【社長で母で教育改革担当の公務員】 目立ちたがり屋の道

【社長で母で教育改革担当の公務員】 目立ちたがり屋の道
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 一度講演をさせてもらえば、皆が私のファンになる自信があった――。社長、企業の役員、市教委職員、母親と4つの顔を持ち、全国各地を飛び回りながら講演活動などもこなす尾崎えり子さんはそう語る。自らを「目立ちたがり屋」と称す尾崎さんに、インタビューの最終回では目指したい日本社会の在り方や今後の展望を聞いた。(全3回)

講演の機会がターニングポイントだった

――今は多くの学校と連携されていますが、当初は、学校現場との関係はどのように築いていったのでしょうか。

 私自身がいろいろな学校を回って校長先生と会い、「何か私にできることはないでしょうか?」と相談をしていました。その時、ある校長先生から「こんな講演をできますか?」という提案をいただいたんです。コロナ禍で予定されていた外部講師が呼べなくなり、キャリア教育や総合的な学習の時間などに支障が出ていたとのことで、「できます!私に話をさせてください!」と伝えました。

――講演で信頼を得て、連携につなげる考えだったのですね。

「講演をさせてもらえば、皆が私のファンになる自信があった」と語る尾崎さん
「講演をさせてもらえば、皆が私のファンになる自信があった」と語る尾崎さん

 講演を一度させてもらえれば、子どもたちのみならず、先生方も私のファンになってもらえるはずだと思っていました。私の話を聞いて「面白い」と思ってもらい、「もう少し話を聞いてみたいな」と声を掛けてくれるのを待つことにしました。

 「教育改革担当のプロ人材です」というトップダウンの姿勢では嫌われてしまうでしょうから、まずは私の人となりを、講演を通して知っていただきました。そうして安心してもらった上で、ヒアリングの時間をいただいたので、先生と本音で向き合って授業を一緒につくり上げていくスタイルを取ることができました。

――「皆がファンになる」という自信は、元教員としてうらやましい限りです。どうやってそうしたスキルを身に付けたのですか。

 小学生の頃から「人前で話さえさせてもらえれば、皆が私を好きになる」と思っていました。裏付けはありません。学生時代はいじめられてもいましたが、好かれていようがなかろうが関係なく、「私は人に注目される場面でパフォーマンスすると、ものすごい輝きを放つんだ」という気持ちでいました。

――その気持ちはどこから生まれるのでしょうか。

 実はその質問、よくされるんです。「その大きなエネルギーはどこから生まれるんですか」と。後付けになるかもしれませんが、そう聞かれたときにいつも語っていることが2つあります。

 一つは、私が3人兄弟の真ん中だということです。父は兄とボール遊びなんかをするし、母はいつも小さな妹の方を気にしている。だから「私を見て」という行動を幼少期からしていました。とにかく注目されたくて、そのために何をすればいいかを常に考えていたんです。幼稚園の時は毎日のようにジャングルジムに上って、一番高いところで手を上げていた記憶があります。

 もう一つは、見られることが気持ち良いと子どもの頃から感じていて、「多くの視線を集めれば幸せになる」と考えていたことです。自信の有無は関係なく、私にとっては「見られる気持ち良さ」が重要だったのです。そうして「目立つために、誰も進んだことのないいばらの道を行こう」と考えるようになりました。

 多くの人は、いばらの道で血を流すのを嫌がるでしょうが、私はその大変さにやりがいを感じます。一時期は「日本人で初の女子プロ野球選手になりたい」と思い、社会人硬式野球チームに入ってプレーしていたこともありました。

子どもに犯罪をさせない社会に

――「目立ちたい」という思いと、現場をサポートする生駒市での仕事は相反するようにも見えますが、どういった経緯で教育に携わるようになったのでしょうか。

 小学生の頃、いつも遅刻してくる子や服装が汚れている子がいました。成長するにつれ、その理由がそれぞれの家庭環境にあり、遅刻ばかりしていてだらしないと思っていた子が実は弟妹の送り迎えをしていたり、親が病気で部活動に参加できなかったりしていることを知りました。私が「子どもはやらなくていいこと」と思っていたことを、やらなければならない子がいるという事実に衝撃を受けました。

 中学生になると、その子たちはどんどん服装が派手になり、欠席が増えていきました。小学校からの友人でしたが、少し怖くなって距離を置くようになりました。

 ある日、たまたまその中の一人と話したら、「悪い仲間と人を傷つけようとした」と言います。「でも、駄菓子屋のおばちゃんのことが思い浮かんで手を止めた」と。

――日頃から気に掛けてくれていた人なのですね。

 そうです。その言葉を聞いて「親に頼れなくても、自分を愛してくれる人や気に掛けてくれる人の存在を地域で感じられたら、犯罪を踏みとどまることができるのでは」と思いました。そして、荒れざるを得なかった友人のような子どもを救いたいという願いから、少年犯罪専門の弁護士を目指すことにしました。

