次期教育振興基本計画の柱の一つにも位置付けられている「ウェルビーイング(Well-being)」。教育界でにわかに注目を集め始めた言葉だが、3年前からウェルビーイングな学校づくりに取り組んでいるのが埼玉県上尾市立平方北小学校だ。この間の取り組みを『ウェルビーイングな学校をつくる』として書籍にまとめた中島晴美校長に、子どもも教職員も「幸せ」を感じられる学校づくりを、どのように進めているのか聞いた。(全3回)
――「ウェルビーイングな学校づくり」を進める学校として注目されていますが、一昨年に校庭で絶滅危惧種の植物が発見されたことでもニュースになりました。
2021年の4月ごろ、学習活動や子どもの見守り、環境整備などを協力してもらっている「学校応援団」の方が校庭の下草刈りをしていたところ、きれいな黄色い花を発見しました。ちょうど学校応援団の中に自然保護のスペシャリストの方がいたので確認してもらったところ、絶滅危惧種のキンランだということが分かったんです。
私はその1年前、新型コロナウイルス感染防止のための臨時休業中だった20年4月に着任したのですが、当時は森や中庭などの整備が行き届かない状況でした。本当は子どもたちの情操教育に生かせる場所なのに、多忙でとても手がつかない…。そんな状況が教職員にとって心理的な負担になっていると感じました。
そこで私は、休校中の期間を利用して下草刈りを始めました。すると、学校応援団の方が手伝ってくれるようになりました。また、PTAの方々も、草取りをしてくれるようになりました。さらには、それを見た子どもたちも自主的に草取りをし始めたのです。
その翌年、運動会の練習のための校庭整備の手伝いを呼び掛けた時は、保護者や地域の方が75人も集まってくれました。その翌年にはなんと165人に増えました。スポーツ少年団や違う学校の子どもたちまで集まって、もう感動の嵐でした。
こうして自然発生的に環境整備の活動の輪が広がって、キンランの発見にもつながったんです。子どもたちも中庭で遊ぶことができるようになり、喜んでいます。現在は森の活用を全学年の年間指導計画に位置付けています。
――学校現場の多忙化が深刻な中で、平方北小学校が取り組んでいるウェルビーイングな学校づくりが注目されています。具体的な実践について教えてください。
先生方のウェルビーイングのために、初めに取り組んだのは業務改善です。その業務改善の方法も、教職員にとってウェルビーイングな方法でないといけないと思いました。教職員が何にストレスを抱えているのかを知り、その声を大切にした上でボトムアップ型の業務改善を進めるというのが、本校のやり方です。
ウェルビーイング(身体的・精神的・社会的によい状態)の理念は、さまざまな国、さまざまな年齢層の人々の意識調査のデータを基にしたエビデンスや、多くの学問やあらゆる分野の研究結果を総括したものです。本校で取り入れているウェルビーイングの知見は、この分野の第一人者である元ハーバード大学教授のタル・ベン・シャハー博士の「SPIRE理論」と、日本の幸福学の第一人者である前野隆司慶應義塾大学大学院教授の「幸福4因子モデル」そして「心理的安全性」が基になっています。
タル博士の「SPIRE」は、Spiritual(自分の本質・自己肯定感など)、Physical(心身の健康など)、Intellectual(知的好奇心など)、Relational(人間関係など)、Emotional(心地よい感情)の頭文字をとったものです。この5つの要素を子どもたちの学校生活に当てはめてみると、全ての教科・領域、休み時間の活動や学校行事などで満たすことができるのが分かります。1時間の授業で考えてみると、Sは「主体的な活動、自分でできる」こと、Pは「健康で安全な状態で授業に参加できる」こと、Iは「新しい学び、わくわくする学び、知りたい」ということ、Rは「グループでの話し合い活動や協働、他学年との交流」など、Eは「感動のある学び、新しい発見、感性に触れる」ことでSPIREを満たすことができるのです。
SPIREは全教科にも関わってきます。ですから、教員が常にSPIREを意識して各教科の授業を行うことで、子どもたちの知的好奇心が高まり、良い人間関係が担保され、「楽しかった」「うれしかった」という思いにつなげていけると考えます。つまり、全ての教科において子どもにとってのSPIREを意識した授業づくりをすることが、子どもたちの学校でのウェルビーイングにつながるのです。だから教員には「まずはウェルビーイングを意識した授業をしましょう」と話しています。
――ウェルビーイングな学校づくりに取り組むきっかけは、何かあったのでしょうか。
