【対話的な学びへの視座】 仮想現実の教育的可能性

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 物事の本質を捉え、言語化して世に問うのが哲学者の仕事だとすれば、その対象は現実社会のものにとどまらない。今、哲学者・山野弘樹さんが力を注ぐ仕事の一つが「VTuber(ブイチューバ―)の哲学」だ。教育の世界にもVR(仮想現実)技術が応用されようとしているが、VTuberという新しい文化を学問することにどのような意味があるのか。インタビューの最終回では、「VTuberの哲学」やVRの教育的可能性について聞いた。(全3回)

哲学研究者をも魅了する「VTuber文化」

――山野さんはツイッターなどで積極的にVTuberに関する発信をし、論文も発表しています。そもそもVTuberとは、どのようなものなのでしょうか。

 非常に簡略化して言えば、VTuberとは「バーチャルな姿で活動を行う存在者」を指します。最近だと「AIのVTuber」もいるので、人間には限定されません。例えば、(「ホロライブプロダクション」に所属する)「ときのそら」さんや、(「にじさんじ」に所属する)「月ノ美兎(つきの みと)」さんなどがよく知られています。有名な方になると、チャンネル登録者数はなんと100万~200万人にまで上ります。

VTuber専門誌で連載も手掛ける山野さん
VTuber専門誌で連載も手掛ける山野さん

 初めてVTuberを知ったのは昨年のことでした。YouTubeのお勧め動画に出てきて、何気なくクリックして開いたのがVTuberの兎田(うさだ)ぺこらさんと、白銀(しろがね)ノエルさんのライブ配信だったのです。2人ともトークや歌が上手だったり、番組の企画力があったりと非常に魅力的で、すぐにチャンネル登録しました。

――どんな人たちが見ているのでしょうか。

 最も多いのは、おそらく20代半ばから後半の人たちだと思います。30代、40代の方も見ているし、最近だと中高生も見ていて、視聴者の幅は広がってきています。

 というのも、VTuber文化の源流は「ニコニコ動画文化」や「ゲーム実況文化」などにあり、それらの文化に(多かれ少なかれ)触れながら育ったのが私を含む今の20代だからです。ニコニコ動画では、初音ミクに代表される音楽ソフトウェア「ボーカロイド」を使って作品を発表するなど、「ボカロ文化」が2010年代に花開きました。あの米津玄師さんも、メジャーデビューのきっかけはボーカロイドで作った曲でした。

 同時期に、動画の配信者(実況者)がビデオゲームをプレーしながら解説する「ゲーム実況」という文化も盛んになりました。視聴者は自分がゲームをするのではなく、配信者がホラーゲームで絶叫したり、感動系ゲームで号泣したりする姿などを他の視聴者と共に楽しむわけです。こうした文化が合流したところに、VTuberが登場したと言えます。

未知のものを哲学で整理する

――山野さんがVTuberを研究対象にしようと思ったのはなぜでしょうか。

 VTuber文化がこれまでの芸術作品の鑑賞経験とは全く違って、常に「なぜ?」という問いを喚起する対象だからです。

 アニメの場合は、単に映像が流れてくるだけなのでインタラクティブ性はありません。一方でVTuberは、確かに見た目はアニメのキャラクターのようですが、VTuberのライブ配信中に視聴者がコメントを書き込むと、それをリアルタイムで読み上げてくれたりして交流ができるという意味で、アニメを鑑賞する体験とは全く異なります。

 確かに、「それなら、顔出しした本人と交流する方が楽しいのではないか」と言う人もいるかもしれません。ですが、VTuberは「誰か」(通俗的に「中の人」と呼ばれる存在)の仮の姿が映っているというわけではなく、バーチャルな姿を獲得することによって、初めて世界に生まれる存在なのです。その証左の一つとして、VTuberが声優を担当した場合、VTuberの名前(例えば「シスター・クレア」)自体がクレジットされるのです。「それなら、漫画家のペンネームや芸名とはどう違うのか」などと考えていくと、いろいろな要素が複雑に関わり出し、次第にさまざまな論点やトピックが浮上することになります。

哲学は「問い」を出して状況や情報を整理できると話す
哲学は「問い」を出して状況や情報を整理できると話す

 そうした場合に、哲学は「問い」を出して状況や情報を整理することができます。例えば、「VTuberのVはバーチャル。ではバーチャルをどう理解するか」などと問いを立て、私が「こう考えられるんじゃないか」という主張を展開します。するとVTuberに関心のある人が「ああ、そうかも」と思い、「じゃあ、これはこういうふうに考えたらどうだろう」「この点はどうなんだろう」というふうに、自ら問いを立てる。そういう知的文化の土壌が少しずつ形成されていけば…と期待しています。

