全ての子どもの命を守る 必要なのは校長の覚悟(木村泰子)

全ての子どもの命を守る 必要なのは校長の覚悟(木村泰子)
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子どもの命を守るのは誰か

 夏休み明け前後に子どもの自殺が急増する事態は、「9月1日問題」「夏休み明け自殺」と呼ばれるなど、社会問題としても認識されている。2022年2月に文科省がまとめた資料「児童生徒の自殺対策について」によると、21年に自殺した小中高校生は473人だった。過去最多だった前年の499人から減ったが、依然として高い水準であることに変わりはない。

 全ての子どもの命を守るのは、校長の責任だ。プレッシャーをかけたいのではない。「校長の覚悟の問題だ」と広く伝えたい。

 私は常日頃から、さまざまな機会を捉えて「全ての子どもの学ぶ権利を保障するのは、校長の責任だ」と強く訴えてきた。校長には数多くの職務があるが、それらはただの「仕事」にすぎない。校長のたった一つの「責任」は、どんな手段を取っても子どもの学ぶ自由を保障することであり、その大前提として子どもの命を守ることは何にも代えがたいものだ。その責任は校長にしかない。教職員や保護者、ましてや子どものせいにできることではない。

「仕事」と「責任」の違い

 しかしながら、校長研修やセミナーなどに呼ばれて話をすると、「校長の責任を分かっていないのではないか」と感じることがある。

 例えば、講演中に「校長の責任とは何だと思うか」と問い掛けると、「学力を上げること」「保護者対応をきちんとすること」などさまざまな意見が出る。しかし、100人いれば100通りの答えが出るのは、それらが「個人の仕事」にすぎないからではないか。

 学力向上や保護者との関係構築といった「個人の仕事」は、うまくいかなければやり直せばいい。しかし、もし学校に来ることができない子どもが一人でもいて、その子どもが命を落としてしまったら、取り返しがつかない。それを防ぐには、校長が「誰一人としてもらさず、安心して学校に来て学ぶ自由を保障する」という、たった一つの責任を果たさなければならないのだ。

 このたった一つの責任さえ果たせるのであれば、そのための手段は何でもいい。いじめなどが起こると、個人情報保護の観点から積極的な解決に踏み出せないでいるケースがあるが、個人情報と子どもの命のどちらが大事かは言うまでもないだろう。

「保護者のクレーム」の本質は

 とはいえ、この責任を校長一人の力で果たすのは不可能だ。そこで求められるのが、校長の「つなぐ力」になる。教職員はもちろんのこと、保護者や地域の協力も欠かせない。さまざまな力を活用していく必要がある。

 ところが、この点についても、校長研修などで講演をすると「何か間違っている」と感じることがある。

 例えば、「一番困っていることは」と水を向けると「保護者のクレーム」といった返答があり、「保護者と教職員のどちらを守るか、対応に苦慮している」などと続く場合がある。

 そうした校長の悩みに対し、私が言いたいのは、「校長は人と人とをつなぐコーディネーターに徹するべきだ」ということだ。教職員と保護者。教職員と子ども。子どもと子ども。教職員と教職員。保護者と子ども。保護者と保護者。学校に関わるあらゆる人をつなぐことができれば、学校のキャパシティーは無限に広がる。

 大空小学校で校長を務めていた時には、毎年の入学式で保護者に向けて、いい学校をつくる当事者になるよう求めた。「大人が文句を言ったり人のせいにしたりしていたら、子どもも同じことをする」と伝え、「困りごとや文句は、保護者も地域住民も誰もが持っている。それを意見に変えることができれば、必ず未来につながる」と訴えた。そして同校ではモンスターペアレントはおらず、クレームもなかった。

校長は「良きに計らえ」ではいられない

 校長がトップダウン方式を取り、校長室にこもって「良きに計らえ」と言っている時代は終わった。「校長が動いて解決できなかったら後がない」などと言いながら動かないでいる間に、子どもの命が失われてしまう。不登校やいじめ、そして子どもの自殺が「過去最多を記録した」と報告され続けている昨今において、校長が変わらないでいることは犯罪に近いと言いたい。

 教員が「子どもを主語にした学びを」と努力を重ね、都道府県教委や教育センターも覚悟を決めて改革に乗り出している中、校長がいつまでも前例踏襲を続けていては、学校は変わらない。校長が動けば教職員も動き、校長がコーディネーターに徹すれば教職員や保護者はつながる。

 子どもは校長の姿をよく見ている。困って追い詰められた子どもが「助けて」と訴えられる存在であるよう、全ての子どもの命を守る覚悟を持って、子どもの学ぶ権利を保障する責任を果たしてほしい。

 校長は困っている子どもの「最後のとりで」に!

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