南極を遠いところから身近なところへ――。そうしたコンセプトで計画した武善紀之教諭の「南極授業」のポイントは「崇高感」を出さないようにすることだったという。「南極はすごいところ」であることは、すでに子どもたちはさまざまなメディアを通して知っているし、コロナ禍で疲れた子どもたちに遠い存在と感じさせたくなかった。そこで考えたのが、昭和基地の情報技術やそれを支える人に着目する授業だったという。インタビューの第2回では、現地から日本の生徒に向けて行った授業とそこに込めた思いについて聞いた。(全3回)
――南極での授業は具体的にどのように進めていったのでしょうか。
1月と2月、2回に分けて行いました。実は応募段階ではペンギンの体に計測装置を付けて海中での動きを調べる「バイオロギング」を考えていたのですが、今回はペンギンの研究者が不在で路線変更を余儀なくされたのです。そこで考えたのが、気象観測や通信を題材にした授業でした。
昭和基地は電波を使ったさまざまな観測を行っていて、それを支える多くの人たちがいます。生徒たちに電波の有用性を実感してもらおうと、通信衛星で使うアンテナの話をした上で、南極と日本を結ぶIoT実験をしました。
日本と南極の両方に音声アシスタントAlexa(アレクサ)を置いて、日本の生徒たちが「アレクサ、南極の電気をつけて」と言うと、昭和基地の照明がつく。そんな実験をしたのですが、見事に成功してみんな喜んでいました。IoT実験は南極観測でも初めてだったそうで、現地も大いに盛り上がりました。
その後、衛星通信を使ってリモート操作し、直接対象に触らなくても調べられる技術「リモートセンシング」を紹介しました。人工衛星による気象観測もこの技術の一例です。
でも、「リモートで観測ができるなら、わざわざ南極に行かなくてもいいのでは?」という話になりますよね。そこで昭和基地で行っているラジオゾンデによる気象観測の様子を紹介しました。ラジオゾンデは気圧や気温などを測定するセンサーを気球に付けて飛ばし、データを無線で地上に送る装置です。リモートセンシングだけでは足りないデータを得る役割があります。
授業の後半では、生徒たちが作って私が南極に持って来た測定器が明るさや温度、湿度、気圧を測定できたこと、ラジオゾンデとほぼ同じデータが得られたことを報告しました。特別なデータが得られたわけではありませんが、自分たちの手で作ったものが南極で動くのを見るのは単純にうれしいし、生徒たちは興味津々の様子で聞いていました。
授業ではその他にも、昭和基地で働くエンジニアの皆さんに登壇してもらいました。具体的に、衛星通信設備の管理をする通信会社の方、新しい重力計を開発し、その動作を南極へ試しに来た研究者、40年以上も南極観測に参加し続けている通信技術者などに話をしてもらいました。
ここで大事にしたのは「崇高感」を出さないことです。「偉い人」「すごい人」という風な切り口にはせず、SDGsなどの大きなキーワードも出さないようにするなど、共通認識を図った上で話をしてもらいました。
――なぜ、そうしたのですか?
当時の学校はコロナ禍で行事はなくなり、オンライン授業ばかりで閉塞(へいそく)感が漂っていました。そうやって追い込まれている生徒たちに、「頑張ろう」などと呼び掛けるのはもういいんじゃないかと思ったのです。登壇する人たちにもこの思いを伝えて、使命感や責任感ではなく、ただただ楽しいことを追求する、悩みながら進んでいく姿を表現してほしいと頼みました。
――授業を準備する上で苦労した点はありますか。
通信環境が南極では極端に制限されていたことです。今は普通に、高速のインターネット通信が世界のどこでも使えますが、それは海底ケーブルが引かれているからなんです。
そんな海底ケーブルを簡単には引けない場所が南極で、昭和基地では人工衛星を使って通信をしています。最大速度は4Mbps程度で、これを基地全体で共有しています。実際に現地で通信速度を測ってみたら18kbpsで、速度制限がかかったスマホよりも低速でした。
そんな状況下で授業準備をしなければならず、現地では苦労しました。それでも南極授業では優先帯域という仕組みを使って2Mbpsを割り当ててもらい、YouTube配信や日本と南極を双方向で結ぶ実験もなんとか行うことができました。
もう一つは、「情報技術」というテーマを選んだことでした。そもそもエンジニアリングに興味がある生徒は多くありません。同じことは南極でも言われました。「南極から技術の授業をしたいだなんて、とんでもない奴が来たと思ったよ」と、ベテラン通信技術者に言われたほどです。
南極で生活して、設営や観測支援をしながらいろいろな技術者と話をするうちに、私自身の情報科教員としての感覚が揺らいできました。南極観測の現場でも、あくまでメインは観測で、基本的に技術はサブ、手段でしかないのです。技術が単体で脚光を浴びることはまずなく、技術が観測成果以上に脚光を浴びるのは避けた方がよい、といった話を聞くことすらもありました。
学校の授業でも今、問題解決力や創造力を育成することが命題となっています。その中で「ICTはあくまでツールだ」「大事なのは本質」という話をよく聞きます。でも、それを突き詰めていくと結局、技術は研究のための道具になってしまう気がします。ならば結局、技術とは何のためにあるのか。情報科を生徒たちに教えることの意味を考え続けていました。
私が南極での授業で表現したかったのはその部分で、「実は技術も本質だ」ということなんです。「何が分かるか」「何のために」ではなく、技術自体のすごさや面白さを紹介したかったし、技術に携わる人たちの姿や気持ち、私が現地で試行錯誤したこと、新しく知った感動や楽しみを伝えることに力を注ぎたいと思いました。
帰国後の情報科の授業でも、そうしたことをより強く意識するようになりました。授業ではよく、「コンピューターを使いこなせるようになろう」ではなく、「コンピューターと友達になろう」と言うようにしています。昭和基地のあるベテラン技術者は「機器を作るとその一つ一つに愛情が湧いてきて、別の人が作ったものを見ても思いが見える」と話していました。生徒にもそういう感覚を持ってほしいのです。
機械って使いこなそうとすると、奴隷を扱うような態度になるんです。そして、機械を奴隷のように見る人は、結局、機械を使う人までも奴隷のように見たり扱ったりすることになるんじゃないでしょうか。
そうではなく、機械を友達のように感じられることが大切なんだと思っています。南極での経験を通じて改めてそこに気付けたし、自分の中の芯が固まったような気がします。
【プロフィール】
武善紀之(たけよし・のりゆき) 千葉県出身。2014年、筑波大学情報学群メディア創成学類を卒業後、私立日出学園中学校・高等学校の教諭として採用される。現在は情報科に加え、数学科や公民科(倫理)の授業を担当。過去には、同・法人企画室のICT推進チームリーダーを務める。文科省「高等学校情報科に関する特設ページ」【情報Ⅰ】学習動画の企画・出演を担当。高等学校情報科用教科書の編集委員も務める。日本情報科教育学会情報科教育連携強化委員会委員。