【給特法】学校の総人件費を確保するメカニズムが必要(鈴木寛)

【給特法】学校の総人件費を確保するメカニズムが必要(鈴木寛)
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 学校の働き方改革を巡り、教員の職務の特殊性を理由に教職調整額として給与の4%を上乗せする代わりに時間外手当を支給しないとする給特法の改廃が大きな焦点となっている。文科省が6年ぶりに実施した教員勤務実態調査の速報値が近く公表され、この制度改革の議論は一層加速するはずだ。だが、ちょっと待ってほしい。今回の制度改革の焦点は、給特法を見直して存続させるか、それとも廃止するかの選択ではないのではないか。一番重要なのは、教員の勤務時間に見合った報酬が支払われるよう人件費総額を十分に確保するメカニズムを制度の中にビルトインすることだ、と私は考えている。例えば、国家公務員に対する人事院勧告制度などを参考にして、教員の勤務実態に合わせた総人件費を確保するために、財政当局が重く受け止め、義務教育費国庫負担金に加算していくような仕組みを組み込んでいくことが今回の制度改革の核心になるのではないか。こうした制度のメカニズムが確保されてこそ、教員の長時間勤務を改善した上で、もし一定の時間外勤務が生じたときにはその対価が担保されることになる。今の議論では、この重要なところが抜け落ちているように思えてならない。

最終課題は「学校に対する期待値コントロール」

 給特法の下で、今、学校現場に起こっていることは、一言で言えば、長時間勤務の常態化であり、それに伴う不払い残業だ。それらを是正することが学校の働き方改革であることは言うまでもない。

 まず、長時間勤務の常態化を解消するための論点を考えてみたい。例えば、答案の採点ならば何分かかるかといった業務量が分かっているから、教員自身がマネジメント力を発揮すればよい。しかし、保護者のクレーム対応は何時間かかるか分からないから困る。いわゆるモンスターペアレントのように一定程度を超えたら、クレーム対応は学級担任の仕事ではなく、副校長や教頭などの管理職とスクールロイヤーに投げるといった仕組みが必要になる。教員の仕事には、タスク量、所要時間、難易度といったものの見通しがつく仕事と見通しのつかない仕事があって、その内容に応じて、教員自身のマネジメント力なり、校長や学校としてのマネジメント力なりが問われるということになる。同時に、教員がやっている教育以外の仕事については、有料化するなり、必要な予算をつけるなりして、教員以外の人が担う仕組みを作ることも必要になる。

 この問題は、最終的には「学校に対する保護者と社会の期待値コントロール」に行き着く。平たく言えば、保護者と社会は、学校に対して、そもそも過剰な期待をしているわけで、ここをどう修正していくかが最も難しい。この学校に対する期待値をコントロールしない限り、この問題は永遠の課題であり続けることになる。

 補導された非行少年の引き取りを例に挙げれば、日本の教員はもう何十年も社会からそれをさせられてきた。これはスクールソーシャルワーカー(SSW)やスクールカウンセラー(SC)が引き取りに行ってもいいし、警察が自宅まで送り届けてもいい。そのための要員を法務省や警察庁は確保するべきだろう。新型コロナウイルス感染症の感染予防だって、本来、教員の仕事ではなく、厚労省や自治体の保健衛生部局の仕事なのではないか。

 子供に関する最後に残った仕事を全部学校や教員がやらなければならないという意味で、学校はワンストップサービスの拠点になっており、教員は教育も福祉も含めたワンストップサービスの担い手になっている。今回のコロナ禍でも、改めて、そのことが明らかになった。児童生徒に関連することは、学校で全て集中管理した方が社会コストが低いので学校はワンストップサービスになっているわけだが、結果としてそのサービスを担ってきた教員は長時間勤務が常態化してしまっている。これを解消するためには、結局、学校に対する保護者や社会の過剰な期待値をコントロールして下げてもらうか、今の期待値を維持するのであれば、ワンストップサービスに対する対価を保護者が実費で、または社会が税金で支払い、学校に関わる人員を増員するしかない。

