先生を幸せにする フィンランドの「電話の鳴らない職員室」

先生を幸せにする フィンランドの「電話の鳴らない職員室」
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 私は大阪府の公立中学校で教員人生をスタートさせ、8年間、学校現場でお世話になった。その後退職し、現在はヘルシンキ国際高校(Helsingin kielilukio)で勤務している。2019年夏に1週間のフィンランド教育視察に参加し、そのときに自分の教育観に大きな転換が起こった。たった1週間の視察でこれだけの刺激を受けたこともあり、それ以降フィンランドの教育現場に長期的に入り、肌でその教育を感じ、学びたいという思いが強くなった。その抑えきれない自分の思いに従う形で、海を越えてやってきたというのが、こちらに来た経緯である。

 長年の夢であったフィンランド生活。フィンランドは先日、国連の「世界幸福度報告書」
で6年連続幸福度ランキングで1位を取った国である。そんな幸せの国フィンランドの先生はいったいどんな働き方をしているのか、また職員室の在り方はどうなっているのかについて話をしていきたいと思う。

午前8時ごろに出勤し、午後4時には帰る

 まず、フィンランドでは、教員免許を取得するために、学士の3年間と修士の2年間でしっかりと学ぶ必要がある。つまり、先生は全員が大学院卒であり、教育についてのアカデミックな専門知識も有した状態で子どもたちの前に立つということだ。そのため、国としての先生への信頼感は高く、人気の高い職業であることは、広く知られている。

 勤務時間はというと、授業開始15分前の午前8時ごろに出勤し、授業を終えた午後4時には帰路につく。遅くまで残って仕事をするということはないし、特別な試験などで時間外労働が発生する際は別途、手当がつくことになっている。

 私が教員時代に、たいてい朝6時に家を出て夜9時に帰っていたという話をすると、皆さん驚きの表情とともに、「考えられない」という言葉がセットで返ってくる。6月中旬から8月中旬までが夏休みであり、その期間の仕事は休み。教員はサマーコテージで過ごし、思い切り余暇を楽しむ。

 フィンランドに来て感じるのは、夏休み、冬休みのほかに、スキー休みやイースター休みなど、まとまった休みが多いことだ。休む時はしっかりと休むという文化が根付いている。

 フィンランドは、世界一コーヒーの消費量が多い国でもある。朝起きてまずコーヒーを1杯、出勤したらまたコーヒー、休み時間にもコーヒー、とにかく飲むのである。職員室は全ての席が指定されているわけではなく、フリーアドレスとなっている。さらには、大きなテーブルを囲んでコーヒーを楽しめる談話スペースがある。ここが先生たちの憩いの場だ。常にお菓子やデザートが置かれていて、コーヒーを片手に対話を楽しむ。

丸テーブルが置かれた談話スペース。作業は奥の長机ですることが多い。ペーパーレス化が進んでいる
丸テーブルが置かれた談話スペース。作業は奥の長机ですることが多い。ペーパーレス化が進んでいる

 そこには、笑顔があふれ、他愛もない話で盛り上がる。この空気感が、異国の地からやってきた私をも包み込んでくれ、全くもって孤独感を感じないのだ。どの先生も優しく話し掛けてくれ、私が覚えたてのフィンランド語で一生懸命話そうとしている姿をほほ笑ましく見つめ、正しく話せたときには、満面の笑みで褒めてくれる。それが、休み時間のごく自然な、いつもの光景である。

 もちろん、真剣な表情で教材研究を行っている先生もいる。互いをリスペクトしながらも、一人一人が温かな雰囲気に包まれながら仕事をしていることを、身をもって感じることができる。

ICTの活用で、職員室に鳴り響く電話が不要に

 ある時ふと、日本の職員室と何かが決定的に違うと思ったことがある。それは、私が教員時代に非常に不快に感じていた「あるもの」がない。そう、職員室に電話が置かれていないのだ。集中しているときに鳴り響く電話。保護者に大切なことを伝える電話の横では、さすがに同僚と談笑することははばかられる。そんなこともあり、私は職員室内における電話に良いイメージを全く持っていなかった。

