【フィンランド流・学びの描き方】 幸せに暮らす仕組み

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 国連が発表する世界の幸福度ランキングにおいて2018年から5年連続で1位、そして21年におけるSDGs達成度でも1位になったフィンランド。首都ヘルシンキは、別の調査では「ワークライフバランス世界一」にも輝くなど、その住みやすさが世界的に注目を集めている。フィンランド大使館職員として広報を務める堀内都喜子さんは同国を「全国民の幸福な暮らしが可能」な国だと表現する。自身もフィンランドに住んだことのある堀内さんに、インタビューの第1回では現地の教育やその強み、帰国後の活動などを聞いた。(全3回)

フィンランドの教育が生んだ「34歳女性首相」

――フィンランドというと女性が広く活躍している印象があります。

 フィンランドは「母親に優しい国」「女性の活躍の進んだ国」など、さまざまな世界ランキングで上位に位置しています。22年のジェンダーギャップ指数では、世界で2位でした。

 とはいえ、フィンランドも初めから今のような状況だったわけではありません。今から100年ほど前、ロシア帝国から独立した頃は貧しい小国で、男女平等が確立されていたわけでも、教育レベルが高かったわけでもありません。

 そこから他の北欧諸国を追い掛ける形で、男女が共に稼ぎ手となれる環境を整えていきました。一人一人が健康を維持しながら能力を発揮できるよう福祉制度を充実させ、教育に力を入れたのです。

 19年12月に就任したサンナ・マリン首相は、そうした社会が生んだ人物の象徴と言えます。

――世界最年少の34歳で就任した女性首相ということで、大きな話題になりました。

フィンランド大使館で広報を担当する堀内さん
フィンランド大使館で広報を担当する堀内さん

 はい。ただ、フィンランドの国内ではそれほど取り沙汰されていなかったんです。女性の首相はフィンランドでは3人目ですし、国会議員を見ても半数近くが女性で、当時30代前半の女性党首も3人いました。

 そもそも彼女はここ数年、党のナンバー2だったので、自然な成り行きという印象です。ただ、マリン首相の経歴には目を見張るものがあります。

 まず、幼い頃に父親のアルコール問題で両親が離婚した後、父親との交流がほとんどない中、母親とそのパートナーと一緒に、地方都市近郊の公営賃貸住宅で育ちました。母親のパートナーは同性でした。

 母親は養護施設で育ち、さまざまな職を転々としたそうです。親戚も問題を抱えている人が多く、マリン首相は経済的に決して豊かではない家庭に育ち、家族で初めて高校を卒業した人でした。そして大学院まで進学し、修士号を取得したのです。

――日本で首相と聞いてイメージする経歴とはかけ離れています。それに、日本では経済的な理由で大学進学を断念する人も少なくありません。

 フィンランドでは大学院まで無料ですし、児童手当の他にもひとり親家庭や低所得者向けのさまざまな支援があるので、経済的な事情で進学の道が閉ざされることはありません。

 加えて学生には国から生活費や家賃手当が支給されますし、国の学生ローンもあります。ただ、マリン首相は「ローンが返せなかったら」という不安が強かったそうで、高校卒業後は店のレジ係として働いたり失業手当を受けたりしていました。そういった生活をする中で「失業中の若者には、一時的にでも給料がもらえる仕事が必要だ」と考えるようになりました。そして行政学を学ぼうと決意し、地元のタンペレ大学へ進学して、在学中から政治活動に参加するようになったのです。

――エストニアの内相が「レジ係が首相になった」と発言していましたね。

 はい。それに対しマリン首相は「フィンランドを誇りに思う。レジ打ちの女の子が教育を受けて首相にまでなれるのだから」とSNSで応じていました。国民に向けた20年の新年のあいさつでは、「社会の強さは、最も脆(ぜい)弱な立場の人の幸福によって測られる」とした上で、「誰もが快適で、尊厳のある人生を送る機会があるかどうかを問わなければならない」と締めくくりました。フィンランド人が大事に思っているのは、まさにここです。

 フィンランドには年齢や性別といったくくりがないと感じます。その理由をフィンランド人に問えば、決まって「小さい国だから」と言います。「豊かな天然資源があるわけでもなく、人口も550万人にすぎない。だからこそ、一人一人が大切な資源であり、その資源に投資してそれぞれが能力を発揮できる社会にする必要がある」というのがフィンランドの人たちの考え方です。

――「人こそ資源」だから手当や支援が充実しているのですね。

 博士課程まで全ての人に質の高い教育を保障していて、年齢や性別、家庭環境、肩書きに関係なく、資質や能力をフラットに評価する文化があります。

 マリン首相は、さまざまな逆境に打ち勝ち、能力を純粋に評価されて誕生した首相です。それは福祉や教育が公正になされている証しだと言えるでしょう。

フィンランドに魅了されて

――堀内さんがフィンランドに留学した20年ほど前は、今のように日本で同国の教育やライフスタイルが話題になっていませんでした。どのようなきっかけで留学したのですか。

