働き方改革のゴールは「ウェルビーイングな学校」にある(鈴木寛)

働き方改革のゴールは「ウェルビーイングな学校」にある(鈴木寛)
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 学校の働き方改革の進展状況を検証する文科省の教員勤務実態調査が始まり、岸田文雄首相も開会中の臨時国会の所信表明で「処遇見直しを通じた教職員の質の向上に取り組む」と明言した。給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)の見直しも視野に入り、長時間労働が常態化している教員の労働環境を改善しようという機運がだんだん高まってきている。こうした一連の取り組みのゴールをどう考えるべきなのか、この局面で改めて考えてみたい。

目指すべきは、子供、教員、社会が一体となった好循環

 結論を先に言えば、ウェルビーイングな学校に変えていくことがなにより大切だと、私は考えている。教員のウェルビーイングなくして、児童生徒のウェルビーイングなし。児童生徒のウェルビーイングなくして、教員のウェルビーイングもない。さらに、ここには地域社会や保護者、あるいは納税者のウェルビーイングも入ってくる。ウェルビーイングな学校になるために、子供、教員、社会が三位一体となった好循環をどう作り上げるか。これが目指すべきゴールになる。

 そのためにも、教員問題は働き方改革からウェルビーイング向上を最重要の課題としていく必要があると思う。残業時間を減らすとか、あるいは教員の数を増やすとか、これらの改革はまだ緒についたばかり。教員の心身の健康を回復するためには、さらなる人件費の確保が必要になる。十分な教職員およびそれを支えるさまざまな専門スタッフの数を確保することは非常に重要であるし、中学校や高校では、教員定数改善という課題も残っている。だから、いま動き出している取り組みで、教員問題を一段落としてはいけない。毎週のように、全国各地の自治体や教育委員会、学校関係者と会っているが、このところその感を非常に強めている。

教員集団のエージェンシー(能動的主体性)の発揮が求められている

 同時に、教員の働き方改革の次元を超えて、教員のウェルビーイングとは何か、ということを考えなければならない。これは教員の負荷を減らすという問題もあるが、実は、教員側の資質向上も重要だ。教員としての資質とは、エージェンシーを発揮することができているかどうかにある。自らのウェルビーイングのために、同僚とともにコ・エージェンシー(共同エージェンシー)を発揮し、管理職ともしっかりコミュニケーションを取りながら、当事者意識をもって、お互いに創発し合うことが必要だ。そこに保護者を巻き込み、教育委員会、場合によれば、地方議員や首長をも巻き込んでいくところまで、その気になれば主導できる。

 ところが、いまの働き方改革は、教員集団からみると、非常に受身になっている感じがする。教員の働き方改革なのだから、各地の教員集団が主導して改革をデザインし、教育委員会や保護者や地域、あるいは地方政府や中央政府に必要な要望や協力要請をしていかなければならないが、教員集団が受け身だと、だんだん論点がずれてきてしまう。

 部活動の地域移行を例に挙げれば、本来、教員たちがまず現場で話し合わないといけないはずだ。未経験教員が部活動顧問を行うことの危険、教員の土日引率など、問題は日々感じているはずだ。だが、これまで現場では、こうした問題をあまり議論してこなかった。そして、最近、急にスポーツ庁から突然「部活動の地域移行」が降ってきたと思っているから、それを歓迎している多数の賛成派と、それを歓迎していない少数だが非常に力を持った反対派との間で分断があちこちで起こっている。

 特に大事になるのは、学校設置者と管理職だと思う。教育長や教育委員など学校設置者と校長などの管理職は、深い智謀を持って地域住民や保護者など学校のステークホルダーと対話して理解を促し、授業をオーガナイズしたり必要なリソース配分の優先順位を変えたりして、学校の働き方改革を主導しなければならない。これは納税者である学校の隣人に対して、教育に予算を振り向けてもらうよう説得するということでもある。首長、教育長、学校長は、保護者や地域住民に対して説得する言葉を持たなければいけない。

 当然、現場の教員たちも、学校設置者や管理職の動きが弱ければ、しっかりと働き掛け、突き上げなければいけない。上から降ってきた働き方改革を続けているかぎり、学校現場の教員が、そのウェルビーイングを高めることはできない。なぜなら、自分たちがエージェンシーを発揮して自己決定を行い、主体的に物事に関わっていかないかぎり、ウェルビーイングを高めることはできないのだから。

ブラック職場は、労働時間だけの問題ではない

 教員のウェルビーイングを高めていけば、当然ながら、『ブラック』と一部でやゆされる学校の職場環境は改善されていく。ブラックという言葉で思考停止になっている気がするが、その中身をもうちょっと因数分解して、学校の職場環境に何が足らないのか、教員のウェルビーイングという観点から考えてみたい。

 一般論として、ウェルビーイングを高めるためには、経済的条件が整っていて、民主主義であること、社会的寛容があることが必要条件とされる。この中で、日本は、特に社会的寛容に問題があるといわれている。十分条件としては、多様な選択肢の存在と、困ったときに相談できる相手の存在が挙げられている。

 まさに、日本社会のウェルビーイングの低さは、社会的寛容の低さ、生き方の多様な選択肢の少なさ、困っているときに親身に相談に乗ってくれる人の存在の少なさなどといった問題によると言われているが、同じような問題が学校にもあるのではないか。もちろん、過剰な労働時間は是正されるべきだが、労働時間の問題ばかりに議論が向かい過ぎているように思う。

 日本では、若い人が職場を退職する理由は、取引先を含めた職場の人間関係が多い。給料が安くて辞める人は、それほどいない。学校がブラックと呼ばれる本質には、職場の人間関係があるのではないか。教員にとって、職場の人間関係と言えば、まず保護者が相手になる。これは社会的寛容の問題とも密接に絡む。保護者との人間関係に非常に疲労困憊(こんぱい)したときに、困ったときに親身になって相談できる、サポートしてくれる上司や管理職、あるいは同僚がいるのかいないのか。これも重要だ。

 今の学校は、教員にとっての同僚が少ない。かつては1学年に5、6組ある学校も少なくなく、教員も大勢いたけれども、今は1学年1学級も珍しくなく、同僚が少なくなっている。そこで、上司の役割がより重要となっている。ブラックではない職場では、ちゃんと教頭が間に入って、若手教員をフォローしている。保護者とのトラブルがあったら教頭がすぐに対応するし、場合によれば、教頭がスクールロイヤーとも連携する。こういう仕組みがちゃんとできていれば、何か問題があったら若手教員はすぐに教頭に相談するようになる。

 こうしたウェルビーイングを高めるための条件をクリアすることができれば、教職という仕事は、本来、とてもやりがいのある職業だ。私たち大学の教員も労働時間だけみれば、かなりブラックと言っていいかもしれない。夜中まで、論文を書いたり、学生の指導をしたり、海外とオンラインで会議をしたりしている。労働時間の観点からは相当ブラックだ。だが、ウェルビーイングは高い。なぜかと言えば、自律性があり、自己決定しているからだ。つまり、エージェンシーが発揮できていれば、自らのウェルビーイングを高めることができる。

 ブラック職場について、労働時間の観点から問題とみるのはステレオタイプと言ってもいい発想であって、エージェンシー(能動的主体性)の欠如が本質的な問題ではないかと思う。多くの学校で起きている複雑な要素が絡み合った悪循環の構造をきちんと見定め、鶏と卵の問題を好循環に変えていくために、どのような取り組みをやっているのか。もっとウェルビーイングな学校になるために、これから何をやるのか。いまこそ学校設置者や管理職を含めた教員集団のエージェンシーの発揮が求められている。

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