 当時、なんとかこの状況を打破しようと、学校改革推進リーダーの立場を利用しながら、職員室内に丸テーブルを設置し、談話スペースを確保した。少しは心休まる場所を作り出すことができたが、それでも本当の意味で職員室がリラックスできる場所であったかというと、胸を張ってイエスということは難しい。

 今のフィンランドでの勤務校では、少し離れたところにある事務室と校長室には電話が置かれているが、職員室には一つも電話が置かれていない。つまり、電話が鳴り響くこともなければ、受話器の向こうにいる人と会話する声が職員室に響き渡ることもない。先生が電話をしたいときには、防音になっている個室で行う。

 保護者や子どもたちとの連絡手段はというと、Wilmaと呼ばれる校務教育情報システムによって、賄われている。このWilmaはスマートフォンで利用することができ、子どもたちの出席状況や課題の提出状況、成績など全てを保護者と子どもたちがアクセスすることができるようになっている。欠席連絡も基本的にはそこで行われている。

 まさにICTを上手に活用することで、職員室に電話を置かなくてもいい状況を作っているのだ。もちろん、保護者から学校へ電話での連絡があることもあるし、保護者が何かしらの対応の不具合のことで学校を訪れることはあるようだ。しかし、そのときにも対話をベースとして、先生と保護者が協力して解決策を導き出していく、というのがフィンランドの学校現場のスタンダードであるという。いついかなる時も、お互いの心には相手へのリスペクトを、片手にはコーヒーをといった具合に。

一人一人が、豊かな人生を送ることが許されている

 フィンランドの学校現場で働き、先生たちと一緒に過ごす中で感じるのは「仕事は人生を豊かにするための一つの手段にしか過ぎず、誰一人として仕事のために全てを捧げている人はいない」ということだ。金曜日の午後になるとなんだかそわそわしているし、授業が終われば「良き週末を!」と言って、笑顔で学校を後にしていく。

 一人一人が、豊かな人生を送ることが許されている存在であるということを、互いが認め合っている。そしてその豊かさとは、仕事と休みのバランスからくるものであり、リラックスした中で日々を過ごすことで生まれる、心の余白なのではないかと思う。

 心にも時間にも余白があるからこそ、大切な家族・友人と過ごすことができるし、自分のやりたいことに没頭できるのだ。そうしてさらに満たされた心で仕事に臨むからこそ、プロフェッショナルとしてのハイパフォーマンスを発揮することができる。まさに、好循環そのものである。

 ある日、私はある先生に、日頃から思い抱いていた疑問を投げ掛けてみた。「どうしてフィンランドの先生方は、こんなにも私に優しくしてくれるのですか」と。するとその先生は、気取ることも、おどけることもせず、ほほ笑みとともに「それは私たち自身が幸せだからよ」とまっすぐな瞳で答えてくださった。

 こうした一人一人の心が満たされる環境を作っていくことが、誰かの背中をそっと支えられる力を生み出していくし、それが子どもたちの元へと届いていくことは言うまでもない。世界一幸せな国は、世界で一番人を大切にする国であると言えるのかもしれない。

 昨今よく言われる「誰一人取り残さない」という言葉。言葉でいう以上に、実現することは簡単でないのは明らかだ。しかし、それを体現するヒントがフィンランドの職員室にあると確信している。環境やシステムが生み出す心の余白が、目の前の人を大切に、そしてリスペクトすることにつながっていく。日本の教育現場が、まさにこの幸せの連鎖への一歩を踏み出していけるよう、切に願っている。

【プロフィール】

徳留宏紀(とくどめ・ひろき) Nordic Educations代表、教育コンサルタント。フィンランド・ヘルシンキ在住。ヘルシンキ国際高校勤務。元公立中学校教諭。学力向上コーディネーターとして、教科学習を通じて非認知能力・認知能力の向上を実現。また現在は岡山大学大学院にて非認知能力の研究に従事。「教員の心理的安全性を高める組織マネジメント」で、2019年度日教弘大阪支部最優秀賞受賞。幼稚園から大学までの教育現場、保護者、企業を対象に、非認知能力に関する講演会も行っている。

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