20歳の頃にフィンランドに魅了されたという
20歳の頃にフィンランドに魅了されたという

 フィンランド人の友人がいて、20歳の夏に行ってみようと思ったのです。現地に滞在してみて、とにかく社会全体がゆったりしていることに驚きました。みんな思い思いの時間に出社して、残業はせずに仕事を終え、帰宅後は子どもと遊んだり、趣味やスポーツを楽しんだりします。留学中に知り合った友人は「父は銀行員で帰宅はいつも午後6時ごろ。あんなワーカホリックみたいな人とは結婚したくない」と言っていました。

 それほどゆったりしているのに経済は発展している。このゆとりはどこから生まれるのかと、不思議に感じました。

――その時はすぐ帰国されたのですね。

 そうですね。でも帰国後に憧れが増して、フィンランドのユヴァスキュラ大学へ留学することを決めました。

 当初は2年間の予定でしたが、最終的には5年も暮らすことになり、修士号を取得してから帰国しました。その後は、フィンランド系企業の日本支社に就職しました。製紙業に関わるあらゆる機械やボイラーなどを扱うメーカーです。大規模な工場に機械を納入する際には、私も半年ほど現場でフィンランド人エンジニアのサポートをしていました。

 その後、フィンランドに関する著書を出したのですが、08年の『フィンランド 豊かさのメソッド』などが国内のメディアで取り上げられたのをきっかけに、大使館から仕事を紹介されるようになり、副業でするようになりました。その後、13年の秋に大使館から広報担当のポストに誘われ、今に至ります。

――副業ではどんな仕事をしていたのですか。

通訳や翻訳などですが、東日本大震災が起きた時には、フィンランドのメディアの現地取材をコーディネートしました。以前、大きな製紙工場のある宮城県石巻市に長く滞在したことがあり、東北地方に土地勘があったのもコーディネートを任された理由の一つです。

有事に働く現場の裁量

――東日本大震災での石巻市というと、市立大川小学校で多くの児童と教職員が犠牲になる痛ましい事故がありました。

 私にとって石巻は長く過ごした地です。会社勤めの頃には同僚のフィンランド人社員の奥さんが出産する際、石巻の小さな助産院で立ち会うなどしたこともあって、思い出深い土地です。なので、震災で受けた被害に胸が痛みました。

――大川小で次女を亡くした元教員の佐藤敏郎さんは、語り部として「現場の先生に裁量権を持たせ、日常的に判断できる立場に」と訴えています。

現地の学校で子どもたちから「日本語を書いて」と頼まれ、応じる堀内さん(本人提供)
現地の学校で子どもたちから「日本語を書いて」と頼まれ、応じる堀内さん(本人提供)

 そうですね。フィンランドでもそう考えられていて、実際に自治体の裁量が大きく、学校と教員の裁量も大きい。授業を例に挙げれば、国が方針として示す「コア・カリキュラム」は、科目ごとの大まかな学習目標だけが記載されています。その方針に基づき各自治体・学校が個別具体的な授業計画を立てますが、どう教えるかは教員に任されています。

 教員は一人一人が自律的に仕事をしている印象で、「個人事業主の集まり」といった印象です。ですから、何か起きた際は、一人一人の教員が自分の頭で考えながら対応します。

 例えば、コロナ禍の20年に国が対面授業の休止を決めた際は、2日後には全国の学校がオンライン授業に切り替えました。ただ、ツールの確保や授業方法などは各学校や先生が決定しました。また、給食をどうするかという問題に直面した際には、一部の自治体は「レトルトやパンを手配して配布しよう」という話になりましたし、低学年の子を一人で家に置いておけない問題に対しては「例外的に学校へ来ていいことにしよう」という話になりました。授業の内容についても、各教員が試行錯誤しながら自由な発想で、「せっかく家にいるんだから、家の面積を測ってみよう」など、柔軟に対応していました。

 問題が起きたとき、教員の裁量で判断して一つ一つ柔軟に解決できるのが、フィンランドの教育の強みだと私も思います。

【プロフィール】

堀内都喜子(ほりうち・ときこ) 長野県生まれ。大学を卒業後、日本語教師などを経てフィンランドのユヴァスキュラ大学大学院に留学。コミュニケーションを専攻し修士号を取得。帰国後はフィンランド系企業に勤務する傍ら、フィンランド大使館の仕事などにも副業で従事。2013年よりフィンランド大使館職員として広報を担当する。著書に『フィンランド 幸せのメソッド』(集英社)、『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(ポプラ社)などがある。

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