【公立夜間中学を全国に】 夜間中学との出合い

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 2017年に岡山県で自主夜間中学を立ち上げた城之内庸仁教諭は現在、居住する岡山市から香川県三豊市の公立夜間中学まで、約150㌔の道のりを毎日往復している。高校生の時に映画『学校』を見て夜間中学を知ったという城之内教諭が、どのような道のりを経て三豊市の夜間中学と関わるようになったのか。インタビューの2回目ではその経緯とともに、岡山市での自主夜間中学の取り組みについても聞いた。(全3回)

全国的に珍しい人口6万人規模の自治体での設置

――岡山市で自主夜間中学校を立ち上げ、公立の夜間中学設置の運動にも取り組んでいるわけですが、三豊市の夜間中学に関わるようになった経緯を教えてください。

 岡山の自主夜間中学は17年にスタートしました。最初はずっと一人でやっていたのですが、少しずつ仲間が増え、いろいろなメディアにも取り上げていただくようになりました。そんなある日、三豊市から電話があり、教育委員会の幹部の方々が10人前後で視察にいらっしゃったのです。

 自主夜間中学校は学校教育ではなく、社会教育の活動になります。そのため、見学に来られた当時の三豊市の責任者の方は、私から「まずは社会教育でやってみたらどうか」と言われると思っていたそうです。

 でも私は「絶対に公立が必要なんです」と訴えました。社会教育の立場の人間がそう言うのならということで、三豊市では公立の夜間中学を設立する方向に大きくかじを切ったんです。そこからは話が早くて、視察に来られて約4カ月後には、設置検討委員会が作られて動き出しました。

 三豊市は人口が6万人規模の都市です。全国を見渡してもこの規模の自治体が公立の夜間中学を設置した例はまれです。そのため、いろいろな課題がありました。

「急ピッチで開校させたことによる弊害もある」と指摘する城之内教諭
「急ピッチで開校させたことによる弊害もある」と指摘する城之内教諭

 でも、三豊市の山下昭史市長が「一人でも学び直し、また学ばないといけない人がいるならば、それは行政が責任を持ってやることではないか」という考えで、設置に向けて動き出したんです。全国の公立夜間中学の設置経緯を見てみると、おおむね検討開始から設置まで2年ぐらいを要していますが、三豊市はほぼ1年で開校しました。

 もちろん、急いで設置したために生じた問題もありました。その一つは、他自治体との連携が取れていなかったことです。高知や徳島は県教委主導の下、わりと早い時期に夜間中学を設置しており、どちらも徳島市や高知市という県で最も大きな市にあります。でも、香川県は高松市ではなく人口約6万人の三豊市が設置しました。

 通常、夜間中学校はその自治体に在住・在勤が入学要件の一つになっていて、もし他の自治体から入学する場合は、その自治体と提携する必要があります。例えば、善通寺市在住の生徒が通学する場合には、三豊市と善通寺市が提携を結び、善通寺市が一人当たりの教育に関わる費用を応分負担するのです。でも、三豊市は設置を急いだがために、どこの自治体とも提携を結べないままスタートし、他の自治体から受け入れる生徒について、当初は全額を三豊市が負担していました。

東日本大震災のボランティアで自主夜間中学と出合う

――その後、そのまま三豊市の夜間中学で教壇に立つことになりました。

 三豊市の公立夜間中学校に、まさか自分自身が直接関わるとは、想像できませんでした。設置検討委員会への出席だけでも驚きでしたが、実際に教壇に立つだなんて全くもって思っていませんでした。

 設置検討委員会は学識経験者や教育関係者、心理の専門家などで構成していたのですが、市長は現場経験者を入れたいとの思いが強かったようです。私の経験が役に立つのであれば協力したいと思い、委員を引き受けました。ただ、設置検討委員会での話し合いの段階では、設置後にそこで働いてほしいという話は出ませんでした。

