子どもたちに72時間を生き抜く力を育成するプログラムを全国展開する「72時間サバイバル教育協会」代表理事の片山誠さん。そうした活動の他に、小学校でのサバイバル講習や大学の公開講座なども展開している。インタビューの最終回では、サバイバル教育の先にある目標や思いについて聞いた。(全3回)
――片山さんの「72時間サバイバル教育協会」は現在、子どもだけではなく社会人向けにも講座も開いていますが、2013年に協会を立ち上げた当初はどんな講座をしていたのですか。
当時はまだ「防災教育」と言ってもどこから手を付けてよいか分からず、とりあえず「2泊3日で災害の疑似体験をすれば、リアリティーが増して被災時の状況が少しでも理解できるんじゃないか」と考え、体験キャンプをやっていました。
ただ、実際にやってみると、参加した子どもたちは「感謝の気持ちが芽生えた」とか「被災したときに、こんなことになるんだと理解できた」とか、すごく良いことを言う一方で、おそらく3カ月もたてば忘れてしまうであろう状況も見えてきました。実際、1回体験しただけで防災力は身に付きません。
そんなモヤモヤを抱えながら1~2年がたった頃、私たちの協会が「サバイバル」という検索ワードで上位にヒットするようになってきて、大手メディアなどから依頼を受けるようになりました。そのタイミングでテコ入れを行い、16年に現在のプログラムを作り上げました。
――何度も参加しながら8つのスキルの習得を目指す現在のプログラムですね。
日帰りなので参加しやすく、それまでよりも安価で、手軽に学べるようにしました。そういうプログラムデザインをして、パイロット的に実施しつつ、18年に私が『もしときサバイバル術Jr.』という本を出したのを機に、全国展開をしていきました。
――本も出版されたとのことですが、大学時代から防災教育に関わる内容を学ばれていたのでしょうか。
生まれも育ちも大阪で、大学も関西大学の社会学部マス・コミュニケーション学専攻にいました。でも、そこで「何を学んだか」と聞かれると、「何も覚えてない」というのが正直なところです。
高校時代はかなり不真面目な生徒で、数学や理科など理系科目は全く勉強していませんでした。社会科でも日本史や世界史は苦手だったので、政治経済で受けられる大学を探した結果、関西大学を選んだという感じです。
当時の学校教育は、「競争社会に勝つ」とか「学歴を身に付けるために受験戦争に勝つ」といった感じでした。自分の「得意」や「好き」を伸ばすというより、「少しでも良い点を取って、良い大学に行って、良い会社に入る」のが正解というような風潮がありました。
別に学校の先生が悪いわけじゃないんですが、学校で学んだことのうち社会に出て何が役に立っているかと聞かれると、全く思い出せません。今、私は会社を3つ経営していますが、経営する上で必要なことは、大学を卒業した後に自分で学んだことばかりのような気がします。
――会社を立ち上げる前は、何をされていたのでしょうか。
会社員をやっていました。アウトドア関連ではなく、広告会社の営業職です。アウトドアの活動に関わり始めたのは入社2年目の時からで、友人が「アウトドア総合メーカーが、四国でラフティングのガイド募集のチラシを出しているから一緒に行こう」と誘ってくれたのがそのきっかけです。
そのガイドの仕事が楽しくて、平日は大阪で会社員をしながら、週末は四国でラフティングガイドのアルバイトを副業でするという日々を送りました。その後、06年にアウトドアツアー会社を立ち上げ、ラフティングやキャニオニングのガイドをするようになったんです。
――東日本大震災のボランティアに行くきっかけは何だったのでしょうか。
社内研修で神奈川県の山奥へ行っていた日に、東日本大震災が起きたんです。山が大きく揺れて、「ただごとじゃないな」と思いました。スマホを見たら大変なことになっていて、何かできればと思ったものの、何も用意もしてない人間が現地へ行っても邪魔になるだけなので、その時はそのまま大阪に帰りました。
その後、会社の繁忙期が終わった秋ごろから、2~3週間ほど被災地へ行っては帰ってきて仕事をし、また2~3週間ほど被災地へ行くという生活をしていました。
