新採教員「3カ月目の危機」 援助要請行動が大切(喜名朝博)

新採教員「3カ月目の危機」 援助要請行動が大切(喜名朝博)
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力不足を感じる新採教員の3カ月目

 「3日、3月、3年」という言葉がある。3日続けば、3カ月はがんばれる。3カ月続けば3年は続く。3年やり通せば一生のものとなる、と解釈される。修行や芸事に通じる言葉であるが、逆に考えれば、「3日目、3カ月目、3年目」に危機が訪れるということでもある。

 6月、新規採用教員がその3カ月目を迎える。教職に就いた本学科の卒業生たちも、子どもたちとの関わりが楽しいと報告してくれる。一方で、特定の子どもや保護者の対応に苦労していると漏らす。十分に準備ができないまま始まった4月から、日々の学習指導と学級経営に悩みながら走り続け、いよいよ3カ月目に入る。

 この間、子どもたちや先輩教員、保護者から「先生」と呼ばれることにも慣れ、教員としての自覚は外発的に形成されていく。しかし、実際には自らの力不足を感じ、内発的な自覚は追い付いてこない。このギャップを自らの成長と学びへの動機付けとする教員もいれば、自信をなくしていく教員もいる。事実、既に退職を考えている新規採用教員も出てきている。昨年度、東京都では108人、採用者数の4.4%の教員が1年以内に辞めている。

援助要請行動のハードルが高い人もいる

 教員としての理想の姿と今の自分の姿とのギャップに気付いた時、そのギャップを埋めようと努力するか、自分にはできないと諦めるか。この差はどこから生まれるのだろうか。その一つの要因が「援助要請行動」を取れるか否かにある。援助要請行動とは、自分だけでは解決できない問題に直面したとき、その問題を解決しようと他者に援助を求めることである。「助けてほしい」「教えてほしい」と言えるか否かだが、人によってそのハードルは高く、多分に個人の能力や性格、職場環境が影響する。

 中には、周囲は「できていない」と見ているのに、自分では「できている」と思い込んでいる人がいる。いわゆる根拠のない自信を持つ人たちである。新規採用教員の中にも少なからずこのような人材が存在する。正しい自己評価ができず、自身を過大評価してしまう傾向は「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれる認知バイアスの一つである。

 自分は「できている」と思っているから、困り感もなく、援助要請行動を取る必要もない。思い込みや先入観が強く、他責傾向となるため、状況が思わしくないのは周囲に原因があると判断する。指導力不足の教員が異口同音に言うのが「自分はしっかりやっているのに、子どもたちが言うことを聞かない」という言葉である。メタ認知力の低さが原因の一つであることから、目標や成果を数値化するなどして可視化する工夫が必要となる。

不完全を自覚できることが重要

 「分からないことは何でも聞いて」と先輩教員は言ってくれる。しかし、誰もが忙しそうにしており、どのタイミングで聞いていいのか分からないし、教えてもらいたいことを言語化できない教員もいる。また、援助要請行動には、相手への期待も関係する。「この先生なら教えてくれそうだ」という安心感が援助要請行動に踏み切らせる。その意味でも、援助要請行動は、職場の心理的安全性に大きく依存する。

 援助要請行動の阻害要因の一つにその人のプライドがある。恥ずかしくて聞けない、こんなことを聞いたら能力が低いと思われる、といった思考がブレーキとなる。皮肉にもそれは、周囲から「先生」と呼ばれることで強くなっていく。先生は完璧でなければという思い込みが、自らを追い詰めていく。

 完全な先生、完全な人間などいない。不完全を自覚できることが重要であり、だからこそ学び続ける必要があることを伝えていきたい。子どもたちとともに成長していくのが教員であるとすれば、学び続けることが教員のプライドとなる。

援助要請行動は、子どもたちにも必要だ

 援助要請行動が必要なのは新規採用教員に限ったことではない。子どもたちにこそ必要な生きるすべである。「教えてほしい」「助けてほしい」と躊躇(ちゅうちょ)なく言えることが、いじめや不登校などの早期発見や確かな学力の育成につながる。しかし、新規採用教員のように、言語化できない子どもたちもいる。声なき声に耳を傾けるのが教員の仕事であり、これこそが児童理解の本質である。

 全ての子どもたちが進級して3カ月目の節目を迎える。同調圧力はないか、子どもたちや教職員が援助要請行動を取りやすい学校になっているか、という視点で学校に流れる空気を感じ取り、学校経営を見直していきたい。

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