教員定数の根拠を見直し、持ちコマ時数を全員20時間に(喜名朝博)

教員定数の根拠を見直し、持ちコマ時数を全員20時間に(喜名朝博)
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実態を反映していない教職調整額は「国の不作為」

 本紙5月11日付記事「学校のマンパワー拡充『義務教育のコストが変わる』萩生田氏」では、自民党の萩生田光一政調会長によって、小学校高学年の教員一人当たりの授業持ちコマ時数を20時間程度に、給特法の教職調整額を少なくとも10%以上に増額という具体的な数字が示された。学校の現状打開に一筋の光明が見えた気がした。ただ、教職調整額については、これまでも指摘されてきた通り、1966年に実施された教員勤務状況調査を基に算出され、当時の時間外勤務の平均8時間の対価として4%と定められたものである。大半の教員の時間外勤務が40時間を超える現状の実態に合わせれば、少なくとも20%の増額が必要となり、国はこれまでの不作為の責任を明らかにすべきである。

標準授業時数が増えても、定数改善は行われてこなかった

 授業の持ちコマ時数についても大きな不作為がある。77年改訂の学習指導要領から次の89年の改訂における小学4年生以上の年間標準授業時数は、現行と同じ1015時間であった。98年の改訂で945時間となるが、この学習指導要領が全面実施となる2002年度は学校週5日制の完全実施の年であり、週5日を前提で定められた時数であった。しかし、次の08年の改訂で週1時間増えて980時間に、さらに17年の改訂ではさらに週1時間増えて1015時間に戻っている。これまで、週5.5日で行っていた授業を5日に詰め込んだのだ。

 当然、教員の定数改善が行われるべきだが、学校の努力に任せる結果となった。さらに、授業時数を確保するために、長期休業期間の短縮や土曜授業の実施が求められるようになった。授業時数が増えているのに、教員を増員できなかったことは、文科省や財務省の大きな不作為である。もちろんこの間、小学校の35人学級の実現や加配定数の改善、小学校高学年における教科担任制の導入などがあったが、教員一人当たりの持ちコマ時数の削減効果はほとんど享受できていない。

教育行政のぶれが学校を疲弊させている

 02年の学校5日制が始まる前には、学力低下を懸念する声が高まり、その対応として、文科省による「学びのすすめ」が出された。学校は「基礎学力」を「補習・家庭学習」、「学力向上」を「授業時数増」と捉え、さまざまに対応してきた。そして、学校における働き方改革が叫ばれるようになると、今度は標準授業時数を大きく上回るような教育課程編成は必要ないというニュアンスで語り始めた。

 このような文科省の教育行政の「ぶれ」が学校を疲弊させているのだ。同様に、ビルド&ビルドの学習指導要領も学校を混乱させていることを自覚し、次期改訂前に、学習指導要領そのものの在り方や改訂の手続きについて議論すべきである。そして、一部改訂をすぐにでも断行し、全学年で教員一人当たりの持ちコマ時数の2時間削減を図るべきである。

義務標準法を改正し、新たな教員定数の根拠を作るべきだ

 さらに、萩生田政調会長が語るような「高学年の持ちコマ時数を20時間程度に」ではなく、全ての教員の持ちコマ時数の上限を20時間とするよう、義務標準法(公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律)を改正し、新たな教員定数の根拠を作るべきである。小手先の改革は対症療法であって、改革とは言わない。根本治癒を目指さないから同じことが繰り返されるのだ。

 今の学校では、教員不足はもとより、さまざまな子どもたちや教員のサポートで貴重な空き時間を奪われている。それでも、週20コマであれば、空き時間を調整して打ち合わせや会議を設定することができる。何より、子どもたちと向き合う精神的余裕が生まれ、子どもたちの気持ちも安定するはずだ。学校における働き方改革の本旨は「子どもたちと向き合う時間の確保」である。持ちコマ時数の削減こそ、学校における働き方改革のためにまず実現すべきことである。

学級担任制はリスクになることも

 登校から下校まで、小学校は学習指導も生徒指導も学級担任が引き受ける。特に、低学年の子どもたちにとっては、それが最善だと思われてきた。学年進行とともに専科の指導を受けることになるが、それでも基本は学級担任が子どもたちを丸ごと引き受ける。

 しかし、子どもたちや保護者の変化、学級担任の力量などの問題もあり、複数担任制や担任を定めず、学年全体で指導に当たるという学校も出てきた。多様性と包摂性の時代にあって、学級担任制はもはやリスクになることもある。子どもたちにとっても、多くの大人に関わってもらった方が安心である。週20コマが実現すれば、担当する教員も増え、複数担任制や無学級制も容易に実現できる。

 このような理想を語ると、「教員不足の時代にあって実現不可能だ」「教育の質の低下を招く」と指摘される。できない理由を探すのは行政の常とう手段であるが、教員の働き方だけでなく、学校の存在意義や学習指導要領の在り方を問い直すことで、学校教育の魅力が光りだし、若者が目を向けるようになるのだ。

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