【公教育の崩壊と再構築】米国の公教育はなぜ崩壊したのか?

【公教育の崩壊と再構築】米国の公教育はなぜ崩壊したのか?
【協賛企画】
広 告

教育現場で起きていることを通して、社会の在り方そのものを問い直す行為が必要だ――。いま日本に求められる教育改革について、新進気鋭の教育研究者として注目される鈴木大裕氏はそう力強く語る。鈴木氏は日本の教育を変えるため、米国で教育改革について学んできた。しかし、最初は大胆で輝かしく映っていた米国の教育改革も、学べば学ぶほど、新自由主義社会にのみ込まれ経済に服従する「闇」の部分が見えてきたという。米国では何が起こっているのか。インタビューの第1回は、鈴木氏が米国で体感した「公教育の崩壊」について聞いた。(全3回)

教育はお金を出せば買える商品に

「米国では教員が労働運動を作り、社会のあり方そのものを問い直す動きが出てきている」と鈴木氏
「米国では教員が労働運動を作り、社会のあり方そのものを問い直す動きが出てきている」と鈴木氏
――米国の教育改革について学ばれて以後、新自由主義の社会における教育「改革」の危うさについて、警鐘を鳴らしていらっしゃいますね。

千葉市で教員をしながら教員の仕事に魅力を感じる一方で、進まない日本の教育改革に危機感を持つようになりました。そして、米国の大胆な教育改革に憧れて再渡米し、大学院の博士課程で教育改革について学び始めました。

しかし、学べば学ぶほど、テストの点数と市場原理に基づく公立学校の閉鎖や、それに伴う教員の一斉解雇、まるで塾のような公設民営学校(チャータースクール)の拡大、義務教育における学校や教員の序列化など、さまざまな闇の部分が見えてきたのです。

世の中のあらゆる出来事を経済的な観点からのみ捉えようとする「新自由主義の社会」が、米国では公教育にも大きな影響を及ぼしています。今や教育は「個人に対する付加価値的な投資」へと形を変え、お金を出せば買える商品となっているのです。

そして、子供の学力は「国のグローバル市場における競争力」、公教育は「労働力を育てるための教育」へと姿を変えます。

また、「新自由主義の社会」では、人間関係までもが経済的な関係性に変わっていきます。学校と教員は教育というサービスを提供するサービス事業者に、子供と保護者はそのサービスを税金(私立の場合は授業料)で買うカスタマーとなります。

――この流れはどこから来ているのでしょうか。

近いところで言えば、2001年にジョージ・W・ブッシュ政権下で制定された「落ちこぼれ防止法」の影響は大きいでしょう。

米国では1965年、ジョンソン大統領が「初等中等教育法」によって教育の平等保障に乗り出しました。国がいかに貧困層の教育に投資をして、富裕層と貧困層にある「教育機会の格差」を解消するかが課題とされました。

しかし、36年後の改定で「落ちこぼれ防止法」として生まれ変わった際には、軸となる教育の平等保障の概念が180度変えられていました。教育格差というのは「教育機会の格差」ではなく、貧困層と富裕層の「学習到達度の格差」だと再定義され、政府がいかに教育現場の尻をたたいて貧困層の学力を上げるかという問題にすり替えられました。

つまり、「政府の投資責任」だった問題が、「教育現場の結果責任」へとすり替えられたのです。そうして学力標準テストと結果責任を軸にした教育の徹底管理が始まったのです。

授業も生徒指導さえもマニュアル化

学校選択制が導入されているNYであえて選ばないことを選択し、自身の子供たちは人気のない貧困地域にある小学校に通ったという(鈴木氏提供)
学校選択制が導入されているNYであえて選ばないことを選択し、自身の子供たちは人気のない貧困地域にある小学校に通ったという(鈴木氏提供)
――具体的に、米国の公教育でどのようなことが起きていったのでしょうか。

学力標準テストで点数が取れない学校は、次々と廃校にされました。それがどういう学校かというと、貧困地域の学校です。

廃校になった学校は、税金を使って民間に委託されるようになり、公設民営学校が次々と作られていきました。そういう公設民営学校は、朝7時登校で、夕方6時下校というようなスパルタなスケジュールを取る学校も多く、テスト対策に特化することで効率良く成績を上げていきました。

同時に、模擬試験が急増し、国だけの学力調査だけではなく、州独自のテスト、市独自のテストもやるようになっていきました。

米国では教育産業と政府の癒着が激しく、企業側にしてみればテストをすればするほど、もうかるわけです。そうして子供のためのはずの教育予算が、どんどん民間企業へと流れていったのです。

そんな中、各学校は生き残りをかけて、学校のブランディングをしなくてはいけない時代になっていきます。

例えば書店では、学力標準テストの点数や進路で評価された、地域の公立小中学校のランキング本が売られます。学力標準テストの結果が学校別だけでなく、そのうち教員別にも成績が開示できるようになり、ロサンゼルスタイムズやNYタイムズでは教員ランキングまでが紙面で発表されました。