――被災地ではどのような活動をされたのですか。
11年は岩手県でがれきの撤去作業に携わり、12月には「サンタが100人やってきた」という企画で被災地の子どもたちにプレゼントを配りました。12~13年は宮城県や福島県にも赴き、福島県では動物愛護団体のボランティアに参加して、放射能汚染で立ち入り禁止になった地区に置き去りにされて救出された猫の世話をするなどの活動に従事しました。
当時、「大阪を変える100人会議」のメンバーの中にも、東日本大震災のボランティアに参加していた人がいて、そこで防災教育を手掛けようとの話になり、12年の秋にキャンプを初開催して13年4月に法人化しました。
――東日本大震災以降の展開は、とても早いですね。
「今すぐにでもやらないと」と思っていましたからね。設立に向けた話し合いの段階から、「72時間」というワードは出ていました。国際的にもレスキューのガイドラインとして「72時間以内に助けよう」という指針が出ていて、それが生死の境目だと言われていました。
そのため、「子どもたちが何としてでも3日間、死なずにいられることを目指そう」との話になり、協会の定款にも「災害時に子どもたちの死者をゼロにする」と冒頭でうたいました。
――会社を3つ経営されているとのことですが、詳しく教えてください。
72時間サバイバル教育協会とアウトドアツアー会社、そして22年に立ち上げた「ジャパンキッズ」という会社です。「ジャパンキッズ」は、子どもたちが将来の選択肢を広げられるよう、無償で体験を提供する一般社団法人です。
体験の中心は農業で、大豆を育てるプログラムです。子どもたちは種をまいて草引きを行い、収穫してみそづくりをしています。このプログラムを全国30カ所で無償提供しています。
――手広く活動されているのですね。
私の一番の目標は「地球平和」なんです。人だけじゃなくて、動物とか植物とか、環境も含めて皆が幸せでいられる世界。今、世界中で「環境問題を解決しよう」と言われていますが、本気でやるためには一部の意識が高い人だけが取り組んでいては実現しません。全員参加じゃないと無理だと思うんです。でも、世の中には環境問題なんて考えられないほど、自分が生きることで必死な人も山ほどいます。
それは日本も同じです。生活に余裕がない人は、「環境問題を解決しよう」なんていう思いにはなかなか至らず、目の前の生活のことで精いっぱいにならざるを得ません。だから、環境問題を解決するためには、まず貧困問題を解決しなければならないと思ったんです。
貧困にはいろいろな要因がありますが、貧困家庭に生まれた子の選択肢が少な過ぎることも、貧困の連鎖につながっています。選択肢を増やすには、「塾に行く」とかではなく、自分が得意なことや好きなことを仕事にできること、人の幸福の根本的なところに気付くことが大事だと思うのです。
そうした貧困の連鎖を断ち切るため、年間を通じた農業体験を無償で提供するところから始めました。
――運営資金はどうやって調達されているんですか。
昨年は全て手弁当でやりましたが、今年からファンドレイジングを通じて広く寄付を募っています。
ジャパンキッズがやっていることと72時間サバイバル教育協会でやっていることとで共通しているのは、「自分で考えて行動しよう」「助け合いの社会をつくろう」という思いです。また、農業で食べ物を自分で作ることは、究極のサバイバルでもあります。
今後も、「サバイバル力を高める」という視点から自立した人を育成していきたいと考えています。そして、そういう人が自分よりも弱い人、社会的弱者を助けられるようになることを願って活動していきたいと思います。
【プロフィール】
片山誠(かたやま・まこと) 1971年、大阪府生まれ。関西大学社会学部卒業。東日本大震災をきっかけに仲間と立ち上げた「72時間サバイバル教育協会」で2016年から代表理事となり、体験学習を通じた防災教育プログラムを全国で展開。著書に『もしときサバイバル術Jr.』『車バイバル!』、監修『めざせ!災害サバイバルマスター』など。ジャパンアウトドアリーダーズアワード2019優秀賞。