最も重要な論点は「学校の総人件費をいかに増やすか」

 教員の超過勤務に報酬が払われていないという不払い残業の問題には、確かに給特法が大きく関わっている。給特法の改正は、不払い残業をなくすため、侵害された労働権の回復とか保障という観点からは絶対に必要だ。しかし、それは学校の働き方改革の必要条件ではあるが十分条件ではないことに留意する必要がある。

 時間外勤務の時間数に応じて残業代を支払う方法がいいのか、それとも給特法の枠組みを維持して教職調整額の増額や各種手当を設定することで時間外勤務に見合った報酬を支払う方法がいいのか。この問題は本当に難しい。

 勤務時間に対して対価が払われるのか、それとも勤務による付加価値に対価が払われるのか、これは全ての労働問題に共通の課題と言っていい。民間企業でも2種類の体系が共存している、管理職は残業代がつかないが、その代わりに管理職手当がつく。管理職になりたての時は、実質的に給料が減少することも少なくない。専門職には裁量労働制と年棒制を導入しているところも多い。民間企業では、専門性のある仕事、あるいは管理性の高い仕事をしているのか、それとも誰かの指示の下に業務作業をこなしているのかで分かれることになる。 

 そうなると、「そもそも教員の仕事とはなんだろうか」という根本的な問題が出てくる。教員は専門性の高い仕事をやり、その成果に対して報酬が支払われるのか。それとも、管理者の指示の下に言われたことをちゃんとやるような作業性の高い仕事なのか。これまでは前者だとされてきたわけだが、現行制度のもとで教員の残業に全く歯止めが利かなくなっているので、残業時間数に応じて対価を支払うという議論が浮上してきた。

 一般に、残業時間に応じて残業代を支払う制度にすると、管理職に部下の勤務時間を短縮するインセンティブが働き、調整額の増額や手当制度にすると、本人に勤務時間短縮のインセンティブが働く。

 ただ、民間企業であれば、残業時間が増えて割増賃金で残業代が増加すれば、利益率が減ってしまうので、残業時間を減らそうという強いインセンティブが管理職に働く。しかし、公教育の場合、利益率では動いていないので、残業時間に応じて残業代を支払う制度を導入しても、それによって残業時間を減らそうというインセンティブは学校管理職にはなかなか働かない。学校は、教育を必要としている子供がいる限り、児童・生徒のことを思い、学校や教員はそれに対応し続ける。だから教員への期待を減らすか、対応する教員やスタッフを追加するしか、教員の残業時間を実際に減らす方法はないのである。となると学校の総人件費をいかに増やすかが最も重要な論点となる。

 残業時間の勤務に報酬を支払うことは労働権の保障の観点から必要なことで、私も大いに支持するところだが、勤務時間に応じて残業代を支払う制度に仮に変更したとしても、予算が十分に確保されなければ、毎年度の当初予算であらかじめ計上されていた残業代を使い切ってしまえば、それ以降は残業しても財源がないので、年度後半の残業代は支払われないことになるか、あるいは、最後まで予算を残しておこうとすれば、年度前半の残業代は満額支払われないことになる。いずれにしても、今の予算制度の中では、不払い問題は根治しない。

 現在の議論は、超過勤務に対する報酬の支払い方に集中している。この議論を否定するわけではないが、この論争を劇化させ過ぎると、総人件費のパイが増えないと教員間のコンフリクト、内ゲバになる。つまり、総人件費(給料+手当+残業代)の予算額が決まっている中では、勤務時間の長い教員に残業代が多く支払われるのか、それとも専門性の高い仕事を手際よくやっている人に手当を出すのか、2種類の教員間による予算の取り合いになってしまう。

 残業代支払いの制度論に埋没し過ぎてしまうと、本質的な問題を見落としてしまうことになる。

残業代支払い方法の論争だけでは「財務省のトラップ」にはまる

 最も本質的な問題解決は、学校に関わる総人件費の予算増額である。支払い方法の制度論よりも、支払う原資を確保するための予算制度論が重要だ。教員の超過勤務実態に見合った報酬が支払われ続けるための原資確保のメカニズムの構築である。

