本紙電子版6月30日付で報じられているように、文科省は教職大学院を置く大学宛に、教職大学院の学生が学校現場での勤務をもって実習を行わせることを推奨する通知を出した。
この通知では、教職大学院生に課されている実習に関して、次の2つのことが述べられている。
1.現職教員の大学院生が行う実習は、予め確保された連携協力校でなく、当該大学院生の勤務校で行ってよい。※
2.学部新卒学生等の大学院生が行う実習は、附属学校等において非常勤講師等として勤務し、その勤務の中で行ってよい。
※当初の記事では、1について、現職教員の大学院生が勤務校で実習を行う場合に当該大学院生を非常勤講師とすると記されていたが、この点は誤りで、後に訂正された。
本紙記事によれば、文科省の担当者は「教員不足の中、教職大学院には、学生が学びを深めると同時に、学校現場の戦力になることも考えてほしい」と述べており、今回の通知が大学院生を「教員不足に苦しむ学校現場の戦力」として期待するものと受け取られた。
こうした報道を受け、ネット上では「教員不足の根本的な解決にはなりませんね」「学徒動員」といった否定的なコメントが多く出されている。学修が目的のはずの大学院生を学校現場に動員するのは筋違いであるし、教員不足の抜本的解決につながるはずもない。否定的な意見が出るのは当然である。
だが、この話、何かおかしくはないだろうか。教員不足解消のために大学院に派遣した教員に授業をさせたいほど困っているなら、大学院に派遣する数を減らすしかないはずである。
まず、教職大学院の制度について確認しておこう。教職大学院は専門性の高い教員を養成することを目的とした専門職大学院であり、2008年度から設置が始まっている。修了に必要な単位数は45単位以上であり、うち10単位以上の学校での実習が義務化されている。ただし、一定の教職経験を有することにより、実習は10単位を上限に免除される(教職経験が一定以上の者には2~5単位程度の実習が義務付けられている場合が多いようである)。教職大学院に在籍する学生には、次のように多様な立場の者がいる。
A. 現職教員(基本的に実習一部免除)
A-1. 教育委員会等から教職大学院に派遣されている教員(派遣期間中は勤務が免除される)
A-2. 学校で勤務しながら、夜間や土曜日を中心に教職大学院で学ぶ教員
A-3. 学校を休職して教職大学院で学ぶ教員
B. 学部新卒者等(実習免除なし)
C. 教育行政職員等(経験に応じて実習一部免除あり)
実習は基本的に、あらかじめ定められた連携協力校で行うこととなっている。このため、大学や教育委員会の考え方によっては、現職教員(A)の実習は勤務校とは異なる連携協力校で行わなければならないとされたり、学部新卒者等(B)がたとえ学校で非常勤講師を務めていても、勤務とは別に連携協力校において無報酬で行わなければならないとされたりすることがありうる。
以上の背景を踏まえて、記事の内容と文科省による通知を対照すると、記事の中での文科省担当者の談話が、誤解を招く形で紹介されているように思われる。すなわち、通知には大学院生を現場の「戦力」にするという話はないのに、談話では「教員不足の中」で教職大学院の学生に「学校現場の戦力になることも考えてほしい」とされており、通知の内容と談話との間にギャップが見られる。
文科省による通知の内容だけを見れば、必ずしも「学徒動員」などと批判されるようなものとは言えない。現職教員(A)が実習を勤務校で行うこととすれば、事情をよく理解した上で課題意識を持って実習を行いやすくなるだろうし、特に勤務しながら大学院に通う者(A-2)にとっては、勤務を休まずに実習を行えることとなるので好都合であろう。学部新卒者等(B)についても、学校で非常勤講師として勤務することを実習にできれば、校内の情報を専任の教員から共有してもらいつつ学校の業務を学べるので実習が有意義なものとなることが期待できるし、非常勤講師として収入が得られることで経済的にも助かるであろう。
文科省担当者としても、教職大学院で学ぶ学生が、将来、学校現場に貢献してほしいという期待を述べたかったのかもしれない。本紙電子版7月28日付記事で報じられている永岡桂子文科相の談話でも、「本通知は教員配置の未充足に対応することを主眼として発出したものではない」とされている。しかし、「教員不足」や「戦力」といった語が使われたために、大学院生までをも動員して、大変な現場で戦わせなければならないという印象を与えてしまったと考えられる。
こうした誤解は、現場の大変さの印象が強くなって教職を忌避する傾向を強化させかねない上に、通知の内容への反発から大学院生の勤務を実習とする取り組みにブレーキをかける可能性もある。
特に、「戦力」などという戦争に関する比喩表現には注意が必要である。こうした比喩表現は、国家権力が人々を単なるコマと考え、大変な戦場での犠牲を強いる印象を与える可能性が高い。こうした表現によって、国家権力の傲慢(ごうまん)さや、人々を大切にしない姿勢が、強調されかねない。
教員不足を巡る話題には注目が集まりやすい。だからこそ、無用な混乱が生じないよう、丁寧な情報発信が求められる。