現在の学校現場は、教職員の多忙、人員不足など多くの課題を抱えています。その中で、病気休暇取得者や離職者数が多いという現状もあります。ウェルビーイングの研究で、幸せな組織は創造性や生産性が高く、離職率も低いというエビデンスがあります。このことから私はウェルビーイングの考えを学校現場に取り入れることこそ、さまざまな課題解決のために必要なことだと強く思ったのです。そこで、教職員が幸せで、笑顏で自分の力を発揮できる、ウェルビーイングな学校づくりをしていこうと進み始めました。
――教職員の「ウェルビーイング」が大切だと考えられたのですね。
ウェルビーイングな学校づくりに欠かせないのが、「先生たちが幸せであること」です。無理だと諦めずに、現場においてできる限りのことをしようと、業務改善に取り組んできました。
業務改善のために取り入れたことの一つが「カエル会議」です。教頭時代に勤務していた自治体でアドバイザーを務めていたワークライフバランス社(代表取締役・小室淑江氏)提案の方法で、組織全体で業務改善方法について知恵を出し合い、実践していく取り組みのことを指します。
しかし、多忙な現場では新たな会議の時間を確保するのも厳しいですし、「会議を増やすのは本末転倒だ」という意見が出ることも想定できました。そこで本校では一工夫し、「紙面カエル会議」という提案をしました。共有フォルダを準備して、教員が思いついたときに具体的な案を書き込むようにしたのです。その案を基に、校長、教頭、教務主任で内容を確認し、採用した意見は即時実行してきました。例えば、その一つに「『新型コロナウイルス罹患(りかん)のため出席停止』というゴム印を作る」というものがありました。これを作ったことで手書きをせずに印鑑で処理できることになり、時間も短縮できてストレスオフにもなりました。本校の業務改善の合言葉「微差は大差」を取り入れた一例です。
昨年度は25の改善策を実行し、今年度は38の改善策案が出され25案を実行しました。今年度は、教員の中に業務改善主任を配置しました。主任の主体的な活動により、全教員で学期末の節目ごとに「リアルカエル会議」を行っています。教員の主体的な活動なので全員が気持ち良く積極的に参加し、話し合いも短時間で盛り上がります。書き込んだアイデアがどんどん実行されるので、会議の信用性も高まり、「もっと考えてみよう! これも書いておこう!」と、より身近な意見が数多く寄せられるようになりました。
――具体的にはどういった改善を実施したのでしょうか。
本校では思い切った改善にも挑戦しています。そのうちの一つが21年3月からの登校時間の変更です。教職員の出勤時刻は8時15分ですが、子どもたちの登校時間は7時45分から8時でした。そのため教員はボランティアで7時頃に出勤し、7時45分までに子どもたちを出迎える準備をしていました。
また、スクールゾーンは7時30分からですが、遠方の子どもは7時15分には家を出るため安全面の問題もありました。また、学校到着後から始業の8時15分までは子どもたちが自主的に運動や遊びを行う時間となっていましたが、この間の安全確保も課題でした。
そこで、登校時間を8時15分から8時25分の間に設定しようと考えました。しかし、子どもたちより先に、保護者が家を出てしまう家庭もあるのではないか、旗振りの時間が遅くなるため保護者の参加が難しくなるのではないかなどの課題が出てくるものと想定されました。そのため、教職員や学校運営協議会と検討を重ね、半年前から毎月の学校だよりで新しい朝の生活時間の調整についてお願いを続けました。
ありがたいことに、旗振りの問題においては、保護者の旗振りは継続するとともに、手薄になる可能性を鑑みて、地域の方々が朝通学路に立ち、防犯ボランティアとして登校の見守りをしてくださると申し出てくださいました。「朝、外に立つようになって健康になったんだよ」と言ってくださる方もいます。中には子どもたちと一緒に歩いてくれる保護者の方もいて、「地域の方とあいさつをするようになって、とてもよかった」と話しておられました。また、地域の方々も「若い世代の方々と知り合うことができて、とてもいい」と喜んでくださっています。
学校運営協議会において話し合い、保護者・地域の方々と目指すウェルビーイングな学校づくりが、地域の新しいつながり、ウェルビーイングな地域づくりにもつながってきたことを感じています。
【プロフィール】
中島晴美(なかじま・はるみ) 埼玉県の小学校教諭(主な研究:外国語活動・道徳教育)として勤務。教育委員会指導主事(道徳・外国語活動等担当)、市教育センター指導主事(教育相談担当)を経て、小学校教頭を2年間務めたのち、埼玉県内の小学校校長に。2020年度から上尾市立平方北小学校校長。現在、埼玉県教育課程実践事例集編成員外国語活動・外国語科部長、埼玉県北足立北部地区道徳教育研究会会長、埼玉県社会教育委員および埼玉県生涯学習審議会委員、埼玉県公立小・中学校女性校長会幹事などを務める。