子供をみんなで育てていこう(ウスビ・サコ)

子供をみんなで育てていこう(ウスビ・サコ)
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 また子供を巡るやりきれない事件が聞こえてきた。静岡県牧之原市の認定こども園で3歳の女の子が送迎バスに閉じ込められて亡くなった件である。誰であろうと亡くなるのは悲しいが、特に守られるべき小さな子供が大人の不注意で短い生涯を終えるのは痛ましい。それともう一つ、児童相談所への虐待の相談が20万件を超えているという。先進国である日本でなぜという思いが拭えない。日本では少子化が進んで、生まれる子供が少ないのならば、みんなで大事に育てていかねばならないのではないか。子供がつらい目にあっているのは教育の現場を預かる者としては非常に悲しい。

マリの子育て

 私の育ったマリでは、子供は家庭だけではなくて地域の共有財産であるという認識がある。財産というとモノのようだが、みんなで慈しむ「宝」のような存在であるというと分かってもらえるだろうか。子供の育ちをみんなで分かち合って保障するのだ。自分の子供だからといって、親だけの都合で子供をどうこうしようというわけにはいかない。もちろん、マリにもまれにだが親による虐待というケースがあるにはあるが、深刻な状況に陥る前に周囲が気付くことができるのは、このみんなで育てるという意識によるところが大きいように思う。

 なるほど日本では、家族の単位が小さい上に、他人はよその家のことに口を出してはいけないという不文律のようなものがある。当人たちにすれば、自分の家のことは放っておいてくれ、外の人に迷惑は掛けたくないという気持ちもあるだろう。そうなると、自然と家族は内向きになり、行くところまで行って、いったん悪くなった状況はどんどん悪くなってしまう。そうしてエスカレートすると家庭内暴力や虐待といった事態に進んでしまうのではないかと思う。

 そんな時、昔なら子供の祖父母も同居していたり近くにいたりして、緩衝材のようになり、手伝ってもくれただろうが、今ではそれもない。私の家族の場合、かつて妻が子連れで海外に単身赴任したときに、私の両親がわざわざマリから中国に妻と息子たちを手伝いにきてくれたことがあった。マリでは普通の風景といえるだろう。

「畏れる人」を作れ

 マリでは子供の近くに必ず「怖い人」がいる。別に顔が怖いとか所作が荒っぽいということではなくて、子供にとってその人が「畏れる存在」であるという意味だ。日本でも昭和のころ、あの「おじさん」のいうことは聞かなきゃならないというような人がいなかっただろうか。家の近所におせっかいで何かにつけ注意する大人がいなかっただろうか。それが地域社会というもので、自分の子供でなくても気が付いたことはちゃんと注意する大人がかつてはいた。家族では気が付かないことや言いにくいことを代弁してくれていた。私が子供のころは親戚の「おじさん」というのがそうだったのだが、マリには今でもそういった存在がいる。

 思い出したのだが、私の妹は自分の子供がいうことを聞かなかったときに必ず私か弟にその怖い「おじさん」としての役目を振ってきた。私もしばしば電話でその子供に向かって「何をやっている、ちゃんということを聞きなさい」と怒ったものだ。そうするとたちどころに子供はおとなしくなる。これは理屈ではないと思う。存在そのものを子供は「畏れて」いる。

 この「おじさん」「おばさん」というポジションが今でも大事なのではないだろうか。親にだって子供に言いにくいことはある。そんな時に、タテではなく、ナナメの関係がフランクにものを言える距離感にあるのではないか。子供も親には感情的になりがちだが、そんな「おじさん」「おばさん」の方が、きっと耳を傾けやすいだろう。

親はサービス業ではない

 私は日本の親は何かと子供のことで気を使うあまり、ストレスをためやすいと思っている。子供に対して何かサービスをしなきゃいけないと信じているようだ。私の家では子供たちが家事などに全員参加するようにしていた。食事後の皿洗いはもちろん、自分の部屋の掃除、洗濯などは子供たちの仕事だった。息子は友達の家に行くとみんな家のことは何もせず、親が全部やると知ってショックを受けていたらしい。また、うちでは弁当も朝自動的に用意されるのではなく、事前にいるのかいらないのか、何が食べたいのか申告させていたほどだ。これだと時間も材料も無駄がなくなる。自分で自分のことをちゃんとやらせる、考えさせるというのは、当事者意識を持たせるためにも必要だと考えている。親はサービス業ではないのだ。

 実は私が日本に来て一番驚いたのは、子供が母親のことを「クソババア」と呼ぶことだった。まったく信じられなかった。親子で何か複雑なことがあろうとも、最低限リスペクトの関係はきちんと大事にすべきだと思っているからだ。親と子、お互いが個として尊重し合うというのは、マナーとして絶対に忘れてはならないことだ。

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