実践に基づく言葉はしみる 私の学びの遍歴(ウスビ・サコ)

実践に基づく言葉はしみる 私の学びの遍歴(ウスビ・サコ)
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 日々、学生と一緒に過ごしていると、子供の頃の私はいったい今の私をどのように見てくれているだろうかと思うことがある。「お前よくがんばったな」と言ってくれるだろうか、「もっとがんばれよ」と励ましてくれるだろうか。

 遠く母国マリを離れ、気が付けば日本で研究に打ち込み、教壇に立ち、多くの学生たちに囲まれ、内外のフィールドワークに出掛け、研究して論文を書く、建築のさまざまなプロジェクトに参加する。別の人生もあったのではないかと考えることもあるが、これが私の選んだ人生だ。今回は私の人生の途中経過「学びの遍歴」を振り返りたい。人生とは不思議なものだとつくづく思う。

先生は「語り部」

 先生になりたかったのかと聞かれると、それは違うと答える。マリでは都市部はともかく地方では先生の職業的な地位は低いものだった。そもそも大学も少なく、自分自身に先生への憧れというのもなかった。マリではいわゆる先生という職業というよりも、経験や知識が豊富で、ある一つのことを深く知っているインフルエンサーのような「語り部」が尊敬されていたように思う。

 というのも、文字を印字して何かを伝えるというよりも、口伝えによる口承文化が今も根強く残っているのがマリだからだ。村のような地域それぞれにいる長老的な存在が先生のような立場にあった。そういった知識を持って人々に影響を与える「知識人」というのが私の頭のどこかに憧れとしてあったのではないかと今になって思う。

子供時代

 子供の頃の私は、将来の具体像を描けないでいたが、ただ好奇心、探求心の強い子供であったように思う。周りからはよく「ジャーナリストになったら」と言われていた。

 これも前に話したが、ラジオから出る音が不思議でしようがなかったのはよく覚えている。すると、私はそれを分解してしまう癖があった。そしてそれを元に戻すことができずに親によく怒られたものだ。なぜこの小さな箱から音が出るのか調べてみずにはおけなかったのだ。ラジオを発明した人のように、何か自分の手で世間に影響を与えたいという気持ちがあったのだろう。

 リーダーになりたいとは思っていなかったが、気持ちの奥底で国の人々の助けになりたいとは漠然と思っていた。そして選んだのが建築の分野だった。当時のマリは住居に関してまだ不十分なところがたくさんあったので、身近な問題としてそれをどうにか快適にしたいと思ったのだ。

 迷わず高校のときにエンジニア系のコースを選択した。そして、国費留学生に選抜された。これは、いずれ母国に建築の専門家として戻り、公務員として国のために尽くすことを意味する。国費留学生にはそのようなレールが敷かれており、私の人生はそれをなぞるはずだった。

研究の道へ

 それがどうして中国を経て日本に渡り、研究者、先生の道へと進むことになってしまったのか。私は中国での留学中にマリにいったん戻り、インターンシップとして役所で2カ月過ごした。そこは卒業後に配属されるであろう建築関係の部署だったのだが、日々変わらぬ業務をこなして維持することが仕事のように思え、私が望んだ新しいことにチャレンジしたり、制度を新しくしたり、改めたりするような姿勢が見えなかった。私は仕事を通じて国を変えていくクリエーターのような活動がしたかったのだ。

 そこで私は考えた。もっと勉強して知識をつけて、建築の分野で国に対して専門的な発言ができるようになる必要がある、と。私は学びを続けることとし、大学院へと進んだ。当時、マリからの留学生で東南大学(中国・南京市)の大学院まで進んだのは私が初めてだった。

 私は純粋に祖国に快適な住居をもたらしたいと思って研究を続けていたのだが、私の学びは大学院への進学を契機に大きく発展した。世界の居住環境を考える国連人間居住計画(UN-Habitat)で働くことにも憧れを持った。私の視野はマリ1国から世界の途上国へと関心が広がった。おそらくあの時、母国に帰っていれば、建築設計をして箱モノを建てるような生活が待っていたであろう。人生の大きな転換点だった。

教えること

 そして今、学生に教える立場になった。私たちの世界では理論を組むのが仕事である。ただ私が大事にしているのは、必ず自分の実践に基づいて理論を立て、それを人に伝えるということだ。

 実践に基づく言葉は強い。理論というのは結局うまくいった話を集めたものだが、私の場合は失敗した経験や一見役に立たないような内容もなるべく話すようにしている。やはりそちらの方がより学生たちの頭や心に深くしみるのではないかと思うのでこのスタイルを貫いてきた。

 私は実践を行うフィールドがとても大事だと考えている。私の領域だと、ある場所を訪れ、生身の人間と出会うことで感じることが必ずある。そこで得たものを学生たち、研究者仲間と共有していくということが、私の指導・研究方針と言えるのではないかと思っている。

 今入学してくる学生たちは、高校時代にどうしても教室の中だけの学びになりがちだったと思うので、私の指導を受けると驚きがきっとある。彼らは物事には答えが決まっているかのように思いがちだ。でも、答えはひと通りではない。現場に出ないと分からないことも多い。

 現場では、先生や仲間はあんな考えやこんな答えを言っていたが、自分で調べたり考えたりするうちに別の結論に出会えるということを多く経験するだろう。もしも答えが見つからないなら、その場合は問い続けていってもいい。それが本当の学びなのではないか。

 これまでその時々の選択で、いつの間にかここまで来た。だが、私の学びたい、知りたいという思いには、いささかの衰えもないと思っている。自分が得た知識を多くの人に伝えられるということが生きがいだ。なぜサコがそこにいるのだ、というようにまだまだ内外のさまざまなフィールドを駆け抜けたい。私の学びは尽きることがない。

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