 多くの人が注目するVTuber文化を学問領域に引き上げ、哲学的思考を実演して見せることができれば、「VTuber文化」が哲学を知る入り口になります。逆にもともと哲学好きな人が「VTuber文化」に関心を持ってくれるかもしれません。

メタバース空間の対話の方が健全かもしれない

――仮想現実、いわゆるVRを利用して教育活動を行う学校が登場しています。VTuber研究の視点から見て、どのような可能性を感じますか。

 最近、周辺をにぎわせているメタバースですね。可能性は大いにあると思っています。メタバースは通俗的に仮想空間と訳されますが、「バーチャル」という言葉に「ほぼ現実(Almost real)」という意味合いがあるくらいには、実感的にはリアルと変わりません。生徒はコンピューター上の分身「アバター」を使い、「身体的な変容」を伴う一種の「コスプレ」のようなことを行っていますが、それでもメタバースには「自分」として存在している。そこで行われるコミュニケーションは、リアルとほぼ同じなのです。

 VTuberと比較すれば分かります。VTuberは、基本的には生身の人間がモーションキャプチャーなどを使ってキャラクターCGを表示するものの、多くの場合は自分の分身とは捉えていません。だから正確にはアバターとは言えない。それにVTuberの外見や人物設定にはフィクショナルな要素が入り込んでいる場合もあり、「私はコヨーテです!」と言って耳が動いたりします。そういう存在の在り方は、アバターとは異なるVTuber固有のものです。

 話を戻すと、現実とメタバース上の自己同一性が保持されているという点で、子どもがアバター姿で学ぶことに、特におかしいところはないし、これからの時代は普通に出てくるのではないでしょうか。

 むしろ物理的な制約が一切なくなるので、毎回異なるメンバーでのグループディスカッションがしやすくなると思います。椅子や机を移動させたり並べたりする作業も省略できます。ゴーグルをかぶればすぐに共通のスペースに集まれますし、いろいろな場所に住んでいる人たちが参加できるようになる。そうしたら、対話における「親密さのワナ」も打ち消されやすくなり、より健全な対話が生まれる可能性も増えます。

 私は「VTuber文化」を専門としているので、厳密に言えば「メタバース文化」については門外漢なのですが、教育への応用の可能性は大きいと思います。

――教員がアバター姿で教えるところから発展して、今後はVTuber教員も出てくるのでしょうか。

哲学と文化の橋渡しをしたいと語る
哲学と文化の橋渡しをしたいと語る

 すでに学術系VTuberと呼ばれる人たちが数多くいるのですが、現状はまだ自分の素顔を隠すためにCG画像を使っているアバター寄りの人が多いように思います。そうではなく、「自分は魔界のヴァンパイアで、地球に学びに来ました」みたいにフィクションの設定を貫いている人は、まだ多くありません。多くの学術系VTuberは、「芸名」に近いものがあります。やっていること自体は現実世界とさほど変わらないのではないでしょうか。

 一方で、メジャーなVTuberのインフルエンサー効果は大きくなっていて、VTuberの方が特定の商品を「これいいよ!」とお勧めすると即完売というような話も、普通になってきています。こうしたVTuberとのコラボが今後、教育に活用される可能性もあります。教育の世界がVTuberとしっかり協力し合うならば、いろいろな可能性が出てくると思います。割と冗談でなく、「推しのために志望校に合格しました」という子どもたちは出てくると思います。

 そのためにも、私自身はVTuberを体系的に論じられるよう、フィクション論や、「知覚の哲学」「行為の哲学」といった諸分野を勉強していきたいと思っています。VTuberというコンテンツを哲学研究の方面から論じていく。それを通してVTuberという文化の魅力を言語化することに貢献していきたいですし、哲学的な思考法や哲学の魅力も伝えていきたいと思っています。

【プロフィール】

山野弘樹(やまの・ひろき) 1994年、東京都生まれ。2017年、上智大学文学部史学科卒業。19年、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。現在、同大学院博士課程。元日本学術振興会特別研究員DC1。専門はフランス現代哲学(とりわけポール・リクールの思想)。19年、日本哲学会優秀論文賞受賞、21年、日仏哲学会若手研究者奨励賞受賞。著書に『独学の思考法』(講談社現代新書)。『VTuber スタイル』(アプリスタイル)で連載を持つ。

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