【地域で育つ、地域を育てる】 「教育=教員」ではない

【地域で育つ、地域を育てる】 「教育=教員」ではない
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 北海道浦幌町の事業「うらほろスタイル」で、高校生の活動をサポートしている古賀詠風(えいふう)さん。元々は高校時代の恩師の影響もあって教員を目指していたが、その後の「カタリバ」などでの活動を通じ、「人の成長に関わる仕事=学校・教員」という固定観念が崩れていったという。インタビューの2回目では自身の教育観の変容と、浦幌町での活動に至るまでの経緯を聞いた。(全3回)

自分も人の成長に関わる存在になりたい

――大学では当初は理系志望でしたが、その後は教育学部に移って、教員を目指されました。その理由は何だったのでしょうか。

 高校時代の担任の先生が、先生としてというより一個人として僕と向き合ってくれたんです。ただ教えるという姿勢ではなく、自分の頭で考えて選択をするということの大切さを理解していて、生徒と一緒にそれを楽しもうとする方でした。

 僕はそれまでそういう先生に会ったことがなくて、その先生の影響もあっていろいろな道が開けてきたようなところがありました。当初は専門学校志望でしたが、大学の理系に進もうと思ったのも、その先生の影響が大きかったように思います。

 大学に進学後は、その先生がいたから自分もいろいろなことを考えて進路選択できたことに気付きました。そして、「自分自身もそういう存在になりたい」「先生になりたい」と考えるようになりました。

 当時の僕は、そういった存在になれる職業は学校教員だけだと思っていました。でも、大学でさまざまな経験を積む中で、その固定観念は崩れていきました。人の成長に関わるような仕事は、学校教員以外にもあるということに気付いたんです。

 私が通っていた北海道大学の教育学部は、教員養成がメインというより、社会教育から教育行政、心理、法律、歴史などに至るまで幅広く学べる学部でした。そうした学びを通じ、学校教育だけが教育だと思っていた自分の考えが、崩れていった部分があります。

 大学1年時にはすでに教育学部へ移ろうと考えていましたが、元の学部に在籍していたため、教育に関わることができない状況でした。そこで、大学の外で教育と関わるような機会がないかと調べ、「カタリバ北海道」へ参加することにしました。そこでの活動を通しても「教育=教員」ではないという認識に変わっていったところもあると思います。

「カタリバ」で感じた「ナナメの関係」の重要性

――学外での活動場所を探した中で、カタリバを選んだ理由は何だったのでしょうか。

 僕自身が田舎の高校で育ったこともあり、当時は将来の選択肢が少ないことに違和感を覚えていました。そういう思いもあって、各地の高校に出前授業に行くというところに引かれた部分はあります。

――具体的に、どんな活動をされていたのでしょうか。

浦幌町での活動に参加する古賀さん
浦幌町での活動に参加する古賀さん

 北海道内の各地の高校を訪ね、2時間ほどの授業の中で、生徒たちと対話的な活動を行っていました。2年間ぐらいはずっとそうした活動をメインに行っていて、私の出身地の遠軽町を含め、道内の多くの高校でいろいろな高校生と話をしていました。

 途中からは運営側に回り、活動に参加する大学生の研修担当になって、活動をサポートするようにもなりました。カタリバの活動を通して、「縦の関係」でも「横の関係」でもない、高校生と大学生という「ナナメの関係」が重要だという認識が深まっていきました。また、地域に「ナナメの関係」が不足していることも感じていました。

 そうした活動の中で、印象に残っている出来事があります。僕が初めて高校に行った際に話をした生徒が退学したという情報を、偶然聞いたのです。当時の自分にとっては衝撃的でした。

 カタリバは、高校生の内発的動機付けを高めるなど、大きな役割を果たしているとは思います。一方で、「もっと継続的に同じ高校生と関わっていくことができないだろうか」「子どもたち同士が育み、育まれることをサポートできないだろうか」などと考えるようにもなりました。その時に感じたことが、今につながっているのかもしれませんね。

「うらほろスタイル」と出合い驚く

――今の活動には、どのようにつながったのですか。

浦幌町の地域おこし協力隊の仲間と共に(後列右から2人目が古賀さん)
浦幌町の地域おこし協力隊の仲間と共に(後列右から2人目が古賀さん)

 浦幌町との出合いも、元はと言えばカタリバでの活動がきっかけだったのです。カタリバの活動で十勝地方を訪れた時、そこに偶然、浦幌町の地域おこし協力隊の方が視察に来ていらしたのです。それが浦幌町との最初の出合いでした。「うらほろ」という地名を知ったのも、その時が初めてでした。

 その方にいろいろと話を聞く中で、とても面白い地域のように感じました。当時の僕は自分の地元にネガティブな印象を持っていましたが、浦幌町はそれと真逆で、地元の若者や子どもたちが地域に支えられている様子が伝わってきました。「ああ、すてきな町だな」と思いましたね。その取り組みこそが「うらほろスタイル」だったんです。

 それをきっかけに、浦幌町に何度も行くようになりました。大学3年時には約2週間、浦幌の地元企業にインターン生として受け入れてもらったりもしました。そうして浦幌町との関わりが、どんどん深くなっていきました。

――どんなところに魅力を感じたのでしょう。

子どもたちの提案で商品化された化粧品
子どもたちの提案で商品化された化粧品

 例えば、浦幌町では地元で栽培した花を使った化粧品を製造・販売しています。この商品は、子どもたちが授業の中で提案したことを受けて、浦幌の方々が力を合わせて作ったものです。パッケージなどのデザインも、町の人や子どもたちが描いた絵が採用されています。

 「新しいビジネスをつくって、雇用を増やしていく。そうして、進学などで町外に出た子どもたちが戻ってきたいと思ったときに、この町で働けるようにしたい」といったことを浦幌町の人は語っていました。

 狭義の教育に含まれないであろう地域の人たちが、子どもたちにそうした思いを寄せ、具体的にサポートしている姿を見たり聞いたりして、「この町で学んでみたい。一緒に働いてみたい」と思いました。そして、ちょうど大学を卒業するタイミングで浦幌町が地域おこし協力隊を募集していたので、そこに応募しました。

【プロフィール】

古賀詠風(こが・えいふう) 1996年、北海道遠軽町生まれ。北海道大学教育学部で地方での教育や社会教育を学びながら、「カタリバ」で高校生への授業運営と大学生への研修を担当。大学卒業後、2019年より北海道十勝の浦幌町地域おこし協力隊うらほろスタイル担当として移住。町の中高生が行う地域を舞台とした活動団体「浦幌部」のサポートや社会教育の場づくりなどを行う。3年の任期を終え、事業を連携して行っていた「一般社団法人十勝うらほろ樂舎」に今年4月より入社。個人事業主としても、北海道江別市の大学生の活動を支援するプロジェクトに参加。

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