――それで法学部へ進学されたのですね。

奈良県生駒市の学校で講演する尾崎さん
奈良県生駒市の学校で講演する尾崎さん

 大学では少年犯罪専門のゼミに入ったり、少年院を訪問したりしました。そこで知ったのは、稼ぐ手段を持たないがために、院を出た後も悪い大人に頼る子どもがいるという現実でした。

 親や地域から離れて自立したいと思ったらお金が必要です。だから、彼らが稼ぐためのまっとうな手段を教える必要があると思いました。そして、「親の文化資本によらない人脈や経験を未来の子どもたちが享受できる社会をつくる」というのが、自分のビジョンになりました。

 でも、弁護士になるには学力が足りないのに加え、子どもたちへの思い入れが強過ぎたせいで、判例を読むのがつらくてたまらなかったんです。子どもに肩入れしてしまい、親側に対して「許せない」という気持ちを強く抱きました。

 ゼミの教授にそう話すと、「まず親になった方がいい」と諭されました。「今の君にはこの職業が向いていないかも。感情を抑えられないなら、まずは社会に出て母親になり、視野を広げた上で何ができるかを考えた方がいい」と。先生の言葉で弁護士を諦め、「子どもたちに稼ぐ方法を教えられる大人になること」を目指して方向転換し、まずは自分が稼ぐ方法を身に付けるために、民間企業に就職しました。

――そして転職し、子会社を立ち上げて社長になり、第二子出産後に退職したのですね。

 はい。子育てと仕事の両立がいかに大変か知りました。まず、住んでいる千葉県流山市から都内への通勤が大変な上に、子どもの夜泣きでいつも睡眠不足。仕事は思うようにいかない。子どもが熱を出しては飛んで帰る。さらに「やって当たり前」とされる母親業は、目立ちたがり屋の私にとってフラストレーションがたまるものでした。そこで初めて親の大変さや母親ばかりが重責を負うことへの疑問などが芽生え、ゼミの先生がおっしゃっていたことが理解できました。

 母親になったからといって、自分を犠牲にするのではなく、良い母親像を捨てて自分らしい母親になることを考えました。やっぱり親になっても目立ちたがり屋は変わりませんので、起業後の目標を「2030年の『世界で影響力を与える100人』に選ばれること」にしました。そして、目標達成には社会を良い方向に変革する必要があると考え、「人脈や経験をすべての子が享受できる社会」という当初のビジョンに全エネルギーを注ぐことにしたのです。

――起業家、公務員、母親、いろいろな役割で教育に向き合っていますが、尾崎さんはどんなメッセージを子どもたちに伝えていきたいのでしょうか?

 今は、社長、企業の役員、公務員、母親と、4つの顔を持って活動しています。いずれもミッションを成し遂げるために必要な道具と考えていて、自社でやった方が早いと判断できれば自社で、他がふさわしいと思えればそちらでと、目の前の障壁を壊すのに最適な方法を選んでいます。

 どの顔でも伝えていることは同じで「自分の欲、幸せやワクワクを見つけて、大切にすること」「社会は広いこと」、そして「今のあなたの学びは必ず将来役立つこと」です。そうした思いを持って、さまざまな角度から発信し続けています。

あえて「余白がある」場所へ

――今は流山市を離れたそうですね。経緯を教えてください。

「余白のある地」を選んで移住したという
「余白のある地」を選んで移住したという

 岡山県にある人口1400人ぐらいの村に、家族で移住しました。病院もコンビニもない村です。だからこそ、考えたり、作り出したりする余白があります。余白は新しいひらめきが生まれやすいので、起業家としては面白いのです。

――ご家族は反対しませんでしたか。

 もちろん、全員反対でした。「こんなにうまく行っている流山を、なぜ離れる必要があるのか」と。でも、「ママはもっと余白のある所に行ってみたい」と、約2年かけて説得しました。

 今、子どもが通う学校は、1学年当たり8~17人しかいない小さな学校です。先生1人当たりの児童数が少ないので学校の外に行く活動が多く、行事の多くは幼稚園や中学校と合同で実施しています。縦割りのチームを組むので、年齢が違う子ども同士が互いに価値を見いだすなどの学び合いが起きているように見えます。

 公教育を変えるのは難しいことですが、保護者としても教育改革に関わる立場としても、教育の新たな面が見えてきたように感じています。

 もちろん、教育には正解がなく、誰にとっても良い学校というものはありません。でも、だからこそ自分の中に曲がらない信念を持っていることが、教育改革では重要なのだと思います。移住を通じて、そんな思いを再認識しました。

【プロフィール】

尾崎えり子(おざき・えりこ) ㈱新閃力代表取締役、㈱市進ラボ社外取締役、奈良県生駒市教育指導課など。太田プロダクションお笑い養成所13期卒業生。ビジョンは「親の文化資産に寄らない人脈と経験をすべての子どもたちへ」、ミッションは「バカバカしく大爆笑しながら仕組みをつくる」。現在、経営者と公務員の二足のわらじを履きながら、ビジネスと教育をつなぐ役割を担い活躍中。いばらの道、新しいことが大好き。憧れは楊端和(『キングダム』)。小学生の子どもがいる母親でもある。

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