戦したりする人も増えた。

 隣の芝生は青いもの。決してその人たちに苦労がないわけではないが、うらやましく思ってしまうことも当然であろう。

どんなに優秀でも55歳からしか校長になれない自治体

 「うちの自治体では、特例がない限り55歳からしか校長になれないんです」と嘆いている40歳前後の先生に先日、出会った。退職することも考えているという。校長になるまであと15年、現場で待たなければいけない。しかも最短15年というだけで、15年後に必ず校長になれるとは限らない。その間、自分の希望を聞かれずに、教育委員会に行かなくてはならない日も来るかもしれない。だから、担任ができるのはこれが最後だと毎年、思って挑戦しているという。

 ところが、その挑戦できる幅が、ここ数年でかなり小さくなったという。「学校の中軸として、自分のクラスのことばかり考えていてはいけないよ」「今年度、若手が辞めないように、自分のやりたいことはとにかく後回しにして、あなたのクラスでよかったと言われない工夫をしなさい」……。

 その先生は悩んでいた。「若手が自分の学級に集中できるように、他の人の校務分掌までやっています。時代に合った実践をしたいだけなのに、そこまで言われる必要はあるのでしょうか」。

 多くの自治体では、校長になれるのは50代になってからだ。

 優秀であるかないかは関係なく、年功序列があり、校長試験に受かった年上の先生が順番を待っているという現状がある。当たり前だが、現場の教員として優秀だった人が必ずしも優秀な校長になるとは限らない。そうであれば、熱い思いがあり、校長として理想の教育を行いたいと思う人を校長にすべきではないだろうか。

60歳が役職定年になる自治体も多い。

 この話には続きがある。この自治体では、55歳まで校長になれないのにもかかわらず、60歳で校長を辞めないといけないのだ。

 「うちの自治体のほとんどの校長は、多くても2校しか経験しません。初めて校長になった学校で様子を見ながら3年を終え、2校目は退職前の最後の学校だから、とにかく不祥事が起きないよう安全に、安全にと過ごしているように見えます。服務事故がなく、安全に過ごせることが何よりも大事と考える校長が多く、教員の自由度も少ないです。だからデジタルは使われないのだと思います」ということであった。

 60歳を迎えた後の校長がその後どうするのか聞くと、多くの校長が、再び現場の教員になるそうだ。人手不足だからというのもあるし、「60歳まで教員しかしてこなかったから、それ以外の仕事はできない」と、担任に戻る人も多いのだという。

 とはいえ、タブレット端末を使った授業をしたこともないし、担任したのは10年、20年前という先生も多い。それでも、元校長である。その人の授業に意見できる教員もおらず、昔ながらのチョーク・アンド・トークの授業が良いとされてしまう傾向にあるという。

やる気のある若手が、若いうちに管理職になれる仕組みを

 私の提案は、30代、40代でやる気のある有望な教員に校長を任せ、経験を積んでもらおうということだ。そして校長を務めた後、定年前に担任に戻ることも当たり前にする。

 プロスポーツの現場であれば、ベテランではなく、若手や中堅がキャプテンを行うことは当たり前である。昔、キャプテンをやったことのあるベテランが、現キャプテンを支えていく。これは学校現場でもできることなのではないだろうか。

 定年間際まで校長をやりたい人もいれば、校長を務めた後に現場に戻りたい人もいる。現状戻る仕組みは「降格人事」だけである。担任をやりたい教員も、降格してまでとは思わないだろう。

 校長から現場の教員に戻るのは降格ではない。働き方の多様化である。

 社会では、多様な働き方が当たり前である。「役職定年」という言葉もあり、役職に就いているのは30代、40代が中心となっている大企業も多い。突拍子もないことを言っているのではない。世の中で当たり前に行われていることを、教員の中でも取り入れられないだろうかという提案である。

 教員不足はまったなしである。今までの当たり前を壊す人事案を考えなければ、どんなに良い学習指導要領ができても機能しない。教育は人である。前例踏襲にならない、魅力ある教育現場が求められる。

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