日本から約1万4000㌔離れた氷の大陸「南極」。ここから毎年、現職教員が日本の子どもに向けて授業を行っている。文科省が国立極地研究所と日本極地研究振興会と連携しながら実施している「教員南極派遣プログラム」だ。日出学園中学校・高等学校の武善紀之教諭は2021年11月から22年3月までの間、派遣教員として第63次南極地域観測隊に同行してこのプログラムに参加した。極地に身を置き、何を考え、感じてきたのか。きっかけから帰国までのストーリーを聞いた。(全3回)
――南極へ行きたいと思ったのはどんなきっかけからですか。
子どもの頃に見ていたクレイアニメ『ピングー』の影響で、ペンギンが大好きなんです。趣味は全国のペンギンに会いに行くことで、各地の水族館・動物園の関係者と民間のペンギン愛好家が一堂に会する「ペンギン会議全国大会」にも毎年参加しています。
そんな中、ある年の大会で南極観測隊隊員の講演を聞く機会があり、現職の教員が南極に行ける「教員南極派遣プログラム」という制度があることを知ったんです。「これは南極にいる野生のペンギンを見に行くチャンスだ!」と思い、応募することにしました。
周囲の先生は「チャレンジをすることは大事だから」と快く同意してくれて、校内の理解は順調に得られました。その時点では、本当に行くとは誰も予想していなかったのかもしれません。派遣期間中、代わりの先生に担っていただく指導計画や授業案を整えることなどを条件に、学校長から推薦をもらいました。
――選考はどのように進められるのですか。
条件の一つは極域の科学と極地観測などに興味と関心を持っていること、そして南極の多様な価値を理解し、興味や関心を高められるよう所属校の児童生徒に向けて「南極授業」を行うことです。また、帰国後には南極に関する理解向上のための情報発信を行います。第一次選考では、これらの授業計画や活動計画の書類審査がありました。
最も緊張したのは第二次選考です。過去の観測隊隊長経験者がずらりと並ぶ中での面接でした。「同行」とはいえ、派遣教員も観測隊員と同じ環境下で行動しなければなりません。過酷な自然、少人数の閉鎖社会という非日常の南極に「連れていける人間かどうか」を見られていたのだろうと思います。
正式に選ばれた後には、国内での冬期総合訓練に参加しました。雪上歩行訓練や氷の谷間「クレバス」からの脱出訓練、コンパスを使ったルート工作訓練、雪山テント泊などです。登山経験のない私にはとてもハードなもので、体力を付けるために学校では生徒と一緒に持久走で走り込みをしていました。20年の3月ごろの話です。
――ちょうど新型コロナウイルスの流行が始まった時期ですね。
そうなんです。同行する予定だった第62次隊での教員派遣は、緊急事態宣言の発出を受けて中止となってしまいました。でも幸い、翌21年の11月からの第63次隊に同行できることになりました。延期は残念でしたが、代わりに出国前に「南極授業」の準備をたっぷりとすることができました。
授業は情報技術の切り口で、「南極を身近に感じる」をコンセプトに計画しました。具体的に、生徒が自作した環境計測器を現地に持参して温度や湿度、気圧などの気象観測をする活動、日本からスマートリモコンを使って昭和基地のテレビをつけるIoT実験などを計画しました。加えて昭和基地の観測事業や生活の様子などを紹介しながら、南極観測は技術の結晶であることを生徒たちに伝えたいとも考えていました。
実験を成功させるには事前の準備が大切です。環境計測器はプログラミングの授業の中で生徒たちが制作しました。南極のインターネットは人工衛星経由で通信します。その国内施設である山口衛星通信所を見学するなどして、情報収集を進めていきました。
その後、私が南極から行う授業を日本側でサポートする有志の生徒グループ「南極クラブ」が校内で立ち上がり、南極についての質問を募集する活動も盛んになりました。高校2年生の女子5人が「プレ南極授業」を企画してくれるなど、盛り上げてくれました。自分の派遣とコロナ禍が重なるとは予想だにしていませんでしたが、待機期間が1年間あったおかげで十分な準備ができたと思います。
――南極観測船「しらせ」に乗船して東京を出航したのが21年11月、12月下旬に昭和基地に入られました。滞在中はどのような暮らしをしていたのですか。
授業の準備やリハーサル、授業で使う動画のための基地の取材などをしていました。その合間には基地の修繕支援や除雪作業、観測準備の補助作業をやっていました。季節が日本と逆の南極では8月の真冬にはマイナス30度にもなるため、建物は傷むしその間は修繕も難しいのです。なので1月から3月の夏の間に集中的に基地のメンテナンスを行います。
これはどの隊員も同じで、それぞれが専門とする仕事や研究を進めながら、力を合わせて全員で行動します。医師や大学院生と一緒に、コンクリートで建物の土台づくりをしたこともありました。その間、夏期には珍しいブリザード(暴風雪)に2回も見舞われました。驚いたのは「グリーンフラッシュ」と言って、沈む瞬間の太陽が真緑に見える現象です。空気がとても澄んだ環境でしか見られない光学現象で、この上なく美しく衝撃的でした。
――ペンギンには会えたのですか?
はい。昭和基地周辺には主にアデリーペンギンとコウテイペンギンが生息していて、私が一番好きなアデリーペンギンに会うことができたので夢が一つかないました。基地のコンテナの裏に遊びに来たり、私たちの目の前で眠り出したりするペンギンもいました。面白いことにアザラシとペンギンが一緒にいることもあるんです。ペンギンを食べるのはヒョウアザラシ一種類だけで、他のアザラシはペンギンを食べないそうです。アザラシは動きが遅く、ペンギンがアザラシを突っついて遊んでいる場面を見た隊員もいたようです。
一方で厳しい自然のおきてを目の当たりにすることもありました。ペンギンの天敵、オオトウゾクカモメです。ペンギンが集団で子育てをする「ルッカリー」に舞い降りて来ては、卵やひなを狙います。身を隠す場所もない南極で、ペンギンは数で勝負しながら生き抜いているんです。日本の動物園や水族館で見るペンギンと比べると、南極のペンギンは精かんでしたね。体つきは筋肉質だし、目はギラギラしていました。
群れからはぐれて1羽だけ取り残されたペンギンも見ました。先を行く仲間は、見向きもせずに先へ先へと歩いていきます。その1羽は当てもなくウロウロするだけで、その後の生死は分かりませんでした。なんて自然は厳しいんだ…と思った瞬間でした。
私たちはそんな過酷な世界にお邪魔させてもらっているのだという感覚になりましたし、そんな環境で基地や観測船を作ろうと思った人間もすごいなと、改めて感じました。
【プロフィール】
武善紀之(たけよし・のりゆき) 千葉県出身。2014年、筑波大学情報学群メディア創成学類を卒業後、私立日出学園中学校・高等学校の教諭として採用される。現在は情報科に加え、数学科や公民科(倫理)の授業を担当。過去には、同・法人企画室のICT推進チームリーダーを務める。文科省「高等学校情報科に関する特設ページ」【情報Ⅰ】学習動画の企画・出演を担当。高等学校情報科用教科書の編集委員も務める。日本情報科教育学会情報科教育連携強化委員会委員。