そして教員にとっては、経済的にしんどい地域の学校で教えることがリスクになっていきました。なぜかというと、教育的ニーズが高い子たちが多ければ、自分の給料が下げられるかもしれないし、その学校自体が廃校になるかもしれないからです。すると都市部の貧困地域で教えていた教員たちは、どんどん郊外へ逃げて行きました。

――それでは貧困地域の教員がいなくなりますが、政府はどのような対策をしたのでしょうか。

政府は教員免許の改革をして、非正規免許でも教えられるようにしました。結果として、最も教育的ニーズの高い子供たちを、知識も経験も浅い新米教員が教えるという不幸な状況に陥っていったのです。

そのような学校で進められたのが授業のマニュアル化です。要はファストフード店と同じです。どこに行ってもある程度のサービスが得られるように、授業を画一化・スタンダード化し、どんなに経験も知識もない教員でも、学力標準テストである程度の点数が取れるようにしていきました。

さらには、新米教員が教育的ニーズの高い子供たちを相手にするわけですから、生徒指導もできるわけがありません。生徒指導さえもマニュアル化し、ちょっとでも問題行動を起こす子供はどんどん排除していくというゼロトレランスの導入も拡大していきました。そしてゼロトレランスの名目で、扱いにくい子や低学力の子さえもが排除されるようになったのです。

要は、ベルトコンベヤー式で商品が流れてきて、規格に合わないもの、形の悪いものは次々と排除していく。そんな教育が、米国では合法的に行われてきたのです。

米国の教員が起こした反対運動

「米国で起きた公教育崩壊の波は確実に日本にも来ている」と警鐘を鳴らす
「米国で起きた公教育崩壊の波は確実に日本にも来ている」と警鐘を鳴らす
――そうなると、もはや教員はいらなくなってしまうのではないでしょうか。

例えば、米国で最も急成長している公設民営学校のロケットシップ・パブリックスクールでは、子供たちが仕切られた机に座り、ヘッドホンをしてパソコンに向かいます。ヘッドホン姿の子供がずらりと並ぶその光景はコールセンターのようだと、やゆされました。

この学校では正規教員を減らして、時給15ドルの非正規免許のインストラクターが130人の生徒を「監督」します。インストラクターは教えるのではなく、コンピューターに不具合があったら対応し、寝ている生徒がいれば起こせばそれで良いのです。これによって、年間5000万円の経費を削減できるそうです。それはそうですよね、「教員」がいらないわけですから。

つまり、「学力標準テスト」と「結果責任」という枠組みの中で学校や教員が結果を出そうとすればするほど、実は「教員はいらなくなる」のです。しかし、その現実に対して、米国ではさまざまな反対運動が起こっていきました。

その一つは、多くのベテラン教員が早期退職をし始めたことです。しかも、ただ辞めるのではなく、なぜ辞めるのかをネットなどで公開し始めたのです。

あるニューヨーク州の教員は、自分の辞表を公開書簡という形で教育長に宛てて書きました。前半には自分がいかに教師という仕事を愛し、素晴らしい生徒たちに出会ってきたかが、後半には今の「教育」は教育と言えるのか、子供たちのためになっているのかと書かれ、最後に一言、こう残しています。

「この手紙を書いていて一つ気付いたことがある。それは私が教職を去るのではなく、教師という仕事が私を去っていったんだ」

これが全米の教育関係者の共感を呼び、最終的にはワシントンポスト紙にまで掲載されました。

私は、米国の公教育が全てダメだと言っているわけではありません。もちろん素晴らしい教育をしている学校もたくさんあります。

ただ一方で、例えば都市部の貧困地域に行けば、教育の貧弱化と学校の「塾化」が進み、テスト対策しか行っていないような学校もある。さらには義務教育の中で「当たり」と「はずれ」が存在するのが普通になってしまった。何をもって「公教育」というのかというところが崩壊してきたんです。

いま米国では「公」と「教育」という、民主主義社会の根幹を成す2つの概念そのものが崩壊を起こしています。そしてその波は、確実に日本にも押し寄せてきているのです。

(先を生きる取材班)

【プロフィール】

鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者。1973年、神奈川県生まれ。16歳で米ニューハンプシャー州の全寮制高校に留学し、そこで受けた教育に衝撃を受け、日本の教育改革を志す。97年にコールゲート大学教育学部卒、99年にスタンフォード大学教育大学院修了(教育学修士)。帰国後、通信教育にて教員免許を取得し、02年から6年半、千葉市の公立中学校で英語科教諭として勤務。08年に再び米国に渡り、フルブライト奨学生としてコロンビア大学大学院博士課程に入学。16年より高知県土佐郡土佐町に移住、19年より土佐町議員。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)など。

広 告
広 告