長い冬が終わり、フィンランドにも待ちに待った春がやってきた。人々は、待ちわびた太陽の日差しを体中で感じるかのように、ピクニックへ出掛けたり、森に散歩に出掛けたりする。そんなすがすがしい5月を、私は別の理由で心待ちにしていた。
5月から私はフィンランド語コースに通い始めている。世界でも有数の難しい言語とされるフィンランド語を独学で学ぶのは大変なので、授業を通して学ぶことができる機会を楽しみにしていた。フィンランドでは、大学が開設する「サマースクール」があり、一般の人でも授業を受けることができるのだ。開かれる講座の分野は多岐にわたり、夏の短期間で集中的に学ぶことができる。
私が申し込んだのは、フィンランド語の基本を学ぶコース。原則フィンランド語で進められ、英語で補足説明があるというものだ。1カ月にわたって、平日週3回、午後4時30分から8時15分まで行われる。授業料と教科書代を合わせて2万円ほどで受講することができる。共に学ぶ仲間は、20~70代と幅が広く、出身地もインド、ネパール、米国、スウェーデン、ロシアなどさまざまな背景を持っている。
平日の午後4時30分にスタートする授業であっても、仕事に影響することはない。私の場合、高校での勤務を午後3時に終え、そこから大学へと向かう。先ほどまで教員であった立場から、学生の立場へと変わるのだ。勤務時間が短いからこそ、勤務後の時間を有意義に自己研さんに充てることができる。「学び続ける人でありたい」と願っていた私にとっては、この上ない環境だ。
同僚の先生も、勤務後の時間は有効に使われているようで、大学に行って歴史の研究をしている人や、心理学を学んでいる人、トレーニングの際の体の使い方を学んでいる人もいる。プライベートな時間の使い方は、決して強制されるものではないが、自分自身の成長や学びの時間に使う人が多い印象だ。教員自身が学ぶ姿勢を持つことが、子どもたちにプラスの影響を与えることは想像にたやすいが、自己研さんに励むことができる時間的な余裕があるのも非常に大きいといえる。
ここからは、フィンランド社会の在り方を「学び」に重きを置いて、捉えていきたいと思う。2000年以降に、経済協力開発機構(OECD)が実施する学習到達度調査(PISA)で、フィンランドが突如浮上し、その教育の秘密を解き明かそうと、世界中の教育者たちがこぞってフィンランドを訪れたことは記憶に新しい。
そのフィンランド教育の礎を築いたのが当時、教育大臣を務めていたオッリペッカ・ヘイノネン氏だ。教育大臣として行った教育改革には、現場に裁量権を持たせる「教育の自治」や、教員資格を大学修士レベルに引き上げたことなどが挙げられる。これらは、教員に対する厚い信頼と同時に、プロフェッショナルとしての高いレベルが要求されているともいえるだろう。
ヘイノネン氏の言葉に「フィンランド人にとって人生とは学びであり、思い描いた人生を手に入れるために、学ぶことから始めている。だからこそ教育とは価値のあるものである」というものがある。一方、先日行われたインタビューで、現フィンランド大使館レーッタ・プロンタカネン参事官は「フィンランドでは生涯学習という考え方がある。教員には『自ら学び続ける』『再教育を受ける』という姿勢がある」と答えている。
このような背景から、教育に携わる者は、自らが学ぶ姿勢を持ち、その姿を子どもたちに示していくことが重要だとされていることが分かる。
教員に限ったことではなく、フィンランドでは「全ての人が学びにアクセスすることができる」ことも大切にされている。大前提として、フィンランドにおける生涯教育は成人教育を指すのではなく、義務教育から成人教育まで、全ての段階における教育を含んだものだ。義務教育から大学院までの授業料、さらには教科書、給食費、文房具まで無料で提供されている。これは、金銭的理由で子どもの将来の可能性が制限されることがないということだ。
大学や大学院の授業料が無料であることは、さらに大きなメリットをもたらしている。社会人の学び直しのハードルが下がるということだからだ。いつでも自分が学びたいと思ったときに、学び直しをすることができる。さらには、その個人の選択に対しても、周りがとやかく言うこともなく、至って自然なことと捉えられているのも特徴的だ。
また、成人教育の充実は、定年退職後の日々に大きな影響を与えている。例えば、ヘルシンキ成人学校では、毎年1000を超えるコースが準備されていて、言語やアート、スポーツ、エクササイズ、最近では生け花のコースなどもある。人気のコースはキャンセル待ちも発生するほどであり、シニア層であっても学び続けることが可能な環境が整っている。
ところで、なぜ私が5月からフィンランド語コースに通い出したかということについて話したい。実は、現在のホームステイ先のホストマザーの影響がとても大きく、彼女から「フィンランドには、夏にサマースクールがあるからここに行ってフィンランド語を学んだらどう? URLを送っておくね」と言われたのがきっかけだ。
彼女は定年退職後だが元高校の先生であり、教育のプロフェッショナルである。毎日共にするディナーでの教育談義は本当に学びが多く、貴重な時間を過ごしている。そんな彼女は、フィンランド語以外にも4カ国語を習得しており、私と出会った頃は、成人学校のフランス語コースに通っているタイミングだった。
ある日、学校から帰ってきた彼女が意気揚々と「ヒロキ、人生とは学びよ。いつの日も」と話してくれた。この言葉は私の心にぐっと刺さった。なぜなら、彼女自身がいつもこの言葉を私の目の前で体現しており、言葉が意味すること以上に、彼女自身の人生の豊かさを垣間見たからだ。そんな彼女は最近、日本語コースに通い始めた。私との出会いがきっかけで、日本のことを知りたいというのが原動力だったようだ。
学びへのモチベーションは人それぞれであり、唯一の答えは存在しないと思う。私の場合は、フィンランド語で会話をすることで、ホストマザーの笑顔が見られるという喜びであったり、同僚や子どもたちと楽しい会話で笑い合えたりすることが、学びに対する最大のモチベーションであることは間違いない。
昨今、日本の教育界では「学びに向かう力」をどう育んでいくかと議論がなされているが、その答えは案外シンプルなものなのかもしれない。自分の大切な人と心を通わせたいと思う気持ちや、自分の人生をより一層豊かにしていきたいという思い、もっともっと成長した自分を見てみたいという欲求。学び続け、成長し続ける人から子どもたちは大きな影響を受けるだろう。フィンランドに来て、たくさんの人と出会い、改めて私も学び続ける人でありたいと思うようになった。
先日、ホストマザーが日本語の本を買ったと知らせてくれた。タイトルは「ICHIGO ICHIE」。どういう意味かと聞かれ、「今の私たちの関係。この出会いのことを表しているよ」と答えた。教育者であり、誰よりも学び続ける彼女との出会いが、私の人生に大きな影響を与えたのは言うまでもない。
【プロフィール】
徳留宏紀(とくどめ・ひろき) Nordic Educations代表、教育コンサルタント。フィンランド・ヘルシンキ在住。ヘルシンキ国際高校勤務。元公立中学校教諭。学力向上コーディネーターとして、教科学習を通じて非認知能力・認知能力の向上を実現。また現在は岡山大学大学院にて非認知能力の研究に従事。「教員の心理的安全性を高める組織マネジメント」で、2019年度日教弘大阪支部最優秀賞受賞。幼稚園から大学までの教育現場、保護者、企業を対象に、非認知能力に関する講演会も行っている。