当初は自身が公立夜間中学で教えることになるとは思っていなかったと話す
当初は自身が公立夜間中学で教えることになるとは思っていなかったと話す

 その後、話が具体的に進む中で、夜間中学の経験が全くない教員だけで大丈夫なのかという不安が、関係者の間で広がっていきました。そして、市長から直々に「城之内さんは教員免許を持っているし、岡山市で昼間の先生もしているので、三豊市の公立夜間中学で働けないか教育委員や教育長に相談してみたい」との打診がありました。私としては悩むところはありましたが、「仏像作って魂入れず」みたいなことは避けたかったので、「調整がうまくいけば引き受けます」と返事をしました。

――そもそも夜間中学に関わるようになったのは、どのようなきっかけからだったのでしょうか。

 1993年に夜間中学を描いた山田洋次監督の映画『学校』が公開された時、私は高校生でした。子どもの頃から寅さんが好きだったので、山田監督の映画だからと思って見たのが一つのきっかけになっています。

 当時、私は地元の進学校に通っていましたが、成績も振るわず、学校に行きたくなくなっていた時期でした。周囲が東京や大阪の有名大学を目指す中で、精神的に追い詰められていたのです。そんな時に映画『学校』を見て、いろいろなことを感じました。でも、当時はまだ公立の夜間中学というものがあって、そこでさまざまな人が学んでいるんだという程度の受け止めだったように思います。

引きこもりだった卒業生の思いに答えられなかった

――夜間中学への思いが強くなったのは、いつ頃のことでしょうか。

 学校の教員になった後、子どもたちを取り巻く状況は自分の学齢期と何も変わっていないし、ややもすると悪化しているんじゃないかという思いが募っていました。そんな折、2011年に東日本大震災が発生しました。被災地で避難所の子どもたちの学びがストップしているような状況があるのを知り、夏休みに学習支援に参加することにしたんです。そうして福島県に出向いた際、自主夜間中学校というものがあることを知りました。「自主」の夜間中学というのがとにかく不思議で、一体何なのだろうと思いました。

夜間中学への思いを語る城之内教諭
夜間中学への思いを語る城之内教諭

 当時、私はいわゆる教育困難校と言われている学校に勤務していました。担任をするクラスに、ほとんど全欠の生徒がいて、どんなに家庭訪問をしても駄目な状況が続いていました。その後、彼が18歳ぐらいになった時に私を尋ねて来て、「先生、あれだけ来てくれたのにごめん。あの後もずっと引きこもりで、オンラインゲームばかりやっていた。でも、オンライン上で一緒にゲームをする人も朝になったら仕事やバイトに行ったりするのを見て、僕も働きたいという気持ちになった」と言うんです。その彼は「履歴書を準備したくても書けない」と私に訴えてきましたが、何もしてあげられなかった自分が情けなく思いました。

 岡山の自主夜間中学は、そうした思いを背景に設置したものです。そこではいろいろな人と出会いました。例えば、30代の母親で「子どもが大きくなる前に勉強したい」と言う人がいました。当初は塾に問い合わせたそうですが、どこへ行っても「お子さんは何歳ですか?」と聞かれる。「自分が勉強したいだなんて言えなかった」と話しておられました。

 また、特別支援学校の高等部まで出たけれど、「ほとんど作業ばかりで、もっと勉強がしたかった」と話していた方もいました。20代で統合失調症を発症し、長期入院をしていたのでここで勉強したいという方もいました。そうした多様な人たちのためにも今後、夜間中学校を多様な教育の選択肢の一つとして広げていきたいと思っています。

【プロフィール】

城之内 庸仁(しろのうち・のぶひと) 広島県府中市生まれ。三豊市立高瀬中学校夜間学級英語科教諭。2017年4月、岡山市に中国地方初の自主夜間中学校を立ち上げ、現在は日本最大規模と言われる自主夜間中学校を運営。(一社)岡山に夜間中学校をつくる会理事長、全国夜間中学校研究会理事、基礎教育保障学会理事、岡山市における公立夜間中学の在り方検討会委員などを務める。大学や公民館など全国各地で講義、講演を行うほか、石川自主夜間中学校、山口自主夜間中学校の設立にも寄与するなど、全国各地で、夜間中学の必要性や「公立夜間中学」の設置を求めて活動する。

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