生徒指導がつらい――、若手教師に限らず、今の日本の教員に重くのしかかる難題だ。昨年6月には子ども基本法が成立し、同12月には「生徒指導提要」が約12年ぶりに改訂された。世界的にはダイバーシティやインクルージョンなどの潮流もある。そうした中で、これからの生徒指導はどうあるべきなのか。京都教育大学大学院の片山紀子教授へのインタビュー第3回では、校則の話を中心に生徒指導の在り方について聞いた。(全3回)
――生徒指導提要の改訂も相まって、校則見直しの機運が高まっています。現状をどう捉えていますか。
子どもの人権に対する意識が大きく変わる中で、「これまでの校則は子どもの人権が守られていないものが多いのではないか」という問い直しが生じてきたのだと思います。かつての校則が通用しなくなってきているのは、前提となる社会や学校の環境が大きく変化したからです。多様な子どもたちを当たり前に受け入れる時代になったことを考えれば、校則は最小限にとどめるべきだと私は考えます。
米国では髪型に関する校則がありません。目や肌、髪の色と同様、髪型は一人一人違うのが当たり前だからです。日本でも同じように考えていいと思います。中高時代は髪型をいろいろと変えてみたい時期でもあります。ツーブロックでも勉強はできるでしょう。
改訂された生徒指導提要は、子どもが自らの意見を表明する権利「意見表明権」を踏まえた指導を強調しています。意見を聞くことも意見表明権を守ることになりますから、校則見直しの際には子どもの考えも聞いた上で変えていくことが必要だと思います。
――髪型を自由にしたら就職の時に困るという指摘もあります。
もし、高校で髪型を指導したいのであれば、入学時に保護者・本人に同意を取ればよいと思います。「就職のために必要だから、髪型はこうすべきだ」「ルールに違反した場合はこう指導する」と伝え、本人と保護者から合意を得られていれば指導は可能でしょう。
でも、小学校や中学校は多くの場合、子どもが学校を選べませんので、タイバーシティやインクルージョンに即した配慮が優先されるべきだと思います。その意味でも、校則は最小限にとどめるべきでしょう。
――いろいろな子どもがいるのに、何か一つにそろえようというのは人権侵害になるかもしれないという認識が必要なのですね。
そうですね。また、子どもの人権と同時に先生の人権も守られるべきだというのが私の主張です。日本の教員は子どもから「死ね」「ばか」といった暴言をよく浴びせられています。発達途上の子どもがこうした言葉を使ってしまうのは理解できますが、それを差し引いても、日本の教員は子どもからの言葉によるハラスメントに対して無抵抗で耐え続けています。こうした状況が放置されていることも、若手教員の離職や教員のなり手不足に拍車を掛けているように思います。
米国の学校の校則には、教師や友人に対する暴言に関する規定が含まれることが少なくありません。日本との大きな違いは、校則に基づく生徒懲戒制度が機能している点です。生徒懲戒とは、児童生徒に対して行う教育的制裁のことです。例えば、生徒が教員に「死ね」と言った場合は教師に対する「不敬意」とみなされ、「ディテンション」という措置がなされると別の部屋で学習させられたり、給食を校長室の近くで食べさせられたりします。米国では校則の内容を入学前に確認でき、納得した上で保護者が了承のサインをして入学します。学校側から一方的に押し付けられるものではないわけです。
もし、同じルールを日本で適用すれば、「子どもの学習権を奪っている」と解釈されることでしょう。教員側が懲戒を受ける可能性もあります。たとえ子どもから「死ね」と繰り返し言われていてもです。日本では生徒懲戒の制度があいまいな中で、教師の人権が守られていないという課題も決して忘れてはなりません。
現場の教員は私の教え子でもあるので、とても大事に思っています。彼らが毎日、子どもから暴言を受けているとしたら、その学校は「教員を虐げている職場」と言わざるを得ません。今は企業でも「ばか」「死ね」などと言ったらハラスメントと認定されます。子どもの人権も大事ですが、それと同じぐらい教員の人権が保障されていなければ、子どもに人権感覚を育むことは難しいと私は思います。米国の校則が教師側の人権も保障している点は、日本でも参考にすべきです。
――かつては米国にも体罰はあったと聞きます。
20世紀後半以降、米国の体罰を巡る状況は大きく変わりました。かつては「パドル」という木の板でお尻をたたく体罰が合法化されていましたが、現在では多くの州が体罰を禁止しています。また、生徒懲戒においても重い処分の一つである「学外停学」が、校内で停学にする「学内停学」へと移行する傾向にあります。
――日米の生徒指導の比較研究は、どんなきっかけで始めたのですか。
私自身が体罰の厳しい中学校に通っていたため、大学で生徒指導について研究しようとしたのがきっかけでした。当時は体罰が当たり前で、私も何度かたたかれました。男子は胸ぐらをつかまれて壁に押し付けられていました。当時は生徒指導という言葉を知りませんでしたが、体罰の理不尽さから教育の在り方を考えるようになりました。
教師による体罰は、卒業しても生徒の心にダメージを残すものです。そうした問題意識を持って研究を進めてきました。そして、外国で体罰はどうなっているのかと疑問を持ち、それ以来、米国や日本の学校を行き来して比較研究を進めています。
――現在は、YouTubeでも発信されています。
忙しい修了生が本を読むきっかけになればと思って始めたものです。反響はさほど大きくありませんが、教育委員会の指導主事や校長、中堅教員、スクールロイヤー、マスコミなど多職種の方たちに時々視聴いただいているのは意外でした。
毎回10分程度の動画ですが、収録には結構な時間がかかっています。編集する中で自らが話す内容や話し方を直視せざるを得ないので、自分自身の勉強にもなっています。動画を材料としてさまざまなところで議論してもらえたらうれしいですし、もっと視聴いただけるよう努力もしなければと思っています。
【プロフィール】
片山紀子(かたやま・のりこ) 奈良女子大学大学院人間文化研究科比較文化学専攻博士後期課程修了博士(文学)。現在、京都教育大学大学院教授。主に体罰事案やいじめ事案について検証委員などを務めるとともに、全国各地で教員研修を担当している。一方、米国の生徒指導については体罰や生徒懲戒、規律などをテーマとしてニューヨーク州やペンシルベニア州、ノースカロライナ州などでフィールドワークを積み重ねている。著書に『日米比較を通して考えるこれからの生徒指導』(共著、学事出版)、『「うまくいかない」から考える若手教師成長のヒント』(共著、ジダイ社)ほか。YouTubeの「片山紀子Channel」で動画を配信中。