 そもそも、給特法ができてから半世紀もの年月が経過し、教員の残業時間に対して調整額の総予算が相対的に少なくなってきてしまっていることに大きな問題がある。調整率の4%が、実態に応じて、適宜適切、引き上げの改訂が行われていれば大きな問題にはならなかった。つまり、給特法ができた当時は、教職調整額の4%を上乗せした分で実態に応じた報酬を払えていたはずなのに、それがいまでは教員の時間外勤務が大幅に増えたにも関わらず、それに応じて調整額の総予算が増える仕組みになっていなかったので、膨大な不払い残業問題が長期間放置されてきた。

 残業代の支払い方法を巡るいまの給特法の議論は「財政当局トラップ(わな)」にはまっていると、私は思っている。財政当局からみれば、今のように、給特法改廃の制度論を巡って教育界の中が割れ、内ゲバを続けてくれれば、財政当局に矢は飛んでこない。財政当局にとっては、予算総額さえ一定程度に抑え込めるのであれば、どちらの支払い方法になろうと、痛くも痒(かゆ)くもない。勤務時間が長い教員に残業代が多く支払われるのか、それとも専門性の高い仕事を手際よくやっている人に手当を出すのかは、教育界の中で決めてくれればいい。財務省にとっては予算額に影響がなければ、どちらでもいい。

 今のような制度論にのみ論点が限定された論争が続くことでいま得をしているのは、直接的には財政当局であり、政府であり、自治体であり、納税者と言うこともできる。

学校の総人件費を増やすため、中立・第三者機関の関与が必要

 なぜ教員の報酬が支払われない超過勤務が起こっているかと言えば、教員の総勤務時間に対して調整額の原資となるべき総予算が下回り続け、実質的な調整率が低下し続けてきたことに問題の本質がある。この問題を改善するためには、総予算をどう増やすかという仕組みをビルトインすることこそが大事になると思う。ここが本来、今回の給特法を巡る制度論の核心のはず。だが、その一番重要なところがいまの議論では抜け落ちてしまっている。

 具体的には、例えば、労働権が制約されている一般国家公務員の給与水準や超過勤務改善などについては、内閣から独立した中立・第三者機関である人事院が毎年人事院勧告を出しており、財政当局としてもこれを重く受け止めて一般公務員の給与などを決めている。教員は地方公務員なので地方公共団体人事委員会の所管にはなるが、教員については義務教育費国庫負担制度があり、国がその給与の3分の1を支出することによって教員の給与や超過勤務に対する報酬の水準を事実上決めている。にもかかわらず、義務教育費国庫負担金の内容が、予算獲得に非力な文科省と査定権を持つ財務省との不平等な関係下での予算折衝のみによって決まっている。つまり、中立・第三者機関の関与なく決まっていることが問題なのである。要するに、人事院または都道府県の人事委員会が共同して、何らかの勧告や意見のようなものを導入し、教員の総勤務時間の実態に応じた調整率を定期的に調査・勧告し、財政当局もそれに事実上拘束されるような仕組みを予算編成過程に盛り込むための議論こそが必要である。

 導入当初は教員の実質報酬を引き上げるための制度であった給特法が、途中から、残業代のキャップをかけることを正当化するための制度に変容してしまった中で、財務省と文科省による予算折衝に任せておいたことが、これほど巨額で慢性的な教員の不払い残業につながってしまったという経緯を踏まえて、ここは中立・第三者機関である人事院や人事委員会などに登場してもらうべきだと思う。

 永続的に教員の勤務実態に応じた報酬が実質的に支払われるための人件費総予算額を確保するための枠組みを作ることをまずしっかり議論した上で、正当に確保されたパイを、どんなタイプの教員に優先的に配分していくかの議論を詰めていけばいい。

 教育界は、議論がタコツボ化し、細かい技術的な制度論の違いを巡って内ゲバ化し、関係者が翻弄(ほんろう)され、そのうちに改革の本旨を忘れ、大局的視野を失った議論に陥るという愚を繰り返してきた。今回は、そうした過去の反省をしっかりして、学校の実質的な働き方改革がなされて教員のウェルビーイングが改善され、それを通じて、児童・生徒たちのウェルビーイングが真に改善されることを強く期待している。

 (編集=佐野領・教育新聞編集委員)

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